第164話 嘘つき

 トーンが聴音壕から出て、屋上のへりに立ち、受験者たちを見下ろしている。

 胸元まで伸ばした長い前髪によって隠されているトーンの顔が、横風を受けて、目や口を不規則に覗かせる。

 顔面がすべて髪に隠れた異相の少女を、受験者たちは声を殺して見入った。

 リムは自身が描いてみせた、トーンの想像図を思い浮かべる。


(……あれが、ラネットさんが会いたがっていたというトーンさん。わたしが描いた想像の姿より、ちょっと……いえ、かなり……尖ったヘアースタイルですね……)


 その想像図を記憶させられていたルシャも、実物のトーンとのギャップに驚く。


(ラネットおまえ……。ずいぶんと妙な女に入れ込んでんだな……。えらく会いたがってたからまた、エロ眼鏡レベルのいい女かと……。あぁ……いやいやっ、なんでもねぇ!)


 当のラネットは、なんの前触れもなく受験者たちの前に姿を見せたトーンに、不穏なものを感じた。

 前髪の隙間から覗く碧眼と、一瞬視線がぶつかった気になるラネット。

 その顔がたちまち曇り、一瞬俯こうとする挙動を見せるも、すぐに視線を維持。


(そう言えば……。トーンには、一次試験が終わったらここを去る……って、言ってあった……。ボク、トーンに嘘ついたことになる……)


 受験者たちと同じく屋上を見上げているエルゼルも、動揺をありありと浮かべた顔をしており、丸く開いた口から「不測の事態だ」と無言で述べている。

 トーンは両手で額から前髪を分け、握り拳で髪留めを作り、碧眼と赤い唇を覗かせると、その小さな口をめいいっぱい開いた──。


「……いまの戦姫團團長の説明に、補足する」


 小柄で喋り慣れていないトーンのその声は、眼下の受験者たちには部分部分しか届いていない。

 トーンの耳に、「いま、なんて言った?」「説明……?」「補足……?」という、受験者たちのざわめきが、くっきりと流れ込んでくる。

 トーンはいま一度、息を吸い込みながら大きく口を開け、力の限り叫んだ。


「二次試験歌唱部門の、試験官には……。このわたし、陸軍研究團・異能『耳』こと、トーン・ジレンが加わるっ! 下手な歌は……聴かせるなっ! 以上っ!」


 言いきるとトーンは前髪を定位置へ戻し、振り向く所作を見せながら、屋上の奥へと姿を消した。

 受験者たちの間で「異能?」「耳?」というワードが飛び交う中、ラネットは頭を抱え、全身を震わせながら俯いた。


「あ、あぁ……ああぁ……。ごめん……トーン……。そして、ルシャ……。終わったぁ……」


「お、終わったって……なにがだよ? ラネット?」


 名前を出されたルシャは、身を屈めてラネットの顔を覗き込む。

 ラネットの瞳は涙の膜で覆われていて、その輪郭がふにゃふにゃになっており、喉はひくひくと痙攣して、無言の嗚咽を半開きになった口から漏れさせている。


「トーンは……めちゃくちゃ耳がいいんだ……。そしてボクの声を、ボク以上に知ってる……。だから……ボクが歌ったら、即バレる……。替え玉アレが……バレるんだ。そしたら二次試験は、初日で退城おわり……」


「はっ? はあああぁっ!? そりゃない……もごっ!」


 武技試験での、セリとの勝負が不可──。

 ルシャが物言いを叫ぼうとするが、とっさにリムがその口を掌で塞いで阻止。

 リムは二人の肩を両腕で抱き寄せ、コツンと頭部をくっつけ合いながら小さな円陣を作り、声をひそめた臨時のミーティングを始める。


「……事情はおおよそ察しました。ですがこの二次試験、合格する必要はいっさいありません。むしろ不合格にならないと、いろいろまずいです。ですから初日の歌唱試験は、本来の受験者……わたしが出れば、いいだけの話です」


 リムの説明を受けて、ルシャが意外そうな顔つきで、こくこくと頷く。


「な……なるほどな。替え玉しなくていい……ってのは、盲点だったぜ」


 一方のラネットは、まだ不安収まらずといった様子。

 トーンへ嘘をついてしまったことへの悔恨でぐずついたまま、リムへ問う。


「で、でも……。音楽隊の隊長さんにも、ボクの声と歌、しっかり聴かれてるし……。大丈夫……?」


「そこは、歌の練習をしすぎて声が掠れたとか、風邪をひいて喉を傷めたとかで、ごまかしが利くでしょう。とりあえず、この場では動揺を抑えてください。細かい策は、部屋へ戻ってから練る……で、いいですね?」


「う、うん……。ぐしゅっ……」


 最後にはなをひとすすりして、ラネットは泣き言を止めた。

 冷静に、的確に判断を下し、落ち着いて二人にそれを伝えたリム。

 これまでのリーダーとしての実績の積み重ねもあり、ラネットを安心させるには十分な信頼を得ていた。


「静かにっ! 整列っ……ごほん!」


 エルゼルが号令をかけ、わざと作ったふうの大きな咳ばらいを締めに一つ。

 それを受けて受験者たちは、体を正面へ向け直し、姿勢を正し、口を閉じた。


「……いま姿を見せたのは、陸軍の別組織、研究團の者だ。登城時や一次試験のペーパーテスト時にも関わっていたため、存在は察していることだろう。ゆえにここでは、説明は省く。いまきみたちの意識は、目の前の試験に注がれるべき、だ」


 平静を装い、きびきびと語るエルゼルだが、先ほどのトーンの出現が不測の事態で、その取り繕いをしているのは、だれの目にも明らか。

 エルゼルもその空気を察し、苦々しい味がする咳ばらいを、再度漏らした。


「ン゛ッ……。ここでの説明は以上だ。いま、宿舎の通路に二次試験の詳細を張り出している。それの確認も兼ねて皆、一旦自室へ戻ること。帰りは列の形成は不要だ。屋外での自由行動は、本日の午砲をもって解禁とする。以上!」


 エルゼルの「以上!」に、受験者一同が「はいっ!」と返事。

 列の形成不要ということもあり、受験者の人流は、早めに二次試験の詳細を確認しようと足早に去る者と、強者の余裕から人が減るまで外の空気をゆっくり吸おうとする者に分かれた。

 後者には、ステラ、フィルル、そして目立つ行動を嫌ったリムらが当てはまる。

 うちフィルルに、そっとロミアが左側から近づき、その耳元で柔らかく囁いた。


「フィルル・フォーフルール……ちゃん。このあとちょっと、わたしたちにつきあってほしいノ。従者と一緒に、ここに居残ってくれる? 人けのない部屋で、お姉さんたちとた~っぷりお話ししまショ? クスッ……」


 大人の色香と艶めかしさをたっぷりと含んだ吐息交じりの声に、フィルルは思わず耳を赤くし、ぞくぞくと背筋を震わせてしまう──。

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