第252話 死神 -DEATH-(2)

 ──隻腕の蟲の間合い、そのギリギリの際へ跳躍から降り立つステラ。

 複眼でステラを間合いの外と視認した蟲は、左前脚を微動だにさせない。


「……さすがに、目がいいようです」


 ステラが剣を構え、その間合いへ切っ先をちょんと入れる──。


 ──シュッ!


 空を切る音。

 空気、大気を構成する粒子を裁断したかのような、速く繊細な音。

 隻腕の蟲が水平に振るった鎌を、音があとから追っていく。


「……なるほど、速い。剣速だけなら、お師様以上です」


 しかしステラも、鎌が眼前を通過する前に、切っ先を戻している。

 いまのは鎌の速度を判定するための、ステラのフェイント。

 蟲もそれを察してか、踏みこまない。

 軽々に間合いを詰めれば、その挙動の分、ステラへ利させてしまう。

 少女と蟲の戦いでありながら、あたかも老練の剣豪の立ち合いのような、緊迫した空気が辺りに漂う。

 蟲の背後に位置取ったフィルルも、蟲の背中越しにその気配を感じ取る。


(髪一本の間合い……とは、まさにこのことでしょうか。ステラは天性の、蟲は触角や複眼を織り交ぜた野生の感覚で、それを計っています。わたくしが背後から斬りつければ、蟲に隙が生ずるのやもしれませんが……。恐らくいまのステラにとって、それは大きなお世話。気を乱すことにしかならぬでしょう)


 フィルルは己の周囲に気を配り、この一戦を邪魔する蟲あらば排除する構え。

 それが、ステラが自分に託した頼み……と察する。

 緊迫の勝負、先に踏みこんだのはステラ──。


 ──シュッ!


 瞬時に蟲の鎌が水平に振るわれる。

 ステラはわずかに身をかがめて回避。

 斬られた幾本かの蒼い髪の毛が、宙をふわりと舞う。


 ──シュッ!


 蟲の振り戻し。

 鎌は内外が鋭利に磨かれており、その斬撃は一往復で二度。

 察しているステラは、さらに身をかがめて低い姿勢となり、回避。

 跳躍は地を蹴る瞬間と着地時に多大な隙があると判断し、不使用。

 この時点で、ステラが詰めた間合いは半分。

 ステラがとはいえ、蟲のの一振りの間だけでは、懐には潜りこめない。

 蟲の二撃目が、やや角度をつけてステラを襲う。

 気持ち振り下ろされる格好となった、蟲の追撃。

 これもステラは身をかがめてかわす。

 膝と顎の高さが並ぶほどの屈伸。

 上方へ大きく反ったステラの後ろ髪が、バッサリと裁断される──。


 ──シュッ!


 来た軌道をそのまま戻る、蟲の振り返し。

 一撃目でそのタイミングを掴んでいたステラは、事前に屈伸状態から跳躍。

 ここで初めて跳躍を見せたステラが向かう先は、蟲の右側面。

 鎌をステラへ放てば、蟲が自刃する位置取り──。


「やッ!」


 ステラも発音したかしていないかわからぬほどの短い掛け声を上げ、剣を振るう。

 その一撃は、斬撃ではなく刺突。

 理由はわからねど、とうに失われている蟲の右前脚、その付け根。

 そこへ剣を突き刺したステラは、続けて柄を、踵で強く蹴りつける。

 剣が根本まで深々と、蟲の体内へと埋まった。


 ──シュッ!


 蟲は大きく上半身を回転させ、ステラへ向けて、たびの斬撃。

 しかしステラは、柄を蹴ったときの反動で、既に間合いの外。

 着地後、フィルルのそばへと寄る。


「フィルル、剣を一本貸してください。ここからが、本番ですので」


「いまのを繰り返して、蟲に剣を打ちこみ続けるつもりですの?」


「いえ。次は斬撃で決めます。蟲の感覚を、狂わせましたので」


「えっ……?」


 不思議と不安を織り交ぜた、フィルルの動揺の顔。

 それへステラは、うっすらとした微笑を返した。


「対峙してわかりました。あの蟲の剣の威力、速さは、隻腕ならではもの。ですのでなき右前脚に、を埋めこみました。体幹の左右のバランスが、かなり崩れたはずです」


「剣の……義手……」


「それにもう一つ、期待していることがあります」


幻痛ファントムペイン……ですわね?」


「さすがです。わかりますか」


過去(※後述)に、それにつけこんで勝利したことがありますので。思い返すたびに、苦い勝利ですけれど」


「仮に蟲の右前脚が、孵化後に、意に添わぬ形で奪われたのであれば……。その際の記憶が、トラウマとして針金蟲に残っているかもしれません」


 なかなか剣を渡さないフィルルに焦れてか、剣を握ったままのフィルルの手の甲へ、ステラが両手を乗せた。

 初めて見るステラの微笑と、初めて覚える剣以外での接触。

 フィルルの唇と握力も、思わず緩む。


「……フッ。あなたも、そのような顔ができるのですね」


「お師様の真似です。わたしの目標は、架空の戦姫ステラから、実在のお師様へと変わりましたから。ウインクも練習してはいますが、とても難しいです」


「わかりますわ。わたくしもこの糸目ですから、ウインクがどうにも苦手で。『片目を開ければいい』と兄上は言いますが、それはなにやら、別物のような気がして……クスッ♪」


 フィルルは右手の剣を、ステラへと力強く握らせる。

 ステラが「感謝します」と告げ、隻腕の蟲の正面へと移動。

 フィルルは空いた右手を左手の剣の柄に添えて、両手で一本の剣を持つ。

 そして、左斜め前方から迫る新手の蟲へと突撃。


「わが好敵手ライバルの勝負に水差すものは、遠慮なく破断いたしますっ! 開眼っ! 両手剣ツーハンデッド大枯枝蟷螂斬撃ドラゴンマンティススラッシュっ!」


 双剣をカマキリの鎌に見立てたフィルルの秘剣・大枯枝蟷螂斬撃ドラゴンマンティススラッシュ

 全身のバネをギチギチに縮めてから一気に解放する、驚異的なリーチと剣圧。

 それを両手で握った一本の剣に集約させる、いまこの場で生まれた派生技。

 ある意味、隻腕の蟲に触発されたもの──。


「でやあああああぁーっ!」



(※)「糸目令嬢剣戟譚」第027話 ファーストキスは潮風と葉巻の香り(13)参照

https://kakuyomu.jp/works/16817330649424280144/episodes/16817330650168294047

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