第195話 翼をください(3)
「────────♪」
ラネットの2番の歌い出し。
それに合わせて、ヴェストリアが指揮棒を振った。
迷いなく、おごそかに、音楽隊の演奏が始まる──。
(「翼をください」……。生まれた国では、さぞやの名曲なのでしょう。リムのすばらしい歌唱のおかげで、まだ見ぬ楽譜が、ありありと脳裏に浮かびます。楽隊のあなたたちも……そうですね? 音楽の
ヴェストリアの期待通り、音楽隊は1番の歌唱を傍聴中に、メロディーを把握。
指揮棒の指揮下で、演奏欲を一気に解放した。
その演奏は偶然か必然か、メグリの故郷「日本」での楽譜を、完全に再現。
ラネットは調子を崩すことなく、未知の曲を奏でる奏者たちに驚嘆する。
(奏者の人たち……すごいっ! 楽譜がないのに、お師匠が貸してくれた楽器の演奏そのもの! ううん……生演奏だから、ずっと迫力があるっ!)
音圧が堂内に充満し、響きが床いっぱいに走る。
それらによって、ラネットの体にもトーン同様の浮揚感が生まれ、ステージ下にいるにも関わらず、音楽隊と目線の高さが揃うイメージが浮かぶ。
(全身全霊で、歌ってるつもりだったのに……。演奏に押し上げられて、声がまだまだ伸びるっ! ボクの想いを……もっともっと、トーンへ届けられるっ!)
「━━━━━━━━♪」
音楽隊の演奏を上回る、ラネットの声の圧。
それは破壊的な域にまで達する。
ヴェストリアは五感を痺れさせ、時折指揮棒を指から落としそうになるのをこらえながら、
(……これですっ! これこそが……蟲を倒すに至る歌声! すばらしいっ!)
ラネットとトーン、指揮者、奏者が一体となり、場のすべてが音楽家であり、かつ聴衆であるという、充足感に満ちた時間が続く。
「────────…………♪」
その幸福な時を惜しむかのように、ラネットは歌い終えつつも、余韻を伸ばす。
浮揚感を得ていたトーンは、ゆっくりと、いすの上へと着地する錯覚を覚える。
ヴェストリアは全身全霊を使い果たした両腕を、静かに両脇へ下げた。
演奏の終了をもって、ラネットが一礼し、はみかみながら苦笑。
「ありがとうございました。ですが……まさか演奏をしていただけるとは、思いませんでした。楽譜もないのに……さすがです」
「ふふっ……。あなたには、一次試験で不意打ちを食らいましたからね。これくらいの仕返しは、させていただかないと」
──プォン♪
ヴェストリアの言に同意を示すべく、奏者たちが短く音を鳴らす。
ヴェストリアは翻り、いすの上でほぼ放心状態のトーンへと顔を向ける。
「……本日の試験は以上で終了です。これより撤収作業を始めますから、あなたはステージから去ってください」
「……え?」
「楽器の運搬の邪魔ですから、ステージを下りなさい、と言っています。研究團のトーン・ジレン」
ヴェストリアは言い放つと、姿勢を正した所作で、サッと横へ移動。
トーンの真正面に、ステージ下のラネットの姿が現れる。
歌唱の終わりとともに脱力しきっていたトーンは、普段の数倍にも思える自重を、やっとのことで持ち上げて起立。
足をふらつかせながら、上半身をゆらゆらと前後へ揺らして、ステージの縁へ。
長い前髪を、両手で額の中央から左右に分け、涙で腫れた碧眼を覗かせる。
ラネットもステージへ歩み寄り、微笑を浮かべて両手を大きく広げる。
あたかも、大きな鳥の、翼のように。
「……トーン」
「ラ……」
「ラネット」と言いかけてトーンは口を閉じ、後続の発音を飲みこんだ。
もうトーンには、ラネットの替え玉受験を暴く気はない。
トーンはさらにステージの縁へ寄り、そして跳躍。
まるで背中に翼が生えたかのように、ふわりと宙を舞い、ラネットへと滑空。
ラネットは正面からがっしりと受け止めるも、衝撃に耐えきれず数歩後退し、そこで尻もちをつき、仰向けとなった。
その体へトーンがしがみつき、胸へ顔を埋めて、泣き始める。
「うあああぁああぁんっ!」
「トーン……」
「もう……もう……離れないっ! わたしたち……ずっと……一緒! どんな困難にも……どんな敵にも……負けないっ! わたしたちもう……離れないっ! あああぁああぁんっ!」
「うん……うん! ボクたち……これから先、ずっと……一緒だよ」
床の上で折り重なり、抱き締め合う二人の少女。
その姿を、ヴェストリアは少しうらやましそうに見る。
(ふふっ……。このくらいのサービスは、しておきませんとね。その受験者……リム・デックスは、研究團ではなく、わが戦姫團音楽隊がいただきますから)
楽隊長・ヴェストリアは、自分が欲している少女の名前が、実はリム・デックスではないことを、いまだ知らない──。
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