第196話 月 -MOON-(1)(※残酷描写有り)
──歌唱試験が終わり、夜も更け、日付を跨ぐ。
月明かりに照らされた防火帯を、女性兵二人が各々カンテラを持って巡回中。
満月から放たれる白々とした月光が、うっすらと森を照らす。
やや小柄な、角が丸い眼鏡をかけた女性兵が、ぼそりとつぶやく。
「……先輩。蟲……出ませんかね?」
同行している、頭一つ背が高い屈強な女性兵が、それに力強く返答。
「心配するな。蟲は夜、活動せん。そこは普通のカマキリと同じはずだ」
「でも昼間、森に現れた奴みたいに……。過去の記録に当てはまらない蟲も、いるかもしれません……」
「殉職者を二人も出したからな。不安なのもわかる。だが、だからこそ目の前の任務で、気を抜いてはならん。こういう月明かりの良い夜は、不法クライマーが出やすい。奴らは自分が餌や種になるとも知らず、蟲を誘引する。蟲の出没の芽を摘み取るのは、蟲を倒すも同じ……。この見回りも、同胞の仇討ちの一環だ。わかるな?」
「……はい」
「ツルギ岳登りたさのあまり、刃物で歯向かってくるクライマーも、過去いたらしい。日々訓練を重ねているわれらの相手ではなかろうが、蟲以外で傷を負うのもつまらん。いまはそちらの警戒に集中だ」
「わかりました……。それにしても今夜は一段と、お月様がきれいですね……」
眼鏡の女性兵がたまらず足を止め、満天の星をはべらせて輝く満月を見上げる。
つられて同行の女性兵も立ち止まり、顔を上げた。
「雨期明けのいま時分の満月は、地球に最も近く、一年で一番まぶしいそうだ。天体愛好家の間では、スーパームーンと呼ばれるらしいな」
「……先輩、武闘派に見えて、意外と博識ですね?」
「意外と、とは失礼な。おまえこそ、眼鏡をかけた物知り顔のくせに、こんなことも知らぬとは…………ん?」
二人を照らしていた、白々とした光を放つ満月。
それが不意に、下方から欠け始めた。
満月がみるみる三日月へと変貌する、異様な光景──。
「な……なにごと…………ブッ!」
短い悲鳴とともに、屈強な女性兵の顔面が潰れ、背中側へと全身が倒れる。
手にしていたカンテラが地へ落ち、前方の闇に、蟲の腹部を浮かび上がらせる。
満月を三日月へと変えたのは、暗闇の中現れた蟲の、頭部のシルエットだった。
「せ……先輩っ!」
眼鏡の女性兵が腕を伸ばし、自身のカンテラを同行の女性兵へと向ける。
その体は、頭部から上が肉片と血だまりになっており、既に亡骸。
思わずカンテラを引っこめ、遺体を闇へと戻す眼鏡の女性兵。
その体が蟲の腕脚によって、右腕ごと腹部をガッチリと掴まれる。
「ひいっ……あぐうっ! 身動き……できないっ!」
万力で締めつけられるかのような、蟲の強い握力。
女性兵が自由に動かせる部位は、首から上、太腿から下、そしてカンテラを前に出していた左腕のみで、移動はままならない。
蟲が顔移しをせんと、女性兵の体を持ち上げ、目線を合わせる。
カンテラの明かりによって、蟲の顔が闇夜に浮かび上がった。
「め……眼鏡? 蟲が……眼鏡っ?」
黒々とした長い頭髪、やや釣り目の黒い瞳、浅黒い肌。
そして、黒く細いフレームにレンズを嵌めこんだ眼鏡。
その眼鏡は、ブリッジ部が鼻と、耳掛け部が耳と、同化。
レンズは四辺が直角で、頭部左右の複眼と似た光沢を放っている。
「わ、わたしの顔を……移す気? だったら……顔移しの間に、助けを呼べるかも……。こ、声……。声を出さな……きゃ……」
女性兵が勇気を振り絞り、助けを呼ぶ声を張り上げようとした直前──。
その首は蟲の大顎で噛み砕かれ、発声には至らなかった。
女性兵の顔はこの蟲の、お眼鏡にはかなわなかった──。
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