第050話 やっぱりエロ眼鏡
「……よろしくお願いしますっ!」
威勢よく挨拶をし、武技堂へ入室するルシャ。
入り口の両脇に立つ女性兵以外、一見して堂内に人影は見当たらない。
(よーし! 受験者が紙とにらめっこしてる間に、めいいっぱい体作るぜ! なにしろあしたは、いよいよオレの出番だからな!)
意気揚々と堂の奥へ進もうとするルシャを、昨日声をかけてきた監視の女性兵が、出鼻をくじくように呼び止めた。
「……おい、おまえ」
ルシャは地に着けていた片脚を軸に、体をくるっと回して女性兵を向く。
「……んあぁ?」
「……入堂前の挨拶はいいことだが、おまえはなにに対して礼をしている? この堂では戦神を祀っておらず、祭壇の類はないぞ?」
「オレが礼してんのは、場所と道具にだよ。戦いが始まれば、場所も道具も体の一部。最初に挨拶をして、馴染みやすくしておけ……ってのが、親父の教えでさ」
「その教え……! やはりおまえの父君は、ランドール師範か!」
「あ、ああ……。そうだけど? 『やはり』って?」
「ははっ、そうかそうか! いや、きのう見たときから、引っかかってはいたが……師範の娘さんか! 道場の隅で、門弟の型をまねて木剣を振っていた、あの女の子か!」
「もしかして……うちの道場、出身?」
怪訝そうに、ルシャが確認。
女性兵は対照的に、喜びで体を大きく伸ばし、胸を左手でドンと叩く。
「ああ、そうだ! 師範と、師範代……おまえの兄君には、たいへんお世話になった! わたしが戦姫團に入れたのも、師範と師範代の教えの賜物だ!」
「そ……そう言われると、その師範と師範代の身内なのに、予備試験落ちたオレの立場ねーけど……。まぁ、親父と兄貴に代わって、礼言っとくよ。あんがと」
「と、ところで……コホン。師範と師範代は、元気にされているか?」
「ああ、元気元気。親父もまだ現役さ。兄貴は『そろそろ師範の座を譲れ』って言ってけっど、『身を固めてない半人前に道場は譲れん!』って突っぱねてるよ」
「なっ……なに!? すると師範代は……まだ独り身であられるか!?」
女性兵が正面からルシャの両肩を掴み、激しく前後にゆすって返答をせがむ。
ルシャの上半身が、残像を多数作りながら前後に揺れた。
ルシャはウィッグがずれないように、とっさに頭部を両脇から手で押さえる。
「あわわわわわっ!
「……そうか! ならば再来年の退役後には、お礼の挨拶に伺おうぞ!」
女性兵がルシャを解放し、左拳を掲げて謎の決起。
ルシャは揺さぶられた脳を落ち着かせるように、頭部を左右からぎゅっと掴む。
(さ、さすがうちの道場出身だけあって、バカ力だな……。ウィッグは守ったけど、首の骨折れるかと思ったぜ……)
徐々に頭部と首の付け根の痛みが治まっていく。
そして、痛みが引くと同時に、ルシャに閃きが起こった。
「あっ……! ってことはあんた、オレの姉弟子! かわいい妹弟子のために、いっちょ剣の稽古、つけてくんねーか!?」
現役戦姫團員と、剣の打ち合い──。
ルシャがこの城塞へ来た目的を、叶えるチャンスが目の前にあった。
「……いや。姉として妹君の願いを聞きたいのは、山々だが……。團員は他流試合を禁じられている。それに、受験者やその従者への過度の接触も厳禁だ。こうして思い出話をするくらいが、せいぜいだな。すまない」
(姉じゃなくて姉弟子だし、妹君って……。もしかしてこのねーちゃん、あの脳筋兄貴に惚れてるのか?)
知り合いとも他人とも言い難い女性兵との距離感に、とまどうルシャ。
その右後方から、ルシャに聞き覚えのある声がした。
「……ならば、わたしと打ち合ってくれ。ルシャ」
ルシャが声の出どころを向くと、そこには己に向かって歩いてくる、セリの姿があった。
「へっ? あっ……エロ眼鏡! いたのか!?」
「堂の隅にな。おまえを待っていた」
武技堂一番乗りと思っていたルシャは、セリの姿を見て軽く動揺。
そしてワンテンポ置き、この場にセリがいることの不自然さに激しく驚いた。
「……って、おまえ試験中だろーがっ! なんでここにいんだよっ!?」
「学問試験なら、解き終えてきた。もっとも半分以上、当てずっぽうだがな」
「そ……そういやおまえ、オレと同じでバカだったな。でも、諦めんの早すぎだろ……」
「下手の考え、休むに似たり。ならば早めに退出して、おまえと二人っきりになろうと考えた」
「えっとさ……。なんでおまえ、オレにこだわるわけ? オレたち……ここに来る前に、どっかで会ってたか?」
先ほどの女性兵の件もあり、ルシャは一応、過去を探ってみる。
「……いや、登城前の麓が初対面だ。ルシャはわたしの初対面の相手。だから少しでも、長く一緒にいたい」
「いや意味わかんねーぞっ! わかるように説明しろよっ!」
「ふむ……。では、おまえが勝ったら、詳しい事情を話そう。だが、わたしが勝ったら……」
「……勝ったら?」
イヤな予感しかしない……といった様子で、しかめっ面になるルシャ。
セリは左手の人差し指を立て、自分の下唇に触れさせると、その指先をルシャの唇の手前へ差しだした。
「……おまえの唇を貰おうか」
「はあああぁあああぁああああぁああっ!?」
「なにしろわたしは、エロ眼鏡だからな、フフッ……。わたしに勝つ自信があるならば、どのような条件がつこうと、構わないはずだが?」
「へっ……! 初対面のくせに、オレの乗せかたよく知ってやがるな! いいぜ! 唇でも舌でも賭けてやる!」
「……決まりだな」
セリが小さく口角を上げて微笑。
ルシャのわきを通りすぎ、それまでルシャと話していた女性兵へ話しかける。
「受験者番号34、セリ・クルーガーです。受験者があすの武技試験の調整のために、従者と寸止めの稽古をすることに、問題ありませんか?」
「む……。従者が一方的に受けるだけの修練ならば問題ないが、受験者を交えた打ち合いとなると、好ましくない……が……」
女性兵が語尾を濁しつつ、ちらりとルシャへ目を向ける。
ルシャは鼻息を荒くし、眉の両端を釣り上げて、両拳を握り、臨戦状態。
その真剣な顔つきは、女性兵の師であるルシャの父と兄、そっくりだった。
女性兵は「しかたない」といった、諦観の微笑を浮かべた。
「……両者、いまから渡す防具を着用。狙いは肩と膝のみ。5分経過、ないし新たな入堂者があった時点で終了。そして、このことは言外不可。これでいいな?」
「おうっ!」「はい!」
ルシャとセリが、声を重ねて返答した。
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