第051話 円と角

 防具を身に着け、リングへ上がるルシャとセリ。

 ヘッドギアは表面がキツネのなめし革で覆われ、内部は柔軟性のある木材を麻糸で網目状に巻いた層と、綿の層が、複数重ねてある。


(へへっ……。ヘッドギアがあると、ウィッグ固定できて助かるぜ。これで思いっきりれるな)


 防具は、両肩、両膝、腹部、肩甲骨の間……の6カ所に、ヘッドギアと同様の素材のクッションがあり、それを革製のベルトで固定する作り。

 防具と肌の間には空洞があり、打撃の衝撃がダイレクトに人体へ及ばないようになっている。

 ルシャがリング上でセリと目を合わせ、口を開く。


「……眼鏡、そのままでいいのか?」


「ああ。眼鏡を外すと、相手が見えなくなって、かえって危険だ。それに……」


「それに……なんだよ?」


 間を作っていたセリが、眼鏡のブリッジを左手の中指でスッ……と上げ、無表情のままで続ける。


「『エロ眼鏡』から眼鏡を取ると、『エロ』になってしまうからな。さすがにそれは遠慮したい」


「ははっ、なるほどな」


「勝負は先ほどのとおり、寸止め。狙いは肩と膝のみ。制限時間の5分内に、3点先取で勝利。時間切れの際は、その時点の点数で判定……で、どうだ?」


「突き禁止……ってのを、加えていいか? 的が小さいと突きばっかやってくる奴いるんだけど、オレ的にあれ興醒めでさ。突きってスタイル否定するわけじゃねーんだけど、5分でそれはちょっとな」


「いいだろう。では、切っ先を合わせたら、勝負開始だ」


「……ああ」


 二人がリングの床に描かれている、初期位置を示す円の上に立つ。

 初期位置は、標準的な体格の者ならば、木剣の間合いから外れた位置取り。

 互いに木剣を両手で握り、体の正面に掲げる。


 ──カッ!


 切っ先を軽くぶつけあった音を合図に、勝負開始。

 手始めにルシャが1歩間合いを詰め、木剣を左上方から右下方へと振り下ろす。


 ──ガッ!


 セリが右下方から左上方へ木剣を振り、それを弾く。

 そして今度はセリが、上げていた木剣を振り下ろし、ルシャが下から弾く。


 ──ガッ!


 互いの剣圧、剣速を見定めるための、間合い外からの挨拶のようなやり取り。

 二人とも木剣を体左側に斜めに下ろし、目を合わせる。

 セリの眼鏡の奥で、切れ長の瞳が光る。


「速い……な」


「へへっ……。おまえの剣圧も、なかなかのもんだぜ」


 ルシャは平静を装って返したが、セリの振り下ろしを弾いた木剣はビリビリと微動を続けており、握る掌には、痒みを伴った痺れが生じている。


(……やべぇやべぇ! きのう糸目女の剣を打ってなかったら、いまので動揺しちまってたぜ! 糸目とまではいかないまでも、かなり重い剣だなエロ眼鏡! おかげで……火が着いたぜ!)


 ルシャが2歩踏み込み、寸止めの的である肩と膝を間合いに入れる。

 上方からのコンパクトな振りで、セリの右肩を急襲。

 しかしセリはその出がかりを剣の中ほどで弾き、剣先に分散しておいた威力と、弾いた際の反動を用いて、ルシャの左肩へカウンター。


「……うおっ!?」


 ルシャが後ろに下げていた左足を軸にし、右足の踵で床を蹴って、低空飛行ですばやく後退。

 身を引き、間合いを取ったルシャが見たものは、それまで己の左肩があった位置で静止する、セリの木剣の切っ先だった。


「わたしの寸止めが先だったぞ、ルシャ」


「へっ……わーってるよ。いまのはちょっと、読まれてたふうだったな。丁寧に攻めねーと、痛い目見そうだぜ」


 先制ポイントはセリ。

 しかしルシャには、悔しさも不甲斐なさもない。

 胸を心地よくざわつかせ始めるその感情は、まぎれもなく喜びだった。


(変な言い方だが……こいつとは恐らく、剣の相性がいい! スピードはオレが一歩上。だが剣圧は向こうが一枚上手。で……総合力は同じほど! こういう、タイプ違いの同クラスってのが、一番楽しいんだ!)


 ルシャが的へ切っ先が及ぶ距離まで一気に詰め、猛攻を開始。

 セリの両肩両膝を、円の剣筋で狙い打つ。

 セリはその円の内部に、一回り小さい四角形の剣筋を描き、コンパクトな動きでスピードの差を埋める。

 円の中に四角、四角の中に円……。

 的を意識しつつ、互いにじわじわと剣筋を狭め、剣の衝突の間隔を短くしていく。


 ──ガガッ!


 互いに、もうこれ以上振りを小さくできない……というところまで打ち合うと、剣の中ほどを激しく弾きあって、間合いを取った。


「……ははっ! やるじゃねーか、エロ眼鏡」


「ルシャもだ。おまえが本気で打ち合える相手で、わたしはうれしいぞ。せいっ!」


 今度はセリが、先手を取る。

 ルシャの両肩両膝を、直線の軌跡で繋ぎつつ、狙う。

 ルシャは先ほどと同じく、セリの剣筋の内側に入り込み、円の動きで防御。


(くっ……! 守勢に回ると、剣の重さがきついな! 関節のバネをきっちり使い切らねーと、弾ききれねーぞこれ!)


 踵と膝の屈伸、腰と手首の回転、肩と肘の力みと脱力、すべてを連動させて剣にスピードを載せ、セリの剣圧に対抗するルシャ。

 少しずつセリの動きを抑え込み、その方形の剣筋を、円形の剣筋に内包して封じていく。

 そしてまた、互いに振りを極限まで縮めたところで剣の衝突が起き、二人の体が反発するかのように後方へ飛んだ。

 その様は傍から見ると、阿吽の呼吸によるアドリブの演武。

 着地したルシャは、疲労をにじませた前傾姿勢で、呼吸も荒い。

 しかし、ゆっくりと口を大きく開け、作為のない笑みを浮かべる。


「はあっ……はあっ…………ははっ! 楽しいぜ、エロ眼鏡! おまえと打ち合ってると、体がいい感じに動くっ!」

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