第052話 眼鏡ブリッジ
ルシャの表情を真似るかのように、同じように口を開け、目を細めるセリ。
「わたしも……楽しいぞ。剣を握って楽しいと感じたのは、これが初めてだ」
「はぁ……ふぅ……。なんだよ……おまえ……。イヤイヤ剣の腕、磨いてたのかよ……はぁ……はぁ……」
「ああ。わたしには、これしか取り柄がなかったからな。だがルシャのおかげで、これからは少し、好きになれそうだ。ふぅ……」
「この城塞に、登る前……。麓でおまえを『見る専』呼ばわりしたこと、謝るぜ……。軽く見て……悪かった……なっ!」
ルシャからの、スピード最重視の低い姿勢の仕掛け。
これまでの攻防でタイミングを掴んでいたセリが、余裕をもって受け弾く。
そして三度始まる、円形と方形を織り交ぜ合う剣戟。
今度は、打ち合いの中で攻防が入れ替わる乱打戦。
ルシャは時折セリの剣筋をかわして攻勢に転じ、セリも時折ルシャの剣を圧しのけて、力ずくで攻守を交代させた。
(やべぇな……押されてる。言い訳にしたくねぇが、体格の差がじわじわ効いてきてる。背丈のあるエロ眼鏡のが、的と的の間隔広いからな……)
右肩と左肩、右膝と左膝、そして肩と膝の間。
長身のセリがその間隔が広いため、ルシャは的を切り替える動きを読まれやすくなり、疲労も増える。
その差はわずかとは言え、息継ぎをもはばかられる猛スピードの乱打戦が続けば、疲労の蓄積の差は顕著だった。
(丸と四角の動きじゃ、
「くっ……!?」
いよいよセリの剣圧に負け、その振り上げを受けそこなうルシャ。
かろうじて剣の軌道を逸らすも、これ以上の打ち合いは無理だと判断。
後方へ跳躍し、間合いを取って仕切り直す。
(このままじゃ、防戦一方で時間切れ……。判定負け……くそっ! せめて引き分けにしてぇ! なんか打開策ねーのかよ! 親父! 兄貴!)
木剣がぶつかり合っていた空間に、父と兄の姿を思い浮かべるルシャ。
二人の像が消えたあと、入れ替わりに、メグリの姿が浮かぶ。
(……師匠っ!?)
次いで、出立前にメグリが述べた激励の言葉が、耳の中に蘇る。
──「わたしたちが過ごしたのは2日ちょっとだけど、わたしが教えた剣捌きなんかは、ちゃんとあんたたちの頭に残ってる。記憶や思い出に答があると信じて、何事も最後まで諦めないこと! いい!?」。
メグリがルシャの腕前を確認するときに見せた、足を前後に並べ、剣を体の真正面に立てた構えが、ルシャの眼前に思い浮かぶ。
(そうだっ……師匠のあの構え! あの、足を前後に並べる線の細い構えなら、エロ眼鏡の剣の軌道を……狂わせられるっ!)
セリが間合いを詰めてきて、ルシャの右膝を狙った剣の振り下ろし。
ルシャはそれを逆手の振り上げでかろうじて弾くと、後方へ低く跳躍してリングの端に立ち、メグリの構えを真似ようと、足を前後に並べた。
その刹那──。
昨日このリングで話を交わした、フィルルの顔が浮かぶ。
そこはちょうど、フィルルから「もう半歩後ろ」と言われた立ち位置だった。
(……くっ!)
ルシャはすぐに足を左右に開き、幼少時から慣れ親しんだ家流の構えを取った。
そのルシャの不自然な行動に、セリも慎重になり、防御姿勢を取る。
互いに動きを止めたまま、数秒の時間が流れた。
「……そこまで! 時間だ!」
女性兵が声を上げ、試合終了を告げる。
二人にとって短くも、恐ろしい濃度の試合が終わった。
結果は0-1で、セリの判定勝ち。
しかしルシャの表情に、負けの悔しさはない。
ルシャは防具を外しながら、
(……師匠の構えを取ろうとした瞬間、体がそれを拒んだ。知らない流派の型を、付け焼刃でやろうとしたことへの、体の拒否反応……か?)
木剣をリング四辺を囲う麻縄へ立てかけ、ヘッドギアを外しながら、ルシャは答に行き当たる。
(いや……違う。あの糸目女だ……)
ルシャは昨日、この武技堂を去るときに聞いた、フィルルの言葉を思い出す。
──「二次試験では……受験者同士の立ち合いがありますのっ! ステラ・サテラ……。必ずやそこで、潰しますわ!」。
(……あれだ。オレはとっさにあの言葉を思い出し、師匠の構えをやめた。いまここでエロ眼鏡に、手の内すべてを晒したくない……。こんな寸止めのトレーニングじゃなく、二次試験の立ち合いで、あいつとぶつかりたい。そのときのために、師匠の構えは温存したい……と、考えた)
防具すべてを外したルシャが、その思いを散らすように顔を左右に振る。
(ふん……バカな話だ。オレは一次試験の終了とともに消える、替え玉の受験者。二次試験なんてオレにねぇ。それにエロ眼鏡だって、二次試験へ進めそうにねぇし)
リングを下り、木剣を所定の置き場へ立てかけ、防具を拭くタオルを探すルシャ。
堂内を見回すその目が、こちらへ歩んでくる女性兵とかち合った。
「……預かろう。防具の手入れは、われわれの仕事だ」
「……悪いな。姉弟子に後始末させちまって」
「最後、なにかやろうとしたか?」
女性兵は、試合終了間際の構えの乱れを見抜いていた。
ルシャは防具を手渡しながら、目を細めて穏やかな苦笑を浮かべる。
「……いや、なにも」
「そうか。師範の懐かしい動きを見せてもらった。感謝する」
「こっちこそ。ワガママ聞いてもらったみたいだな。ありがとう」
「あと……。おまえもいろいろ、大変そうだな。わたしも男勝りでな。ここへ来てからずいぶんとまぁ、言い寄られたもんだ。受け流す術も、心得たほうがいいぞ」
「へっ……?」
女性兵の物言いを、しばし理解できなかったルシャ。
ほどなく「負けたらキス」の賭けを思いだし、みるみる顔を赤くする。
リングを振り返ると、防具を外し終えたセリが、眼鏡のブリッジを左手中指で押し上げながら、ニヤリと笑みを返してきた。
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