第075話 狐狸

 ──時は戻り、ルシャ扮するリムが、闘技場へ入場。


 そのいでたちは、予備試験の体力測定時に用いられた体操服。

 白い半袖の上着に、伸縮性の強い紺色のパンツ。

 その上に防具を着け、腰に陸軍服のベルトを回すという、奇異な格好。

 自分の顔をし、自分の名を名乗るルシャを見て、リムが脂汗を垂らしながら顔を真っ赤にする。


(ああああ、あの体操服は……。予備試験のときに、半ケツになってしまった、あの忌まわしい服……!)


 リムは上下の唇を口内へ巻きこみながら頬を萎ませ、赤い耳で左右の声を拾う。

 「くすくすっ……」「ぷっ!」という小声が、鼓膜を痛痒くくすぐる。

 失笑、あるいは冷笑しているであろう声の主の顔を、リムは見る勇気がなかった。

 眼下では、そんなリムをよそに、ルシャが喜々として武器を選んでいる。


「……おおっ、モーニングスターまでありやがる! これ本でしか見たことなかったんだよなぁ! 握るだけ握ってみっか!」


 ルシャがモーニングスターの柄を握り、固定具から取り出す。

 鎖で繋がれた棘つきの鉄球が、床を目指して勢いよくぶら下がった。


「おっと、こりゃ重いな。練習なしで使うにゃ厳しいか」


 モーニングスターをぶらぶらと下げながら、武器をチェックするルシャ。

 能天気なしぐさのルシャを、手を繋いだままで心配げに目で追うラネットとリム。

 しかし試験官のエルゼルは、二人とは違った見解を示す。


「……初見の武器の重さと感触を、確かめているな。本人は無意識に行っているようだが、長年武道に慣れ親しんだゆえの所作だろう。このリム・デックスという受験者、いろいろと面白そうだ」


 エルゼルに、チームとんこつの替え玉受験を怪しむ様子はない。

 一次試験は彼女たちにとってまだまだふるい落としの段階で、砲隊長にとってのディーナのように、よほどインパクトが強い受験者でなければ、顔は覚えていない。

 エルゼルが明確に名前と顔を記憶しているのは、現在ステラの一人だけ。

 エルゼルの右隣では、弟子の健闘を期待するメグリが、ルシャを見下ろしている。

 メグリはちらっと、左手のエルゼルを一瞥。


(あちゃぁ……。わたしのかわいい弟子ちゃんが、團長様に興味持たれちゃったみたいねぇ。まあでも、ここからは顔よく見えないし。ゴーレムも、目の防護用の金網あるみたいだから、仮にカラコン取れても大丈夫っしょ)


 いまの一瞥を気配で察したエルゼルが、メグリへ顔を向ける。

 メグリも一瞥が察されたのを察し、逃げずに顔を合わせ、へらっと笑う。

 エルゼルもまた、ニッとニヒルな笑顔を浮かべ、いよいよメグリへ話しかけた。


「……あなたから見て、あの体操服の受験者はどうです?」


(あー……。わたしが何者か、露骨に探り入れてるわねぇ。しかし……ま、弟子に代わって注意を引いてあげるのが、師匠の務めかしらね)


 メグリはチームとんこつの替え玉受験を成功させるべく、少し間を置いてもったいつけてから、エルゼルの問いに答えた。


「そうねぇ……。あの白い上着、無地なのはちょっと寂しいわ。次回から、受験者番号を書いたゼッケンを張るのはどうかしら? 洗濯で番号が滲んでると、モアベターね」


「……は? いや、『受験者の体操服』ではなく、『体操服の受験者』を尋ねているのだが」


「……と言われてもあの子、まだ武器選んでるしさ。それよか隣の部屋の、両手にサーベル握ってる子の動きいいわねぇ。恐らく普段、短剣を両手で使ってるんじゃないかしら。あそこで一番軽量の得物を選んだのね」


「……ふむ。確かにあの足捌き、インファイターのものだな」


 さりげなくエルゼルの視線をルシャから逸らすとともに、自分への興味を募らせるメグリ。


「ゴーレムは能動的に攻撃しない。言い換えれば、自分の間合いで戦える。さっきの軍服の子は、リーチ目当てで長斧選んでたようだけど、このゴーレム戦、武器のリーチはあまり関係なし。あの威圧感に気圧されず、ときには踏み込んでこそ、ラストコアの動きに対応できる……というのが、わたしの雑感。いかが?」


 メグリが癖のウインクを、エルゼルへ初披露。

 エルゼルも対抗するように、両目を伏せた微笑を湛える。


「フフッ……。さすがは『鼻』のお連れ。慧眼だ」


 その両目を伏せた微笑みは「エルさまスマイル」という呼称があるほど人気で、隣のテラスからそろそろエルゼルの横顔を見ているキッカも、無言で感極まった。

 しかしメグリはそれに感情を動かされることなく、話を続ける。


「じゃあ慧眼ついでにもうひとつ。あのコアの配置、蟲ね? 本来は三位一体トリニティで破壊するもの。ふふん♪」


「……っ!? 貴様、どこでそれを!?」


 エルゼルは一瞬で笑顔を崩し、眉毛を釣り上げた険しい形相で、メグリを睨む。

 メグリはそれにも感情を動かされることなく、穏やかに返答。


「あらあら、急に。安心して。敵でもなければ、海軍のスパイでもないわ。ちょっと事情通なだけの、ただの調理婦よ」


 メグリはエルゼルから顔を逸らし、柵の上に両手をかけて、顎を載せる。

 剣の達人が殺気を受け流したかのごとき、絶妙な間の肩透かし。

 剣の使い手であり、舞台役者でもあるエルゼルは、ここからの尋問は無様と判断し、代わりに背後で着席しているアリスへ顔を向ける。

 背もたれに日傘を固定して、扇子で自身に風を送っているアリスは、エルゼルの視線に気づくと扇子で口元を隠し、上品に笑みを浮かべた。

 エルゼルには扇子の向こうの唇が、ニヤニヤと嘲笑しているように見える。


(くううぅ……。老獪な女ギツネに、腹に一物のタヌキ女め! 狐狸こりどものその尻尾、いずれまとめて掴んでくれる!)


 背中越しにエルゼルの怒りを察したメグリが、ツルギ岳へ向けて、舌をぺろっ。


(……あらあら。注意引きつけすぎちゃったかしらねぇ?)


 ちょうどそのとき、眼下のルシャが手にしていたモーニングスターを床へ置き、いよいよ武器を定めた。


「よっしゃ! こいつでいくぜ!」

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