第008話 合格
──夕焼けに染まる城下町。
円形の花壇が並ぶ広場の一角で、凝った装飾の木製ベンチに座った少女が、頬を紅潮させながらニマニマと笑みを浮かべている。
「受かった……。合格……」
毛先をていねいに揃えた、艶のあるブラウンのボブカット。
フレームに薄緑色の塗装を施した丸眼鏡。
丸っこく、白目が控えめな、深緑色の瞳。
ライトピンクの生地に白いフリルを配した、ボリューム控えめのパーティードレスと、チョコレート色のミドルブーツ。
少女は、リム・デックスと姓名が記された受験票を、繰り返し見つめる。
「歌唱……丙。学問……甲。武技……丙。華麗…………甲。ウフフッ……甲ふたつ♪ ウフフフフッ♪」
リムは受験票をぎゅっと胸に抱き、瞳を伏せて顔を上げ、試験中を振り返る。
「歌唱試験、5秒で鐘ひとつ鳴って絶望。でもあれで、かえってふっきれたわ。次の筆記試験で、普段の力を出せたもの。カメムシ臭みたいなくっさい香水つけてる子が近くにいたのは、ちょっと困ったけれど」
リムは受験票を顔の正面へ移動させると、そのまま両手を水平に伸ばした。
「なにはともあれ、予備試験合格! 一次試験を突破すれば、教員免許貰える!」
再び受験票を胸に抱き、すっくと立ち上がる。
「だってわたしの目的は~、戦姫團じゃなくて~、学校の先生になることだもの~♪ 一次試験に合格したら~、即仮病で棄権して~、故郷へか~え~る~の~よ~♪」
音程が乱れに乱れた即興の歌を口にし、くるくると身を翻す。
隣りのベンチに座っていた若いカップルが、いぶかしげにリムを見る。
「で~も~♪」
回転をぴたりと止めたリムが、崩れ落ちるようにして腰をベンチへ戻した。
受験票の「歌唱:丙」「武技:丙」の文字を見て真顔になり、眼鏡を曇らせる。
「これ……一次試験合格無理じゃない?」
素に戻ったリムの脳裏に、武技試験の一連の流れが蘇る。
「徒競走でぶっちぎりのビリ……」
「高跳びでバーに鼻から突撃……」
「幅跳びでは、ずっと手前でジャンプして、記録20センチ……」
「遠投では力みすぎて、ボールをほぼ真下に着弾……」
「腕立て伏せは3回肘を曲げたところで固まった上、パンツが食い込んでいるのに気づかず、ずっと半ケツ状態……」
「軍の一組織が、武技が丙の子を登用するとは思えない。広報が主要任務の音楽隊はあるけれど、わたしは歌唱も丙。でも……こうして一次試験に進めたということは、なにかしらの突破口が、きっとある……はず……。きっと……。はず……」
額を青く染めて、ぶつぶつとつぶやき続けるリム。
隣りのベンチのカップルが、リムの負のオーラから逃れるように立ち去った。
リムはしばらく自虐モードを続けたのち、次第に頬へ赤みを取り戻す。
「ああ……でも……華麗……甲! うれしいっ!」
受験票の「華麗:甲」の文字を凝視しながら、ぱああぁ……と顔を輝かせ、花壇の周囲をくるくると回りだす。
「わたし意外とイケてた!? 実家美容院で髪のお手入れバッチリだし、試験対策でずっとボディーケアしてきたものね! 眼鏡はマイナスポイントかなと思ってたけれど、そんなことなかった! もしかするとあの半ケツが、セクシーアピールになったのかも!」
手に持った受験票をパートナーに見立て、花壇から花壇へと踊り移る。
乱れた曲調の鼻歌と、「スキップが苦手な人」の左右が噛み合わない足取り。
テンションの高さも相まって、それは暗黒舞踏の様相を呈している。
「…………はっ!?」
リムの体がぴたりと止まる。
広場へうっすら流れてきた濃い臭気を、小さな鼻の穴が捉えていた。
「こっ……このにおいはなに!? とっても香ばしいわ!」
細い首が、ごくりと大きな音を立てて、にわかに膨らむ。
「このにおいは……お肉っ! 油っ! 油脂っ! それもかなりの、こってりギトギトっ!」
受験票の評価欄に、半分伏せた瞳がチラリと向く。
「予備試験合格……。自分へのご褒美……。きょうくらいは……」
再び響く、生唾を飲み込む音。
すぐに首が左右にぶんぶんと振られ、視線が正面へと戻る。
「ダメ! ダメよ……リム! ここでお肉や脂に手を出したら、華麗が甲というアドバンテージを失ってしまうわ! 耐えて! 耐えるのよリム!」
「耐えて」と自分に言い聞かせるリムの険しい横顔の向こうでは、立ち並ぶ家屋が水平に流れている。
手荷物を納めた鞄のキャスターと石畳が擦れあい、カラカラと音を立てる。
片手で受験票を胸に抱き、不動を保っている上半身。
それに反し、下半身はスタスタと臭気の発生源を目指している。
「あああ~♪ もうダメなの~♪ このにおい……強烈すぎるうううぅ♪ 体が勝手にぃ~♪ ララララ~♪ ラ~ド~♪」
食欲に負け、いよいよ破顔のリム。
その体は、広場を囲う生垣の先にあった小さな屋台へと、吸い込まれていった。
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