第009話 豚骨

 ラネットは詳細不明の屋台ののれんを、恐る恐るくぐった。

 むせるような蒸気と臭気に押し返され、上半身を軽くのけぞらせてしまう。


「へーい、ラッシャーイ」


 厨房内のいすに腰かけて読書中の中年女性店主が、平坦な発音で掛け声。

 店主はページを開いたままの本を食器棚に伏せ、立ち上がって腰に手を回し、年季ものの染みを蓄えた白いエプロンを締め直す。


「よいしょ……っと」


 ソバカス面で化粧っけがなく、随所で髪をほつらせた、三十路女の風体。

 肩甲骨まで伸びる髪は、うなじ辺りで、使用感のあるタオルで束ねてある。

 波打つ髪質は、ウェービーか手入れをしていないだけか、傍目にはわからない。

 髪色は濃い焦げ茶だが、生え際は黒く、染髪をしばらくサボっているのがわかる。

 その飾り気のない風貌と、気持ち吊り上がった目尻が、姉御肌の印象を漂わせた。

 ラネットはひとまず、情報なしに飛び込んだ屋台の店主が、女性なのに安堵。

 向かって左端の席へ腰を下ろし、両太腿の隙間に両手を収納。

 上半身をくいっと前へ出して、入店時に抱いた疑問を店主へ告げる。


「あの……すみません。とんこつラーメンって……」


 ──ザッ。


 質問を遮って、一人の少女がのれんをくぐってきた。

 ラネットと同じく、屋台の臭気に導かれてきた少女、リム。

 リムはスカートの裾を伸ばしながらラネットの隣へ静かに着席し、閉じた両太腿の上で、伸ばした両手を重ねた。

 そして開口一番、ラネットと同じ質問をする。


「すみません。こちらのお店……」


 ──ドスッ。


 さらにリムの声を遮って、赤毛の少女が入店。

 その少女はのれんをくぐらず、長いすのわきから横移動で乱暴に着席。

 座るなり膝を重ね、カウンターに両肘をついて前傾姿勢になる。

 ラネットとリムが、その赤毛に見覚えがあるといった様子で、短く声を上げた。


「「あっ……」」


 ラネットが予備試験の前に見かけた、俊足の少女。

 たちまち年ごろの少女たちで満席になったのを受け、店主がニヤリと微笑。

 胸の前でパチンと平手を叩く。


「……あらあら、千客万来。はりきらなきゃね」


 赤毛の少女がカウンターから店主を見上げ、ぶっきらぼうに声をかける。


「おばちゃん、この店なんの店? 肉ある?」


 ラネットとリムが赤毛の少女に顔を向け、揃ってうんうんと頷く。

 店主が両手の甲を腰に当て、顎を上げながら答えた。


「うちはとんこつラーメン専門店。それしか出せないわよ。チャーシュー……豚肉は乗ってっけどね」


「とんこつラーメン?」


「ブタの軟骨から取ったスープに、小麦粉製の麺。あとはトッピングを少々」


「ちっ……麺料理かよ。うまそうな肉のにおいしてたのに。まぁいいや。それくれ」


「はーい。3人ほぼ同時に来たから、まとめて出すわよ」


 一緒くたに注文扱いにされたラネットとリムが顔を見合わせ、双方「まあ、どうせここで食べるつもりだったし……」といったふうの苦笑い。

 リムはその苦笑を赤毛の少女へ向け、おずおずと話しかけた。


「あの……。武技試験で一緒のグループでしたよね? 大活躍でしたね」


 赤毛の少女は不機嫌そうにリムへ顔を向けると、それをすぐに正面へ戻した。


「覚えてねーな。オレ、ひょろガリに興味ねぇから」


「そ、そうですか……。わたし結構、目立ってたと思うんですけど……。アハハハ……」


 赤毛の少女はリムを思いだそうとするそぶりも見せず、無反応。

 今度はラネットが、カウンターへ頬がつきそうなほど上半身を曲げ、赤毛の少女に話しかける。


「へえー! やっぱきみ、運動得意だったんだ? 朝見かけたとき、すごいダッシュかましてたからさぁ!」


 赤毛の少女は返答せず、「おまえも知らない」と言わんばかりに一瞥。

 二人の間にいるリムが、気まずそうに代返する。


「え、ええ……。わたしたちの組で大活躍だったんですよ。遠投はすごい強肩の人がいたんですけど、ほかの競技はすべてトップでしたね」


 厨房で麺をお湯にくぐらせている店主が、鍋から視線をそらさずに、話題に入ってくる。


「あ、やっぱ戦姫團志望の子たちだったんだ? 3人ともかわいいもんね。結果とか聞いちゃってもいい?」


 これまで終始苦笑いだったリムの顔が、たちまちぱあああぁ……と晴れた。

 胸の前で両掌を合わせ、弾む声で返答し始める。


「あ、はい。予備試験、無事合格しましたっ♪ こちらのお店で、祝勝会させていただきますっ♪ アハッ♪」


 それを受けラネットは、屋台の外へ顔が飛び出すくらいに体を傾け、口から魂が抜けていきそうな苦悶の表情を浮かべる。

 赤毛の少女は、不機嫌そうな様子に変化を見せない。

 リムが左右をきょろきょろしたのち、二人の結果を悟り、冷や汗を垂らしながらフォローを始める。


「でっ、でも……。甲ふたつに丙ふたつで、まさにギリギリって感じの合格です。きっと一次試験で落ちちゃいますっ。アハッ、アハハハッ……」


「まー、人生山あり谷あり涙あり。国破れて山河あり、よ。みんなこれ食べて、元気つけなね」


 ラネット側から順に、白い陶製のどんぶり鉢が3つ、湯気をくゆらせながら並べられていく。

 ごとり……と重量感ある音を立てて置かれたそのどんぶり鉢に、ラネットも赤毛の少女も顔を向ける。

 配膳を終えた店主が、締めにパンパンと手を打ち、強めのウインク。


「味つけ用の油は野菜と干し魚で作ってっから、見た目よりはちょいヘルシーよ! 箸使える子は、そっちのが食感よくてオススメ!」


 どんぶり鉢の八分目まで注がれた、乳白色のスープ。

 その表面に無数に浮かぶ油膜、白ゴマ、ネギのみじん切り。

 スープの色より若干黄色がかった、つるつる喉に入っていきそうなストレート麺。

 厚く輪切りにされた楕円状の豚肉、2枚。

 横に2分割された、黄身が半熟の鶏卵、1個。

 端にはモヤシの束が浮かべてあり、その上には黒ゴショウがひとつまみ。

 ラネットたち3人にとって初見の料理だが、確信にも近い予感を、揃って抱いた。


(((……これ絶対うまいやつ!)))

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