第098話 エルゼル・ジェンドリー(後編)

 エルゼルが身を屈め、間合いを狭めつつ高速で左手へ移動。

 メグリのわきから首へ目がけ、長剣を振る……。

 ……はずだったがその振りは、いつの間にか真正面にいたメグリに、初動を食い止められた。

 メグリが余裕しゃくしゃくで、根元で交差しているエルゼルの剣を押し返す。


「……わたしの首に刃を添えて、『その命、預けておいてやろう』とか言うつもりだった? だったらあと3倍は、速く動いてくれないとねぇ?」


「……くっ!」


 エルゼルが低空の跳躍で間合いを取り、右足の踵を体の後方に置く。


 ──ギンッ!


 その踵の着地と同時に、メグリが剣を交えてきた。

 二人の顔の前で、交差した剣が刃を擦らせあう。

 エルゼルの後方への跳躍と同時に、メグリも前方へと跳躍して、間合いを詰めていたのだった。

 いまのやりとりを間近で見ていたゴーレム内の女性兵が、戦慄を覚える。


(バ……バカな! 團長の動きについていってる……。いや、先手を取っている……だとっ!? それもあの、だらしない中年体型で!)


 2本の剣の交差部が、じりじりとエルゼルの鼻の頭へとにじり寄る。

 エルゼルの熱狂的なファンであるキッカは、過呼吸寸前の状態。

 エルゼルは苦渋の表情を浮かべながら、剣を握る左手に右手を重ねて、両腕の力でそれ以上の剣の接近を抑えた。


「ぐうっ……貴様……。本当に……何者……だ?」


 額から鼻の両わきへ汗を垂らし、余裕のない表情で問いかけるエルゼル。

 メグリは空いている左手で指を3本立て、左目を伏せて反応。


「3択よ? 1、ただの調理婦。2、戦姫ステラ。3、オードリー・ヘプバーン」


「ぬううううううぅ……4ッ! 怪しいタヌキ女だッ!」


 言いながらエルゼルは右足を軸に、メグリの腹部目がけ膝蹴りを放つ。

 メグリもそれを、右膝を立てて受ける。


「で、出たーっ! 勝手に選択肢を増やす女~! 飲み会の空気悪くする奴~!」


「あいにくと、選択肢の外から攻めるきらいがあってな!」


 激しくぶつかり合う、二人の脚。

 片足立ちで重心がブレた二人は、剣に均等に力を入れあって、半ば申し合わせで後方へと数歩跳ねた。

 着地後、互いに体勢を整えあって、仕切り直す。

 メグリは腹部の贅肉を、軽く拳を握った左手でポンポンと叩いてみせた。


「……まあ、タヌキ女でも正解でいいわ。わたしの故郷くにじゃあタヌキってのは、人間の軍勢に加勢する聖獣でね。そういうのを、軍隊狸ぐんたいたぬき……っていうのよ」


「……そんな話は知らんっ! 貴様がどこから来たのか、イルフと一緒にじっくり取り調べてやる! わたしも郷里では『銀狼ぎんろう』の二つ名で通った女……。タヌキ女に負けるかッ!」


「うわ出たよ……若いころのヤンチャ自慢。プラス異名。ひょっとして元ヤン?」


 エルゼルは応答せず、やや前傾の姿勢で全身の力みを抜き、剣を左下方に構える。

 メグリは足を肩幅に広げて、剣を右下方に構え、こちらも楽な姿勢。

 観戦しているルシャは、メグリの足がなかなか前後に並ばず、やきもきしている。

 双方、力まず相手の出方を待っているが、唯一違うのは、エルゼルが瞬きをいっさいやめているのに対し、メグリが日常生活の頻度で瞬きをしている点──。


 ──ガキンッ!


 メグリが瞬きをした直後、エルゼルとその剣が、メグリの眼前に現れた。

 音は、すんでのところでメグリが剣を受けた際に生じたもの。


「ちょっ……なにいまの技!? 虚狼うつろ!? 歴女的にはポイント高いわよ!」


 のけ反ったメグリは、エルゼルの剣を押し返して姿勢を整えようとするも、エルゼルはここを正念場とばかりに、追撃の手を緩めない。

 メグリに反撃の機を与えまいと、斬撃と刺突を巧みに使い分け、体勢の立て直しを阻害し続ける。

 メグリはその剣を、不安定な姿勢で弾き続けるのに終始。

 それまで真顔だったエルゼルに、優勢を意識した笑みが浮かんだ。


「フッ……驚いたな。瞼の閉じ始めを見切るわが秘剣、銀狼牙ぎんろうがが防がれるとは……」


「あ、天狼抜刀牙てんろうばっとうが系のネーミングね。でもその技、使えてせいぜいあと3~4年じゃない? 三十路になると瞳の乾燥早くてさぁ。目開けっ放しなんて無理よぉ?」


「うるさいっ! わが銀狼牙を破ったのは……貴様が最初で最後となるっ!」


「それってあんたが、ここで討ち死にするって意味?」


「黙れっ!」


 いまだ上半身をのけぞらせたまま直立へ戻れないメグリの右肩へ、エルゼルが鋭い垂直の一撃を放つ。

 メグリが下方からの振り上げで、それを受けた。


 ──ガッ……カランッ!


 エルゼルが剣を振り切った。

 しかしメグリは……無傷。

 エルゼルが左手に握る剣は、刃を15センチほど残して、破断していた。

 床には、そこから先の刃が落ちており、メグリが足で踏みつけている。

 メグリはそれを足裏で蹴り、壁際へと滑らせた。

 エルゼルはなにが起こったかをすぐに察し、顔から笑みを消す。


「刃の一点を……というのか……」


「そゆこと。わたしは常に、あんたの剣の一点を受け続けた。あんたは攻めるのに夢中で、金属疲労に気づけなかった。自分が攻めてるつもりでも、実は攻められてるってこともあるの……以後注意ね。以後、ないかもしんないけど」


「くっ……うるさいっ!」


 悔し紛れにエルゼルは、破断した剣をメグリへ投げつける。

 それをこともなげに、剣ではたき落とすメグリ。

 その隙にエルゼルは横転し、ムコがゴーレム戦で跳躍に用いたまま、床に放置されていた槍を拾い上げた。

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