第187話 歌唱試験開始
──夜、音楽堂。
二次試験歌唱部門の受験者16人が横一列に立ち並び、壇上を仰ぐ。
壇上では、総試験官にして楽隊長のヴェストリアが直立し、背後には、担当の楽器を携えた楽隊の女性兵が並ぶ。
その隊列の中央で、装飾が細やかな来賓用のいすに鎮座するのは、陸軍研究團の異称「耳」、トーン・ジレン。
自らを強引に試験官の任へねじこみ、ラネットの不正を看破せんとこの場に座す。
(あの眼鏡の女が……リム・デックス。そして恐らく……変装したラネット)
トーンの視界には、ヴェストリアの後ろ姿。
そして、その向こうで横一列に整列する、受験者たち。
向かって右端にいる、ラネット扮するリムの姿に、トーンは視線を向ける。
トーンはこの試験の場においても、顔の前面を覆う長い前髪はそのまま。
両眼の前にある髪に指を挟んで隙間を作り、ラネット扮するリムを見る。
(髪型も……髪色も違う。ここからは……よく見えない、けれど……。瞳の色も……違うよう。瞳の色を変えられる、技術の有無は……。穴暮らしのわたしには……わからない。でも、声を聴きさえすれば……即、確実に、看破……)
トーンは髪を元に戻し、背もたれからわずかに離れていた背を、再び着ける。
ほぼ同時に、ヴェストリアが一歩踏み出してステージの縁に立ち、受験者たちを見下ろした。
「……それでは陸軍戦姫團入團試験、その二次試験、歌唱部門を始めます。総試験官、および指揮者はわたくし、戦姫團音楽隊隊長、ヴェストリア・マーヴェリック。演奏は、陸軍戦姫團音楽隊」
──ザンッ!
音楽隊の一同が、あいさつ代わりに短く鋭い一音を鳴らす。
その音を受けて、受験者たちの背筋がいままで以上にピンと伸びた。
「試験は事前の告知通り、選曲自由。各々、歌唱前に曲名を申告。われら音楽隊、国内の著名な楽曲はそらんじていますが、新しめの歌謡曲や、地方土着のマイナーな曲については、レパートリー漏れもあります。その際は、第2希望の曲名を挙げなさい。では、これから5分間、質問を受けつけます。疑問点があらば、左手を挙手なさい」
ヴェストリアが声を止めてから、数秒の沈黙。
それを破って、カナンが指を広げた左手を挙げ、左右にぶんぶんと振った。
「はいはーい! 質問でーすっ!」
「……はい、は一回。手は振らない。指先を揃える」
「はーいっ! すみませーん!」
あまりにも緊張感を欠いた、浮ついた感に満ちたカナンの挙手に、ヴェストリアの表情が苦虫を噛み潰したように変化。
しかしその背後では、トーンが前髪の奥で、苦虫を前歯で噛み砕き、奥歯ですり潰しているかのような、苦々しい顔を作っている。
(こ……この、耳から反吐が出そうなほどの、甘ったるい声……。たびたびラネットと……一緒に歌っていた女は……こいつかっ!)
トーンは肘掛けの先端を両方の指先でカリカリと擦りながら、苛立ちを
そんなトーンの存在も知らず、カナンは朗らかな笑顔で質問を続行。
「カナン、自作の歌で勝負したくって、譜面を持参しましたっ! オリジナルソングで試験を受けても、大丈夫ですかっ? アハハハッ!」
カナンが手にしていた楽譜の束を両手で頭上に抱え、瞳を閉じた笑顔で、上半身ごと左右にゆらゆらと揺らす。
ヴェストリアは小さな溜め息をついたあと、半ばあきれ顔で返答。
「……構いませんよ。ただし、譜面に破綻がないか、事前に確認をします」
「ありがとうございまーっす! これでカナン、100パーセントの実力出せちゃうな~! キャハッ!」
ご機嫌そうに、譜面の束を両手で胸に抱くカナン。
そのカナンを、灰色の前髪と、ヴェストリアの背越しに睨みつけるトーン。
(100パーセントの実力……ふん。わたしが試験官に、いる以上……。おまえに、好結果は……ない。おまえの声は……わたしの耳にとって、蟲の羽音と同じほど……不快な音なの……だから!)
総試験官であるヴェストリアは、背後にいるトーンが恣意的な採点を決めこんだのも知らず、粛々と質問の受け付けを継続。
カナンに続く質問者が出なかったため、質問タイムを早めに打ち切った。
「……では、説明は以上で終了。歌唱試験に移ります。試験は、一次試験の総合成績の下位から順に、単独で行います。一人目となるシャガーノ・モーヴルは、そのままこの場に。ほかは一列で退堂し、呼び出されるまで廊下のいすで待機」
ヴェストリアの発言が終わるのを待って、音楽堂のドアが開く。
開けたのは、本試験の待機列を監視する、砲隊長のノア・グレジオ。
日中の蟲との戦闘に参加しなかった砲隊は、歌唱試験のサポート役を担っていた。
一次試験の総合成績15位であるセリを先頭に、受験者たちが一列で退堂。
最後尾のラネット扮するリムは、ドアを向けたところで、静かに大きく息を吐く。
(ふーっ……。わかってはいたけど、本当に試験会場にトーンがいた……。咳払いだけでも正体見破られそうで、すっごい緊張したぁ……。ああ、本当にボクの想い、歌で届くのかなぁ……。でも、でも……そう信じるっきゃない!)
ラネットは両指を絡ませながら掌をぎゅっと合わせ、覚悟を決め直した──。
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