第188話 雪解け水の行進曲

「──ありがとうございましたっ!」


 一番手のシャガーノが歌唱を終え、退堂。

 ドアを抜けたところで、廊下で待機列を管理している砲隊長・ノアが叫ぶ。


「試験終えし者は、そのまま自室へ戻れッ! 以後は入湯トイレ以外退室禁止ッ!」


 日中の蟲との戦闘による、二人の殉職者。

 ノアは、自身が率いる砲隊がその場に出向けなかったこと、仮に出陣できていたとしても、樹上を自在に動くタイプの蟲には手も足も出なかったであろうことに、じくたる思いを溢れさせ、言葉を荒くしていた。


「次の受験者ァ……入堂ッ!」


 廊下の端に並べられた長いす。

 その、最もドアに近い位置に腰かけていたセリが、さっと立ち上がる。

 その表情はいつも通りの精悍さながら、唇の端と涙袋付近が、緊張でピクピクと細かく震えている。

 ルシャと出会う前には見られなかった、セリ自身にも自覚のない、感情の機微。


(……二番手で助かった。待ち時間が長ければ、曲調を忘れる恐れがあった。屋外で晒してしまったあの醜態で、ルシャに練習相手を頼めなくなっていたしな……)


 先日、左右からトランティニャン姉妹に絡まれているルシャを見て、生れて初めて嫉妬という感情を覚えたセリ。

 それに加えて、思わずルシャに冷たく当たってしまった。

 のちに自室で家庭教師より、「嫉妬は決して恥ずべき感情ではなく、抱えこむと苦しさが増す」と教わったものの、17歳にして初めて覚える嫉妬心の解消は難しい。

 ルシャに会うのを恐れるセリは、自室でこっそり家庭教師と、歌の練習に励んだ。

 その一連の流れを振り返りながらセリは、壇上から見下ろしてくる総試験官にして指揮者・ヴェストリアの前に立ち、一礼。

 顔を上げ、課題曲のタイトルを告げる。


「……『雪解け水の行進曲マーチ』を、お願いします」


「歌劇『厳冬の国の舞踊姫』、第三幕前半の曲『雪解け水の行進曲』……ですね?」


「……はい。そちらです」


 普段の精悍な顔つきで「はい」と答えたセリだったが、内心では「正確な曲名を問われず、助かった」と安堵。

 一方のヴェストリアは、わずかに緩んだセリの頬へ、厳しい視線を刺す。


「……それは、『ラ』と『ル』しか発声がない歌ですよ? いいのですか?」


「同行の家庭教師が、単純さゆえの難しさがある歌だと、選んでくれました」


「わかっているならば、けっこう。始めましょう」


 ヴェストリアが眼下のセリへ背を向け、楽譜のない楽譜台へ置かれた指揮棒を、右手に取る。

 それが大きく左右へ振られると、長めのフェードインとともに、軽やかな調べの演奏が始まった。

 セリは歌い出しを誤らないよう集中しながら、口と喉を開いた──。


「────────♪」


「────────♪」


「────────♪」


 ──ほどなく歌唱が終了。

 セリは「大きなミスはなかったはず」と内心で自己採点をしながら、息継ぎ。


「……ありがとうございました」


 演奏へ謝辞を述べ、壇上へ向けて深々と一礼し、セリが退堂。

 ヴェストリアはドア付近にいる部下へ、「次の受験者は少し待たせなさい」と身振りの合図を送ってから、背後でいすに座るトーンへと体を向ける。


「……ジレン様、いかがでしたか? いまの受験者は?」


 トーンは聴音壕内での無表情を崩さず、腰を下ろしたままで、ぼそぼそと返答。


「全般的に……曲を追っていた……。曲調を……掴めていない証拠……。あと……『ラ』の出だしでは、すべて音を外していた……。わたしなら……減点する……」


「さすがは異能『耳』……。そうですね。演奏に追いすがるように、歌が遅れていました。明らかな練習不足。ですが出だしの発声は、わたしの耳では外れていませんでした」


「いや、外していた……。『ラ』の発声の前に……短く『シャ』と挟んでいた……。たぶん……訛りの類の、癖……」


「いえ。そうではなさそうです」


 ヴェストリアは左右に数回首を振ると、わずかに表情を厳しくし、あたかも生徒を指導する教師のように、セリの歌唱について解説を始める。


「歌劇『厳冬の国の舞踊姫』第三幕前半は、厳冬の山に囲まれた城の姫君が、恋する隣国の王子との再会を待ちきれず、山を流れる雪解け水に『もっと早く流れて、さっさと溶けなさいっ! ほら、もっともっと岩や川底にぶつかって、水温を高めて!』と、言いつける場面です」


「それが……?」


「姫は冬が来る前に、王子とケンカ別れをしています。王子に嫌われていないだろうか……。早く誤解を解きたい、仲直りしたい……。冬の間に、別に好きな子ができたらイヤだ……。姫はそういう焦りと不安を抱いて、雪解け水へ歌いかけるのです。多感な少女の揺れる心を、多重に内包した難しい歌なので、歌詞を『ラ』と『ル』に限定したという、作詞者の逸話があります」


「だから……それが?」


「──ルルルルルル……シャララララララ……♪」


 ピンと来ていないトーンへ向けて、ヴェストリアはセリの歌を簡易に再現。

 歌い終えて、話を続行。


「……いまの受験者、セリ・クルーガーには、『サラ』『ルシア』辺りの名前の、想い人がいるのでしょうね。そして恐らく、歌劇の姫と同じように、その子とはいま微妙な関係にある……。その心の機微が、しっかりと歌に籠っていました。わたくしをはじめ音楽隊の皆には、あの受験者に姫の姿が重なって見えていました。歌唱力そのものは研鑽の余地だらけでしたが、歌とのシンクロには、加点を授けます」


 ──ヴィッ♪


 ヴェストリアの最後の言葉に合わせて、奏者全員が短く肯定の音を鳴らした。

 10秒ほどの間を置いて、トーンが表情を変えずに言葉を返す。


「……なるほど。この試験では……そういう採点を、するわけ……」


「……ええ。わたくしたちの採点とは、そういうものです」


「ただ耳のいいだけの女には……務まらない……。そういう……意味……」


「ご自分から言ってくださり、助かります。ですので、同年代の少女と接するたまの機会……とでも思って、おとなしく座っていてください。人間の耳では捉えられない声……たとえばでもいましたら、そのときは、その異能の耳に頼らせていただきます」


「……フン」


 ラネットの替え玉受験を看破し、城塞から追い出すだけが目的で、むりやり試験官に割りこんだトーン。

 「音楽で蟲を倒す」という己の願望のために、トーンの試験官入りを認め、利用せんとするヴェストリア。

 二人は互いのエゴをぶつけ合うがごとく、宙でバチバチと視線から火花を散らす。

 二人は、お目当ての受験者が同一人物であることを、まだ知らない──。

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