第101話 ラネット・ジョスター

 ──一次試験・武技部門、ゴーレム戦。

 メグリとエルゼルの戦いも含めて、4時間弱の試験が終了した。

 観戦した従者たちは、主である受験者の見守りと、他の受験者の得点の把握を目的にしていたが、最後のメグリとエルゼルの一戦を見て、戦いというものの厳しさ、恐ろしさを再認識。

 同時に、その戦いの場を作ったゴーレム役、ならびに整備役の女性兵たちへのリスペクトを抱いた。

 やがてテラスの女性兵たちに促され、従者たちは試験会場をあとにする。

 ルシャの両腕には、いまだにイクサとシャロムが寄り添ったまま。


「おまえらいいかげん離れろよなぁ! オレぁ止まり木じゃねぇぞ!」


「……すまない。われら三姉妹には、過度に緊張すると身を寄せあう癖があってな。中央センターのカナンと合流するまで、悪いがこうさせてくれ」


「ルシャさんには~。これを見られたらまずいお相手でも、いるんですか~?」


「いっ……いねぇ! そんなエロい考えの奴はいねぇ! あーもうっ、わかった! 部屋に着くまでだぞっ! でも後ろの、ジト目のねーちゃん! あんたはいいかげん離れてくれっ!」


 ルシャの両肩を掴んで杖替わりにし、背後霊のように体重を預けているキッカ。

 その額は真っ青で、唇は紫寄りの血色になっている。


「……すみません。エルゼル様の雄姿と窮地を過剰摂取したので、立つのもやっとの疲弊です……。部屋まで……同行させてください……」


 女子3人に三方を囲まれて、足取りが重そうな様子のルシャ。

 それを離れたところから見たラネットが、笑いを漏らす。


「あははっ。ルシャってば、蛙軍かえるいくさのメスみたい。あの眼鏡の人に、見つからなきゃいいけどねー」


 後頭部で手を組み、自分も宿舎へ戻ろうとするラネット。

 その背中へ、低い位置から声がかかる。


「ちょい待つでし。ラネットちん」


「…………?」


 ラネットが振り返るとそこには、登城時に受験者の筆跡鑑定を行い、ラネットたちの幌馬車へ同乗してきた、陸軍関係者のシーの姿があった。

 ラネットより頭二つ分低い背丈、白衣に瓶底眼鏡、薄桃色の天然パーマ気味つんつんヘアーという、忘れがたい特徴的な容姿。

 ラネットがしゃがんでシーと目線の高さを揃え、返答。


「なにかご用ですか?」


「あー……。相手と目線を合わせる習慣が身に着いてるのは殊勝でしが、それは子どもかペット相手のときに限るでし。目上の者にするのは、慇懃無礼でしよ?」


「し、失礼しましたっ!」


 ラネットが急遽膝を伸ばし、直立して一礼。


「ふむふむ。すなおでよろしいでし。実はラネットちんに、軍のお仕事を手伝ってもらおうと思って、呼び止めたでし」


「軍のお仕事を……ボクに……ですか?」


「なに、簡単なお仕事でし。そこの中央のテラスから、ツルギ岳へ向かって、この紙に書いてある文字を大声で叫んでほしいんでしよ。城内の伝令系統の確認作業でし」


 シーは後ろ手に握っている巻き紙をラネットへ見せることなく、中央のテラスへと向かう。

 ラネットはその後ろを、1メートルほど間を置いてついていく。


「あの……。一介の従者のボクが、そんなことしても……いいんでしょうか?」


「ラネットちんの声は、よく通りそうでしからね。声さえでかければ、ウシでもウマでもいい作業でしから、気軽にやるでし」


「は、はい……」


 先ほどまでエルゼルやメグリたちがいた、いまは無人の中央のテラス。

 ツルギ岳が真正面にそびえ、真上からやや西寄りに傾いた太陽が、その影をラネットへと短く向けさせている。

 ゴーレム戦時の喧騒が消えたいま、この場であらためて見るツルギ岳の威容に、ラネットは圧倒されそうになった。

 そんなラネットへ、シーが巻き紙を広げずに手渡す。


「そこに書かれてある文字を、腹の底から叫ぶでしよ?」


「はい……!」


 巻き紙を受け取り、胸元で横に広げるラネット。

 紙の中央に書かれていた文字列を見て、心臓がびくっと高鳴る。

 これまで何千回と叫んできた人名が、そこにはあった。

 ラネットは十数秒その文字列へ目を奪われたあと、やや呆けた表情でゆっくりとシーを向き、震え気味に声を発した。


「そう言えば、ボク……。シーさんに名乗ったこと、なかったですよね……」


「よけいな詮索するなら、このお仕事はナシでしよ? ?」


 シーが上下の歯を見せて、ニカッと笑う。

 その笑顔は、ラネットが再会を願い続けていた少女が、この城塞内にいるという確約だった──。


「……はいっ!」


 手中の紙を四つ折りにし、エプロンのポケットへとしまう。

 喜びで瞳全体に滲んだ涙を手の甲で拭き、洟を軽くすすって、口内に湧いた甘酸っぱい唾液を飲み下す。

 両手を垂直に挙げて背を伸ばし、ふうふうと、肺の中の空気を一旦入れ替え。

 体中の力みを抜き、息を吸い込み始めながら、両頬のわきへ掌を立てる。

 長年想い続けてきた少女の名を、喉の奥へ用意。

 ──叫ぶ。


「トオオオオオオオオオオオォ…………ンンンンンンンンンンッ……!」


 人生で一番の大声。

 ボクの声で、ツルギ岳を吹き飛ばしてみせる……。

 そんな気迫で、ラネットがトーンを呼んだ。

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