第108話 紅潮

「ンッ……んちゅっ……んんっ!?」


 体の背面を防音室の壁へ押しつけられながら、不意に唇を奪われる

 すぐに口づけを解いたセリの表情は、悪びれる様子のない真顔。

 一方のルシャは、本日2度目の同意のないキスに憤慨。

 眉の端をつりあげて、手の甲で口を拭きながらキレる。


「だああぁああっ! てめぇ、なにが『口の動きをよく見せてくれ?』だ!? やっぱエロいことすんじゃねーか!」


 恥ずかしさをごまかす意図を帯びた、ラネットにも劣らない大きな怒声。

 それを外部へ漏らさぬほどに、音楽堂の防音室は設計が確かだった。


「……すまない。ルシャの赤い顔を見ると、どうしても唇を重ねたくなる。特に、赤い顔で視線を逸らされたときなどは、キスをせねば……という使命感さえ湧く」


「そういうのは使命感じゃなくて欲望ってんだ! それにオレが目逸らしてんのは、アブネー奴と視線合わせたくないからで、隙見せてるわけじゃねーから!」


「ルシャは……。わたしとキスをしたいと、思ったことはないのか?」


 真顔のままで、厚かましくも素直な疑問を投げかけるセリ。

 質問を終えた際、眼鏡の縁を両手で正し、額に数本垂れてた前髪を指で払って、わきへと揃えた。

 大人びた顔立ちのセリが間近で見せる、なにげない挙動。

 感情をすぐ表に出すルシャには、理知的な容貌のセリが見せるしぐさがやけに艶めかしく思えてならず、不覚にもときめきを抱いてしまうため、つい視線を逸らしてしまう。


「あ、あるわけねぇだろ……。そんなこと……あるわけ……」


「そう。その顔だ」


 セリが再びルシャの唇を奪おうと、顔を寄せる。

 ルシャはとっさに視線を正面へと戻し、セリの両肩を掴んで接近を阻止。


「いいかげんに、しろよぉ……。エロ眼鏡から、変態眼鏡に格下げすっぞ……」


 ルシャはいよいよ。セリの腹部へ左足を押し当て、全力でキスを拒む。

 その拒絶を受けたセリは、数歩下がってルシャと体を分かち、足跡をうっすら写したドレスの皺を両手で押さえながら、小さく呻く。


「……痛い」


 眉をひそめ、目を補足するセリ。

 表情に乏しいセリが初めてルシャへ見せた、悲しみの顔色だった。


「あ……わ、わりぃ。そんな力入れてなかったけど、痛かったなら……謝る。ごめん」


「いや、そうじゃ……ない。ルシャに拒絶されることが、痛く、苦しいのだ。生まれて初めて出会えた、顔が見えるおまえに拒絶されたら……。わたしは、もう……」


「あ、いや……えっと、あのな……? おめぇのこと、嫌いじゃ……ねーよ? うん。だからこそこうやって、歌の練習つきあってんだしさ? それに剣に関しちゃ、いいライバルだって思ってる。でもいきなりキスされちゃあ、こっちも怒るぜ? 剣の試合でいやぁ、『はじめ』の合図の前に斬りかかるようなもんだし……さ?」


「あ、ああ……。その剣の例えは……わかりやすいな。要は、一戦交えるならば、互いに構えを取ってから……だな?」


「そうそう! そーゆーこった! まあ、おまえとはまたりあいたいって思ってっから、そんときゃまたキス賭けてもいいぜ。でももう負けるつもりはねーけどな……って……おいっ!? おまえ、いったいなにをっ……!?」


 「例えがわかりやすい」と褒められたことに気を良くし、うんうんと得意げに頷きながらフォローの言葉を続けていたルシャが、驚きでそれを中断。

 セリが両手を背後へ回して、腰周りでドレスを締めている帯を緩める。

 次いで、ドレス背面上部のホックを肩越しに右手で外すと、下から回した左手で、ファスナーを一気に終端の尾骨付近まで下げた。


「こうすれば……。ルシャと同じ、赤い顔になれるか?」


 セリはドレスを左右へ広げて両肩を見せたのち、一気に脱ぎ下ろす。

 床でしぼむドレスに替わって、白い肌、細くしなやかな胴と四肢、固さと柔らかさを同居させているのが見た目だけでわかる豊かな胸部、細かい装飾が施された黒い上下の下着……が姿を現す。

 セリの唐突な脱衣、そして女なら羨まずにはいられない見事なプロポーションを目の当たりにして、ルシャは感情を整理しきれず、目と口をふにゃふにゃ歪ませながら、とりあえず思いついた言葉を声に出していく。


「あわわわわ……。お、おまえ……。なに……やってやがんだ……。ここは風呂じゃねーぞおい……」


「どうだルシャ? わたしの顔は……頬は、赤いか?」


「いや全然赤くねぇ……。いつもとおんなじだ……。だから、変なマネよせっての……。見てるこっちのが、顔赤くなんだろ……」


「いまのその、ルシャの顔になりたいのだ。互いにキスをしたくなる顔となれば、剣の立ち合いで、双方構えたのと同じだろう」


「わ……わけわかんねーこと言ってんじゃね…………うわああっ!?」


 セリが両手を背後へ回し、ブラジャーのホックへと指を添えた。

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