第048話 断罪


 ──午前10時4分。


 緊張と静寂に満ちた講堂に、ドアが開く音がゆっくりと響く。

 試験官に先導されて講堂へ入ってきたのは、細身の老女、アリス・クラール。

 背筋をぴんと伸ばし、光沢を帯びた白く長いツインテールを垂らしている。

 受験者は待機中前を向くよう言われているが、多くの受験者が首を気持ち斜めに傾けて、軍機と呼ばれる「鼻」の姿を目尻で捉えようとした。

 アリスの姿を確認したエルゼルが、その場でかかとを揃え、両手を体の両脇に添えて、深々と頭を下げる。


「……ご足労、感謝します。クラール様」


「いいえ。わたくしもたまには、軍の色に染まっていない少女と接しないとね」


 アリスが微笑を浮かべて返答。

 その笑みとともに、顔の皺がいっそう深みを増した。

 告発者のステラと被疑者のヴァンの中間であるリムの席からは、アリスの姿がよく見える。

 リムには、エルゼルが口にした「クラール」という姓に覚えがあった。


(クラール……。お師匠様の……手紙の宛先人!)


 リムの思考は、さらに続く。


(ステラさんが言ってた「鼻」は、馬車の中でシーさんが言ってた「鼻氏」とも合致する。あの人が……アリス・クラールさん! お師匠様のコネの正体! エルゼル團長が様づけで呼ぶ人を城外へ呼び出せるなんて、お師匠様って……何者!?)


 リムの頭の中で、メグリがニカッと笑ってピースサインを作った。

 アリスがゆっくりと、エルゼルへ歩み寄る。


「……だいたいの話は聞いているわ。あの紫の頭髪が、疑惑の子ね」


 アリスはヴァンを一瞥すると、ゆっくりと視線を右へ移す。

 そのさなかリムは、一瞬アリスと、引っかかるように目が合ったような気がした。

 リムの違和感をよそに、アリスの視線がステラへと移る。


「そして、告発者がこの水色の頭髪の…………えっ!?」


 ステラを見たアリスが、一瞬目を見開いた。

 それから頬にほんのりと赤みを帯びさせ、数秒間ステラの顔を凝視。

 その様を不審に思ったステラが問い返す。


「……わたしが、なにか?」


「いえ……なんでもないわ。あなたが、わたくしの召喚を希望した受験者ね?」


「はい。ステラ・サテラです。ご足労感謝します……『耳』」


「ステラ……!」


 ステラの名前を聞き、再びアリスの目が大きく見開く。

 しかしすぐにアリスは、一連の挙動をごまかすかのようにヴァンへ体を向け、その正面に立った。


「……コホン。入堂して、すぐにわかりました。この異臭は、乾燥させたオミナエシモドキの葉と、成熟前のニガザボンの実を混ぜて煮詰め、いくつかの香料と合わせたもの。カメムシなどの一部の昆虫が、身を守るために発する不快臭に近いにおいを生みます。まともな調香師は、この配合には手を出しません」


 ──図星!

 眉を大きく上げて驚くヴァンの顔に、そう書いてある。

 ヴァンは内心でも、その驚異の嗅覚に畏怖を覚えた。


(な……なにっ、この痛々しいツインテババアは! この特製悪臭香水の主要原料を、すぐに言い当てた! 團長は「鼻」「軍機」と呼んでいたけれど、嗅覚のエキスパートなのっ!? こ……ここは無闇に否定せず、個人の好みでゴリ押しするしかないわね……)


「……で、ですからこの香水は、嗅いでいるうちに癖になる、好事家向けの品ですわっ!」


「では、これは……なに?」


 アリスがヴァンの両頬へ、そっと両手を添える。

 そして、顔の左右へ垂れた横髪を、手の甲で内側から撫でた。


「垂らした横髪の内側に、ナンバンミズメの樹脂から作った消毒液が塗布してあるわ。これには髪へ噴霧した香水の不快臭を、緩和する働きがある。ご自分でお気に入りの香りなれば、中和する必要はないでしょう?」


「そ、それは……。あの……あうぅ……えっと……」


 釈明に窮するヴァン。

 なんとか言い訳を考えようと語尾を濁し、言葉が出てくるまで時間を稼ごうと口をパクパクさせる。

 しかし、目の前のアリスの鋭い眼差しは、まぎれもなく老練の軍人のものであり、言い逃れはできないと判断。

 観念して口を閉じ、続けて目を伏せる。

 その態度を受けてアリスはヴァンから手を離し、エルゼルを向いた。


「……ジェンドリー團長。確かにこの者は、悪意を抱いて不快臭を漂わせています。それも、長く嗅ぐと心身に不調を来すものを。他者への加害行為による、失格の処分を科すに足るでしょう」


「……そうですか。ご協力感謝します、クラール様。では、受験者ステラ・サテラの告発を受理し、受験者ヴァン・デレスを不合格、ならびに退場の処分とする!」


 試験官の一人が鼻をつまみながら、片手でヴァンの腕を掴み、引く。

 ヴァンは力なく試験官に引かれ、講堂の後ろのドアから退出。

 先ほどの不正者が見苦しく泣き喚いたこともあって、ヴァンはいま以上の醜態は晒さなかった。

 ヴァンの退堂を見届けたアリスが、凛々しい顔つきのまま、エルゼルへ会釈。


「……では、わたくしはこれで」


「ありがとうございました」


 アリスは顔を上げるとエルゼルに背を向け、無言でその場を後にする。 

 リムにはそのアリスが、若干早足に見えた。

 アリスの退堂を見届けたエルゼルも壇上へ戻り、試験官も所定の位置へ。

 騒動の当事者でもないのに、位置的に渦中へ置かれたリムが、安堵の息を漏らす。


(はああぁ……。生きた心地がしませんでした……。で、でも……助かりました! ヴァンさんがいなくなったことで、まともに試験を進められます!)


 ほどなくエルゼルが演台へ戻り、試験再開のアナウンスを行う。


「……いまの騒動を考慮し、試験終了時刻をさらに5分延長する。新たな終了時刻は、午後12時10分だ。なお、これ以降不正者が発覚しても、延長措置は取らないこととする。こちらとしても、新たな不正者が出ぬよう祈るばかりだ。では……試験再開っ!」


 エルゼルの声に反応し、用紙をめくる音が一斉に上がる。

 リムも問題用紙と解答用紙をめくり、残していた国語の文章問題と向きあう。


(時間は5分延長されましたが、いまの騒動は15分くらい……。わたしとしては、失った10分と引き換えに、ヴァンさんが消えてくれたので万々歳。でもほかの受験者には、ただのロスとなる10分ですね。そういう意味では、わたしは得したかもしれません)


 文章問題を見つつも、リムの意識はまだ先ほどの騒動を引きずっている。

 リムはすんすんと鼻を鳴らしながら、悪臭が薄れていくのを確認しつつ、意識が落ち着くのを待つ。


(でも、最初の学問試験で、二人も不正者が出るなんて……。35人のうち二人脱落だから、残りは33人……。二次試験へ進めるのが16人だから、いまの競争率は、およそ2倍……)


 「35人」。

 リムはその数字にふと、違和感を覚えた。


(……あれっ?)

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