第054話 遡上

 ──時は少し遡り、午前11時20分。


 武技堂でルシャとセリが打ち合っているころ、リムは問題のほとんどを解き終え、その再確認をもすませていた。

 残るは、正午を迎えないと正答が判明しない最終問題。

 そしてその手前の、記述問題。


 ──「問2.東棟から中央棟へ通じる丁字路に掲げられていた文言を記入しなさい。」


(最終問題の答が判明するまでの時間を、この問題に費やす……! とはいえわたしは、正攻法ではこの問題を解けません。肝心の記入すべき文言を、見ていないのですから)


 リムはヴァンの姑息な妨害活動によって、その文言を見落としていた。

 目にしたのは、その文言が書かれていたであろうスタンド型黒板らしきものの端と、脚部分のキャスターのみ。


(見ていなくても、正解にたどりつく道はあります。たとえば、周囲の受験者たちの会話……独り言……。文字列を見て読み上げた生徒がいて、その声がわたしの耳に入っていた……という可能性も、なきにしもあらずです)


 瞳を閉じ、集中して記憶をたどるリム。

 廊下でスタンドを見かけたときの様子を、入念に呼び覚ます。


(……ダメ。ヴァンさんが筆箱落とした音が印象強すぎて、周囲の音が記憶にない。においだけでなく音でもわたしを苦しるとは、本当やっかいな人でした。あとは……情報の断片を、地道に繋ぎ合わせていくしかないですね)


 情報の断片の繋ぎ合わせ。

 裁断された書類の破片を、ゴミ箱の中から拾い上げ、根気よく繋ぎ合わせて、それを復元するかのような作業。

 まずリムは、視界の端で捉えていた、スタンドのキャスターを、よく思いだす。


(ちょっと錆びついた、銀色の金属製キャスター付きのスタンド……。この城塞へ来て、キャスター付きのスタンドを見たのは……)


 リムは記憶を前日まで遡らせ、城塞内の映像をリストアップ。


(宿舎、食堂、図書室……。あと、浴場、トイレ……。そしてこの講堂。わたしが城塞へ来て、利用した施設はこれだけ……。この中に、あのキャスターがあったでしょうか……)


 記憶を巡るリムの脳裏に、ふとメグリの姿と声が浮かんだ。

 奇しくもそれは、いまこのとき武技堂で苦戦しているルシャが思いだした声と、同じものだった、


 ──「わたしたちが過ごしたのは2日ちょっとだけど、わたしが教えた剣捌きなんかは、ちゃんとあんたたちの頭に残ってる。記憶や思い出に答があると信じて、何事も最後まで諦めないこと! いい!?」。


(……ですね、お師匠様。でもまさか、城内でお師匠様と再会できるとは、思ってもいませんでした)


 リムは今朝食堂で、メグリと再会したときのことを思いだす。

 そして記憶は、ラネットとルシャとの3人で、初めて見たギョーザを観察した場面にスライド。


(ルシャさんは、中にトマトが入っていることを警戒して、なかなか口にしなかったんですよね……。中が挽き肉とわかったとたん、かぶりついて……くすっ♪)


 好き嫌いを訴えるルシャの様子を思いだし、リムは小さく微笑む。

 能天気な一面を垣間見せるリムだが、こうした喜怒哀楽が記憶を掘り起こすきっかけになるのだと、無意識に判断していた。


(ルシャさんは、トマトが苦手……。思えば、この城塞へ入って最初に得た情報がそれでしたね。入ってすぐ、食堂のランチのメニューが目について……)


 そこでリムは、はっとして目を開けた。

 そして慌てて、再び目を閉じる。

 まぶたの裏には、縦長のスタンド型黒板に書かれたランチのメニューを、食い入るように見るラネットとルシャの後ろ姿が浮かぶ。


(食堂のランチをチェックするお二人。あのときわたしは、数歩後ろからお二人の背中を見ていました。そして、左にいたラネットさんのわきから、スタンド式の黒板と……キャスターが見えて……)


 ラネットの陰に隠れる、キャスター付きのスタンド型黒板。

 その映像が、講堂へ向かう丁字路で見た、受験者の陰に隠れたスタンドと重なる。

 そしてその両方に、茶色い錆びがゴマ状に散っているキャスターがついている。


(……見つけました! 試験会場の手前にあったスタンドは、食堂のメニューを書いていた黒板と同じ! 食堂のそばから、移動させられていたんです!)


 リムは記憶の遡上から、推理、推測へと、頭の回転を切り替える。


(では、この問いの答えは、食堂のメニュー……? 確かに、記憶力と注意力を問うのであれば、それもありえます。最終問題の奇抜さから考えても濃厚。では、きょうの朝食が、この記述問題の答……? 例のギョーザ、目玉焼き、コッペパン、サラダ……)


 朝食を一品一品、味とともに思いだしていくリムだが、途中でふるふると顔を横に振った。


(……いえ。それだと、だれもがこの問題を簡単に解いてしまいます。朝食を抜いた人や、わたしのようにたまたま黒板を見過ごした人でもない限り、答えるのは容易。そんな簡単な問題が、「銃眼」と「いちたすいち」の間に来るとは思えません)


 思いついたばかりの答に飛びつかず、冷静に思考を煮詰めていくリム。


(恐らく、しっかり記憶しないと思いだせない文言……。ギョーザのように、聴き慣れない料理名とか……)


 ──「きょうの日替わりランチは、とんこつラーメンに、そのミニギョーザ3個に、半チャーハンをつけた『とんこつラーメンセット』よ。さっそくメニューにねじこんでやったわ!」。


 思考を遮って記憶に割り込んでくる、けさ食堂で会ったメグリと、その口上。

 リムは目を開いて、鉛筆を固く握る。


(それっ! それですお師匠様っ! 朝食後にスタンドが移動したなら、その時点で昼食のメニューが書かれていた可能性大! お師匠様の故郷の料理名なら、記憶力を試すための覚えにくいワードとしても、打ってつけです!)


 リムは鉛筆を走らせて、解答欄へメニューを書き連ねていく。


(とんこつラーメン……。ミニギョーザ3個……。そして、ええと…………半チャーハン! お師匠様……ありがとうございますっ!)

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