第055話 不撓不屈
──
東棟と中央棟の連結部に当たる丁字路。
そのわきへ置かれたスタンド型黒板に、几帳面な字でそう書かれた縦長の紙が、貼付されている。
メグリは力まずに作ったこぶしをひとつ、顎につけてそれを見ていた。
「不撓不屈……。いかなる困難にも屈するな……か。受験者たちへの激励ね」
そこへ、アリスにつきそって講堂を出ていた試験官が、戻ってくる。
試験官は、張り紙を前に直立しているメグリを不審に思い、背中へ声をかけた。
「……どうかされました?」
「あっ、わたし食堂の者だけど。そろそろ、本日のランチを書き出しておこうと思って。この黒板、返してもらっていい?」
「ええ、どうぞ。この張り紙、もう用済みなので。ありがとうございました」
試験官が黒板から張り紙を外し、二つ折り、四つ折り……と細かく畳み、小脇に挟んで講堂へ向かう。
メグリは黒板の上辺を掴んで持ち上げ、キャスターを使うことなく、食堂手前の定位置へと移動させる。
それから黒板の前へしゃがみ、エプロンのポケットからチョークを取り出して、メニューを書き始めた。
「とんこつラーメン……。ミニギョーザ3個……。そして、半チャーハン……っと! 女の子向けに味つけマイルドにしたから、完食してもらいたいところね。試しに朝出したギョーザ、ちょっと食べ残しあったのよねぇ」
メニューを書き終えて立ち上がり、パンパンと手を叩いて、チョークの粉を払うメグリ。
その背に今度は、幼く、とろみを帯びた声が、ゆっくりと投げかけられる。
「とんこつラーメン、ミニギョーザ3個、半チャーハン……。それ~、どういう料理ですか~?」
メグリがしゃがんだままで振り向くと、二人の少女が通路に並び、手を繋いで立っていた。
輝く金髪のサイドテールを右に垂らした少女と、左に垂らした少女。
よく似た顔、同じほどの背丈。
お揃いの、藍緑色が基調の、パーティードレス風メイド服。
メグリは目を細めて、二人を見る。
「……『シャイニング』?」
「はい~?」
サイドテールを右に垂らした少女が首をかしげ、とろみのある声で返答。
「……ううん、なんでもないわ。とんこつラーメンは、小麦粉で作った麺を、ブタの骨からダシを取ったスープに泳がせたものよ。チャーハンは、油で炒めたお米。ギョーザは今朝出した、白いモチモチのやつね。ところで……あなたたち、双子?」
「そう見えます?」
今度はサイドテールを左に垂らした少女が、抑揚のない声でハキハキと返答。
メグリは腰に両手を当て、ウインクを返す。
「見えなきゃわたし、そろそろ老眼鏡が必要ね」
それを受けて右サイドテールの少女が、口を横方向に広げて、にまぁ……と笑う。
「残念~! わたしたち三つ子です~。あとの一人は、ただいま試験中です~」
「あいたー! そっちかぁ! ちなみにその子って、ポニーテールでしょ?」
「それは正解です。なぜわかりましたか?」
「そりゃあ……。あなたたちがサイドテールときて、三つ子とくれば、残る子はポニーテールで、センターでしょ? 全員揃ってるとこ、ぜひ見たいわね。3人並んだら、引力光線撃てそうじゃない?」
「引力~光線~?」
「あああ……ごめん。またなんでもないわ。さて、そろそろおばちゃんは、厨房に戻りますか!」
メグリが立ち上がり、腰を手の甲でトントンと叩く。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です~。イクサちゃん、図書室行こ~」
少女二人が、手を繋いだまま、メグリがいま通ってきた通路を進む。
メグリは二人のそっくりな後ろ姿を見ながら、思慮。
(……三つ子かぁ。あの子たちには悪いけど、わたしのかわいい弟子たちの代わりに、替え玉受験の嫌疑を集めてくれるといいわねぇ)
「……メグリ! ここにいたのね!」
今度は横手、食堂側の通路からメグリを呼ぶ声がする。
メグリが上半身をひねると、肩を怒らせ、つかつかと足音を立てて近づいてくる、不機嫌顔のアリスがいた。
アリスは無言でメグリの正面に立つと、表情で圧をかけてじりじりとメグリを壁際へ追い込み、左腕を伸ばして掌を壁につけた。
メグリはその腕を横目で見ながら、おずおずと口を開く。
「な、なに? 壁ドンとか、わたしの故郷じゃもうブーム去ってんだけど?」
「メグリ……。あなた……子どもがいるでしょ!?」
「……はあ?」
「試験会場で見たのよ! 若いころのあなた、そっくりの子を! わたくしもう心臓止まるかと思ったわよ!」
「その言い回しは、年齢的にしゃれにならないから……やめてよね」
メグリは壁に突き立てられたアリスの腕を優しく撫でて収めさせ、頭の後ろで両手を組んで、壁に背を預ける。
「……ただの見間違いでしょ? 美少女ばっか集まってんだから、わたしにチョイ似の子も一人はいるでしょ?」
冗談交じりでアリスをなだめようとするメグリ。
しかしアリスはますます語気を強める。
「そんなわけないわっ!? わたくしはねぇ……あなたと別れてからも、ずっっっっっっっっっとあなたの姿を思い描き続けてきたの。あなたの顔の造形は、あなたのご両親よりも知ってるつもりよ!」
「だったら、中年のわたしを受け入れがたいアリスの意識が、思い出を守ろうとして見せたまぼろし~……とか?」
「な、なにを言ってるのよ……。大人のあなただって、好き……よ。そりゃあ、しっかりお化粧してくれればいいのに……とは、思ってはいるけれど……」
今度は態度を軟化させ、頬を染めて目を逸らすアリス。
左手の人差し指を立て、後ろ髪を指に絡め、くるくると巻いていじりだす。
アリスが照れているときに見せるしぐさで、メグリにとっては攻め時の合図。
メグリは表情を引き締め、アリスに顔を寄せ、その耳元で囁く。
「言っとくけどねぇ……。わたしまだ処女なんよ。アリスに操立ててっからさぁ……」
少し低めの、語尾をかすらせたメグリの声。
囁きがアリスの鼓膜を甘く震わせる。
アリスの背中がぶるぶると震え、そこ一帯以外の筋肉が緊張で硬直。
「なんなら今夜……破瓜させてみるぅ? もうこの年だから、張形で処女失っても別にいいのよ? アリスが優しくシてくれれば……ね?」
「ンッ……。あなたは……いつもそう。窮すると、下品な話題を振ってきて、わたくしを困惑させる。卑怯よ……」
硬直した喉を、自らの唾液で潤しながらなんとか動かし、アリスは反論。
その返しを待ってましたとばかりに、メグリが続ける。
「その下品な話題に乗せられて、ついついお下品な遊びをしちゃうのよねぇ、このアリスちゃんは? アリスのあの美しい体を抱いたら、もう男を相手になんかできないわ……。わたしをそっちに狂わせておいて、子作りを疑うなんて……。相変わらずのイジワル仔猫ちゃんね?」
メグリの唇が、獲物を耳から唇へと変更。
スッ……と軽く上品なキスを、アリスへと着弾させる。
アリスは体の芯を雷に貫かれたかのように、さらなる硬直を見せる。
メグリは仕上げとばかりに、額と鼻の頭をコツンと合わせる。
「ふふっ……。そんな仔猫ちゃんの飼い慣らし方を、全世界で一番知ってるのが、わ・た・し……。うふふふふっ♪」
「そ、そうよ……。全世界で、メグリに一番飼い慣らされているのは……この、アリスよ……。だから、浮気は絶対ダメ……なのよ……」
「ふふっ……わかってる。その、昔のわたしにそっくりっていう子は、あとでチェックしておくわ。わたしも興味あるから。じゃ、お昼が近いから、もう行くわね」
アリスの両腕を外側から掴み、二人の位置関係をくるっと入れ替えるメグリ。
アリスの背中を壁に預け、両肩をポンと叩いてメグリは立ち去る。
食堂へ向かうメグリの背中を見ながら、アリスは瞳を潤ませて破顔。
「はあああぁ……やっぱり好き! 好きよメグリ……!」
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