第125話 消化不良

 ──宿舎、チームとんこつの個室。

 部屋中央のテーブルを挟んで、ラネットに扮したリムと、素のルシャが向き合う。

 リムはいつものメモ用紙を挟んだバインダーとにらめっこをし、鉛筆を走らせる。

 対面のルシャはいすに腰かけたまま、手持無沙汰に頬杖をついたり、テーブルにつけた両腕に顎を載せたりしているが、時折思いだしたように背筋を伸ばして、顎を引いて見せた。

 やがてリムが手を止め、上半身を反らして「ふぅ」と息をつき、バインダーを立ててルシャへと向ける。


「……これで進捗6~7割ほどですね。ここから陰影を書き足していきますけど、その前に確認取っておこうと思いまして。どうです? 似てますか?」


 リムが描いていたのは、微笑を浮かべたルシャの、鎖骨から上の姿。

 これまで受験者仲間に見せてきたものより一際精緻な描写で、画材は鉛筆一本ながら、似顔絵ではなく肖像画と呼ぶにふさわしい。

 見せられたルシャが、絵心がないにもかかわらず、思わず溜め息を漏らすほどのクオリティー。


「はあぁ……。やっぱ上手いモンだなぁ。学校の先生より、画家目指したほうがいいんじゃねーか?」


「アハハッ、ありがとうございます。でもわたし、子どもたちとふれあう仕事に就きたいので。それで……どうでしょう? これ、ルシャさんに似てます?」


「いや、それがさぁ……。オレ、あんま鏡見ねぇから、自分の顔よくわかんねぇんだよな。ははっ。リムが似てるっつーんなら、似てるんじゃねーか? 絵が上手いうめーってのはわかるんだけどよ」


「そうですか……。ではひとまずこのまま仕上げて、あとでセリさんに確認してもらいますね。ルシャさんの顔、絵でもはっきり見えるとよいのですが……」


 リムがバインダーを手元に戻し、両手の指を宙でぶらぶらと振ってほぐしてから、陰影の描きこみに入る。

 まずは眼球から取りかかり、絵に生気を持たせる。

 ルシャは後頭部で両手を組みながら、腰を伸ばして眼下のリムのつむじを見た。

 ……とは言っても、いまのリムはラネットに扮しているので、ルシャが見ているのは実質ラネットのつむじ。


「……しかしまぁ、エロ眼鏡に絵をプレゼントだなんて暇人だな。おまえ、あいつとあんまつきあいなかっただろ?」


「あらぁ? まるでご自身は、たくさんつきあったかのような言い方ですねぇ?」


「ねっ……ねーよ、大して……。剣の稽古に1回、歌の稽古に1回つきあっただけさ。あとは勝手にあいつが話しかけてきて……な、モンだよ」


 ルシャは木剣の寸止め試合と歌合せのことを口にしながらも、脳裏には通路で交わした濃厚なディープキスと、防音室での熱い肉体の交わりの映像を思い描く。

 当然顔は耳たぶまで紅潮しているが、作画に集中して顔を下げっぱなしのリムには、見られずにすんでいる。

 現在リムは、歌唱試験中のラネットへ眼鏡を貸しているため、裸眼。

 近視のリムが裸眼で精緻な絵を描くには、筆先へより目を近づける必要があった。

 リムは顔を上げることなく、会話を進める。


「……セリさんにはわたしも図書室で、少々世話になってますしね。眼鏡仲間というのもありますし、ご病気の話を伺った以上、少しは力になりたいと思います。どうせラネットさんの歌唱試験が終わるまで、出歩けませんし。あと……」


「……あと?」


「わたしたち、一次試験の結果を見たら、ここから消えるじゃないですか。戦姫團や受験者の皆さんを騙してきましたから、せめてセリさんの顔朧症の辛さを和らげるための似顔絵を、贈っていきたいです。はい」


「あ、ああ……。そうだな。オレたち、合格だろうが不合格だろうが、一次試験終わったら、適当な理由作って、ここから消えるんだよな。そういやこの服も、麓の貸し衣装屋からの借り物だっけか。はは……」


 ルシャが立ち上がり、メイド服のスカートを両手の指先でつまんで見せた。

 その顔は苦笑いを浮かべているが、端々に憂いを含ませている。


(そっか……。オレ、もうじきここフケんだよな。あと一回くらい、エロ眼鏡とりあいたかったな……。オレの剣筋を盗んだアイツ、どんだけ強くなったんだか……)


 ルシャは、武技堂で交わしたセリとの一戦を思いだす。

 そして連鎖的に、その前日武技堂で交わした、フィルルとの会話も思いだす。


 ──「二次試験では……受験者同士の立ち合いがありますのっ! ステラ・サテラ……。必ずやそこで、潰しますわ!」


(二次試験で……受験者同士の立ち合い……。二次試験へ進めば、エロ眼鏡と試験ガチの場でりあえるの……か?)


 ルシャの胸の内で、積乱雲のように膨れ上がる、ある思い。

 それは、セリともう一度剣を……そして情を交わしたいという、思春期の剣士にして乙女の、嘘偽りのない欲求だった。

 しかしルシャには、替え玉受験の自分に、その資格はないという弁えもある。

 ルシャは、勢いで口から飛び出しそうになった「二次試験までやろうぜ!」という言葉を飲みこみ、力なく膝を曲げて着席した。

 そのわずかな振動で集中力を途切れさせたリムが顔を上げ、メモ用紙1枚と鉛筆1本を、ルシャへと差し出す。


「この似顔絵に、ルシャさんの手紙も添えましょう! セリさん、きっと喜びますよ! あと、住所も忘れずに!」


「……はぁ? 住所?」


「文通が続けば、いつか再会できるかもしれないじゃないですか。アハッ♪」


「……しねぇよ、文通なんてまどろっこしいモン。剣術家たる者、会話は剣ですんだよ、剣で。それに、じゃなくて……」


 「二次試験で」と言いそうになり、ルシャは慌てて口を閉じた。

 それから差し出されたメモ用紙と鉛筆を手に取ることなく、ベッドのはしごへと手をかける。


「……まあ、気が向いたらなんか一言二言、書いといてやるよ」


 自分のベッドへと上がり、組んだ腕を枕にして天井を見上げるルシャ。

 リムはそれを照れ隠しと見て、作画に戻る。

 静かな室内に響く鉛筆が走る音を聞きながらルシャは、消化不良の胃から上がってきたゲップのような思いを、無声で口から吐き出した。


(二次試験……か)

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