第158話 戦姫の試練(1)

 ──午後4時半、少し前。

 ルシャは従者用のメイド服を脱ぎ、予備試験時に着用していた自前のシャツとショートパンツを穿いて、引き締まった表情で、武技堂の入り口の前に立つ。

 それにラネットが付き添いとして、従者時のメイド服姿で続く。

 リムは所用があるからと、観戦を避けて自室に残った。


「ふううぅ……。よっしゃ、いくぞ!」


 ルシャが軽く深呼吸をし、武技堂のドアをスライドさせ、入堂。

 いつものように、堂内へ向かって深々と礼をする。


「よろしくお願いしますっ!」


 快活な挨拶をして入堂したルシャが目にしたのは、堂内側のドアのわきに立ち、腕を組んで壁に背を預けている戦姫團團長、エルゼル・ジェンドリー。


「……おわっ!」


 思わぬ大物の存在に、ルシャは失礼にも声を出して驚いてしまう。 

 エルゼルは特に不快感は示さず、無言のまま左手で、防具をルシャへと差し出す。

 それはルシャが、セリとの練習試合の際に着けたものと同じ防具。

 両肩、両膝、腹部、背中の6カ所のクッションに加え、頭部をガードするヘッドギアが、革ベルトで連結されている。

 防具を着けながら武技堂の中央へ進むルシャの目に、既にリング入りしているメグリの姿が映った。

 先ほどと変わらぬ格好で、木剣を一本右肩に背負い、足を肩幅に開いて立つ。

 メグリは唇の端をにやけさせながらルシャを見つつ、顎でエルゼルを差した。


「……思わぬゲストに驚いた? 彼女の観戦が、ここの貸し切りの条件でね。わたしも試験会場乱入の前科があるから、断れなくってさ。ま、カボチャやジャガイモとでも思ってちょうだい」


 そのメグリの言葉には、さすがにエルゼルも眉間に皺を刻み、片眉をひそめる。


「……ずいぶんな言いようだな?」


「タヌキ女を連呼してくるあんたに、言われたくないんだけど? それとも故郷の二つ名の、銀狼ぎんろーちゃんで呼んであげよっか?」


「……コホン。いいから早く始めろ。ここは5時までしか貸さんぞ?」


「それだけあれば、チョイ寝できるくらいのお釣りが来るわ! さ、木剣持ってリングへ上がってきなさい。ルシャ!」


 メグリが肩にかけていた木剣を鋭く振り下ろし、その先端をリングの床につける。

 ルシャは木剣置き場に立てかけてある中から1本を引き抜き、それを手に跳躍。

 登城後、3度目となるリングイン。

 リングの床にマーキングされた選手の初期位置へ、迷わずに向かう。

 メグリも相対する初期位置に立ち、不敵な笑みを浮かべて勝負の説明を始める。


「ルールは簡単。どこでもいいから、わたしに木剣一発入れられたらルシャの勝ち。投擲でもいいけど、剣がリング外へ出たらそこで失格。わたしはで、あんたの防具の、背中のクッションに剣を当てたら勝ち。わかった?」


「どこでもいいから当てたら……って。それ、オレ有利すぎねーか?」


「師匠だから、ちょっとはハンデ与えとかないとね。あはははっ!」


 いつも通りの、軽快なメグリの笑い声。

 それがいまのルシャには、ひどく自分を卑下しているように聞こえる。

 相手の弱点は全身で、自分は背中だけという大きなハンディキャップは、二次試験進出を望む己に取って歓迎すべきなのに、純然たる剣士のルシャは喜べない。

 ルシャは軽い怒りを覚えながら、両手で握る木剣を、体の前で斜め上方へ構えた。


「……切っ先合わせたら勝負開始だぜ、師匠」


「合点承知!」


 ──カンッ!


 2本の木剣の切っ先が軽くぶつかり合い、小さく音を立てる。

 同時にルシャが後方へ低く跳躍し、一旦間合いを取った。


(……焦る必要はねぇ。この剣のどっかを、師匠の体に当てりゃあいいんだ。落ち着いて、オレに有利な間合い、有利な角度を作るべし。「当てた」の「当たってない」ので揉めないよう、がっちり振り抜くぜ師匠!)


 ルシャが剣を斜め上方へ掲げて、攻防一体の構えを取る。

 そのルシャの正面に、ゆらっ……と、陽炎のような白い揺らぎが生じた。


「……っ!?」


 ──ガガッ!


 ルシャがその揺らぎに気づいた瞬間、手にしている木剣に強い衝撃が走った。

 ビリビリと木剣全体が振動し、ルシャの両腕が二の腕まで痺れる。

 いましがたルシャが見た白い陽炎は、高速で移動したメグリの白いシャツだった。

 先ほどまでの位置に戻っているメグリの腕は、木剣を水平に振り終えたポーズを取っている。


「……師匠としてアドバイスしとくけど、このサイズのリングじゃあ、全体わたしの間合いみたいなもんよ? あと、剣をリング外に弾かれたら負けなんだから。気を抜かず、しっかり握ってなさい」


「ぐっ……!」


「あの美眼鏡ちゃんとの絆で勝つんでしょ? こざかしいこと考えてないで、覚悟を決めて攻めてきなさい。あなたの覚悟を試してんのよ、わたしは」


(……そうだった。オレとセリの、二人の剣筋で勝つんだった! 間合いだなんだ考えてんじゃねーよ、オレ! 踏みこめ! 攻めろ!)


 ルシャは木剣を左手で数回振って震えを止め、柄をギュッと両手で握り直す。

 そして、持ち前の瞬発力を発揮して斬りかかった。


「でやああぁあっ!」


 一気に間合いを詰め、メグリの右肩目がけて剣を振り下ろすルシャ。

 メグリはサッと右半身を後方へ逸らし、無駄な動作一つなくそれをかわす。

 すぐにルシャは剣の軌道を変え、セリが得意とする方形の剣筋で、わき腹を狙う。

 メグリはこれを、木剣を垂直に立ててガード。

 まるで熟成の高木のように固くぶれないメグリの木剣に、弾かれるルシャの木剣。

 ルシャはその反動を次の一振りの初動に変えて、コンパクトな円を宙に描きながら、メグリの首の付け根を狙う。


(こいつは受け、間に合わねーだろっ! 速攻でもらっ──)


 次の瞬間、ルシャの体が水平に、勢いよく宙を舞う。

 後方へ吹き飛ばされるルシャが見たものは、メグリの靴の裏。

 ルシャの腹部へ、下方から上方へ向けて入れられたその蹴りは、一旦ピタリと足の裏全体を肌へ当てたあと、膝のバネをフルに使っての押し出し。

 相手を負傷させるのはなく、吹き飛ばすのが目的の蹴り。

 ルシャは周囲の景色の流れの速さから、体がリング外へ飛び出すと判断。


「まずっ!」


 とっさの判断で、ルシャは床へと木剣を放り落とす。

 直後、ルシャの体はリング外周へ張ってある麻縄に絡まりながら、半身をリングの外へとのけぞらせた。

 ルシャはすぐに体勢を整え直すと、体を一横転させつつ木剣を拾い、立って構えを取る。


「あぶねーあぶねー……。とこだったぜ」


「ふふっ、いい勝負勘してるわね。でも、前に一度食らってる蹴りを、また食らうのはどうかしら? 一度学んだことはちゃんと頭にあるって、出発時に教えたはずだけどー?」


「へっ……わーってる。麓で稽古つけてもらったときの蹴りだろ? まだちょっと、エロ眼鏡の奴と息が合ってなくてさ。いま蹴り食らったのは、あいつのほうなんだ」


「ふふん。物は言いよう、心はいつも太平洋、ってか。そっちがまだ仕上がってなくても、こっちは手を抜かないからね! きなさいっ!」


 メグリが木剣をルシャに向けて突き出し、挑発。

 ルシャはダッシュで接近し、メグリの木剣を上から打ちつけながら正面を陣取る。

 壁際から離れず観戦しているエルゼルは、メグリのいまの弁を心中で笑う。


(……フン。手を抜いていないなら、あの少女が剣を手放した際、すぐにあとを追ってリング外へ蹴り落としたはず。弟子だか知らんが、ずいぶんと甘やかしてるじゃないか、タヌキ女。なにを賭けた勝負かは知らんが……な)


 エルゼルはこの武技堂をメグリに貸し出す際、自分の同行を条件につけた。

 試験絡みのなんらかの不正を疑う気もあるにはあったが、蟲との戦いで力を見せつけたメグリという人物を、よく観察したいという意図が強い。

 代わりにメグリは、勝負の内容や、堂内で交わされた会話にはいっさい関与しない条件をつけ足していた。

 このエルゼルの強者ゆえの存在感は、ルシャにほどよく活を入れていた。

 

「……おるぁああぁああっ!」


 ルシャが真正面から、威勢よくメグリへと斬りかかる。

 自身が得手とする、幼いころより慣れ親しんだ円形の剣筋。

 その弧の中に、セリの方形の剣筋を応用した、十字状の軌道を新たに作る。

 リング上に、木剣のぶつかり合う音が乱れ飛ぶ。


 ──ガッ! ガッ……ガガッ! ガッ!


 方形の角を四つ、円の中へ収納した格好の剣筋は、弧の外周から中心点へ木剣を移動させたあと、上下左右へ瞬時に軌道を変化させられた。

 メグリはルシャの連撃を的確に弾き返しながらも、その剣捌きに感心。


(やるじゃないっ! 次蹴り出したら、上から叩き落とされそうねっ!)


 エルゼルも、多様な変化を見せるルシャの剣筋に一目置いた。


(……ほう。あの少女、なかなかいい動きをするな。それに入堂時の挨拶も良かった。予備試験で落ちて、従者として拾われたクチか)


 その期待に応えるかのように、ルシャが新手を繰り出す。

 体を若干傾け、弧の剣筋を回転させて、その中の十字の軌道を、バツ印へと変更。

 十字の軌道に慣れさせていた目を、惑わせる手に打って出る。

 しかしメグリは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべただけで、こともなげに剣筋の変化に対応してくる。


(くっ……! 一発当てて勝ちなら楽勝……かと思ったのに、全然ちげーな! ってか、なんだよ師匠の反応速度っ!? なんか、師匠が剣置いてるところに打ちこんでるみたいで、気味わりーぞ!)


 ルシャの背中に湧く、ゾワゾワとした悪寒。

 それは、背中の防具のクッションから、放射状に発散されている。


(けっ! オレの弱点が背中ってのも、不気味ンなってきた! 師匠はどうやって、オレの背後に回りこむつもりなんだ!? そういうルールにしたってことは、そういう手があるってことだろっ!? うおおーっ、わけわかんねー!)


 ルシャはその悪寒を振り払うべく、息を止め、全身全霊で木剣を振るう。

 弧の軌道を自在に左右へ回転させ、内側の十字の軌道を細かい角度で変化させる。

 セリと打ち合った際に体が覚えた相手の剣筋が、全身の筋肉から滲み出てきて、この戦いを通じて徐々に剣へと宿っていき、ルシャの動きを尻上がりに良くしていく。


(へへっ……いよいよ全部乗り移ったなエロ眼鏡! おまえもこんな感覚で、オレの剣をものにしてったんだな!)


 しかしそれでもなお、攻防の均衡は崩れない。

 メグリは涼しい顔をして、呼吸を乱すことなく、ルシャの剣を弾く。

 ルシャのボルテージが最高潮に達したとみて、メグリも徐々に剣圧を高めていく。

 ルシャは一振りごとに、木剣が弾き返される距離が長くなっていくのを感じる。


(くっ……読みきられてるだけじゃなく、完全に力負けしだしたっ! セリとオレの剣を合わせても、まだ師匠にゃ及ばねぇのかっ! こうなったら……あんま好きじゃねーけど、突きを混ぜて読みの選択肢増やすっ!)


「──やっ!」


 ルシャがこれまでより踏みこみを浅くして、突きで奇襲。

 メグリの右肋骨を狙う──。


 ──カタッ。


 ルシャの目に映ったのは、メグリの手から力なく離され、床へと落ちていく木剣。

 その次の瞬間、ルシャの視界からメグリが消えた。


「……えっ!?」

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