第159話 戦姫の試練(2)

 突きによって、若干前に出ていたルシャの上半身。

 メグリは瞬時に、全身を捻ってその下へ潜りこみ、ルシャの前面へ自分の背を当てながら、背負う姿勢を取る。

 そして、ルシャの左手首と右襟を同時に掴み、右足に力をこめてルシャを背負う。

 メグリの腰を支点にルシャの体がふわっと浮き、前方に半回転しながら落下。

 メグリの挙動は柔らかくとも、その速さは電光石火。

 組み投げで、ルシャの体が背中から床へ落ちる。

 その時間、メグリが仕掛けてから1秒。


 ──ダンッ!


「つうっ……!」


 床で背中を強かに打つルシャ。

 メグリが床へ置いた木剣へ、ルシャの背のクッションが当たっている。

 「背のクッションへ木剣を当てる」という、メグリの勝利条件が満たされた。

 呆けた顔をして大の字に倒れているルシャの顔を、頭の側に立つメグリが、ニヤけ顔で覗きこむ。


「……一本! わたしの勝ちね?」


「こんな手……ありかよ……。ちきしょう……」


「なーに言ってんの。あんたが剣を床に置いたのを、参考にさせてもらったのよ? さっきまでマジでノープランだったんだから! あはははっ!」


 事実にも、茶化しゆえの嘘にも聞こえる、メグリの勝利宣言。

 それには息の乱れがいっさいない。

 真下から見上げるルシャの顔には、メグリから一粒の汗も落ちてこない。

 ぜぇぜぇはぁはぁ……と荒い呼吸をしながら、額に汗の粒を浮かべているルシャは、完敗を悟ると同時に、頭上の中年女性が恐ろしい武術家であることを再認識。

 離れた場所から観戦しているエルゼルも、メグリの状態の良さに驚く。


(柔術も使う……か。やはり食えん奴だ。それに数時間前まで蟲と戦っておきながら、あの年齢にして、あのコンディションの良さ……常人ではない。タヌキが化けている女と、呼びたくもなる)


 勝敗が決したのち、ルシャの呼吸音だけがしばし堂内に流れる。

 その静けさを破ったのは、観戦者のラネットだった。


「……次、ボクいかせてくださいっ!」


 ラネットが勇ましい笑顔でリングサイドへ駆け寄り、メグリを見上げて両手を上げ、自身へ視線を向けさせる。


「同じ弟子のボクにも、挑戦権くださいっ! お師匠!」


「……ルシャが負けたのに、ラネットが勝てるとは思えないんだけど?」


「ボク山育ちですから、体力だけならルシャにも引け取らないんですよ! それに、いまの勝負見てて、必勝法思いついちゃったんです! えへへっ!」


「へえー……必勝法、ねぇ? そこまで言うのなら、上がってきなさいよ。防具はちゃんと着けてよね?」


「はいっ! ルシャ、選手交代だよ。防具、着けるの手伝ってくれる?」


 気が抜けて仰向けだったルシャが「あぁ……」と生返事。

 身を転がしてうつ伏せになり、無言でラネットを見たあと、よろよろとリングを下りる。


「……ラネット。必勝法って……なんだよ?」


「えへへっ……。まあ見ててって!」


 ルシャは自身が着けている防具を取り外し、背後からラネットに装着。

 防具を纏ったラネットは、ルシャが使っていた木剣を左手に握ったあと、木剣置き場へ向かい、さらにもう1本を空いている右手に握る。


「……よしっ! いくぞっ!」


 ラネットが勢いよく駆けて助走をつけ、リング上へ跳躍。

 体力はあると自負する通り、一気にリング中央付近まで躍り出た。


「えーっと……。ここに立てば、いいんだよね……っと。んじゃあ、よろしくお願いしますっ、お師匠!」


 選手の初期位置に立ったラネットが、メグリへ向かって深々と挨拶。

 それから軽く足を開いて、両手の剣を左右に少し広げて下ろす。


「それじゃあ……いきますっ! うわあああぁああぁあっ!」


 ラネットが喚き声とともに、両手に握った木剣を、がむしゃらに振り回し始める。

 振り上げ、振り下ろし、薙ぎ払い、突き……。

 軌道も向きもめちゃくちゃな木剣2本が、たまにぶつかり合いながら振られる。

 観戦に回ったルシャはもちろん、メグリも呆れ顔になる。


「うへぇ……。格ゲー初心者のレバガチャ暴れプレーじゃない……。しかも後退してるし……」


 小声でぼそりとぼやくメグリ。

 めちゃくちゃに剣を振りながら後退したラネットが、リング四辺に張られている麻縄が背に触れたところで足を止めた。


「へへっ! ゴーレム試験を思いだして閃いたんですっ! 弱点が背中なら、リングの端に立っちゃえば、絶対負けないじゃないですか!」


 麻縄を背に、してやったりな笑顔のラネット。


「あとはこうやって、ロープに沿って移動しながら……。両手で剣振りまくって、お師匠に当たるのを期待する! 名づけて『下手な鉄砲てっぽも数撃ちゃ当たる戦法』ですっ! あはははっ!」


 一方のメグリは、「必勝法」のしょぼさに期待外れ感アリアリで溜め息。


「はああぁ~。あのね……ラネット。逃げ場のない場所で鉄砲撃ちまくったら、跳弾で自滅するわよ? それにさぁ。せっかくゴーレムの試験を思いだしたのなら、それが愚策だってことには、気づかなかったの?」


「へっ……? ぐさ……く……?」


「……わかんない? 糸目ちゃんよ。糸目ちゃんの試合、見てたでしょ?」


 メグリが両人差し指で両頬の肉を上げて、上方へ湾曲したフィルルの糸目を再現してみせる。


「糸目ちゃん……。ああ、フィルルさんですね。歌唱試験でいっ……」


 「一緒だった」と言いかけて、ラネットが急遽口を閉じた。

 この場にエルゼルがいるため。


「いっ……いっちばん歌が上手かった人って、聞いてますけどー! あはははっ……!」


「……そう。その糸目ちゃん、どうやってゴーレムを倒したっけ?」


「え、えっと……。背中に一つコアを残したゴーレムが、部屋の隅へ行って……。それを正面から、中の人ごと刺そうとしてぇ……。そこの團長が……」


「……ご名答」


 メグリがラネットの真正面へと移動。

 軽く腰を落として、わずかに上半身を引き、左足を前に出す。

 木剣の柄を両手で握り、逆手で水平に構え、刺突の体勢を取る。

 切っ先がラネットの心臓……の先にある、背中のクッションを狙う。

 ラネットは会話の流れとメグリの構えから、ワンテンポ遅れて自身のピンチを悟った。


「……えっ? えっ!? 木剣じゃあ人の体、貫けないと……思うんです……けど……?」


「そう思う?」


 その返答を最後に、メグリの表情から笑みの要素が消えた。

 ギリギリ……と強固に柄を握りしめ、前に出している左膝に力を溜めている。


「ラネットは山育ちだから、捕まえた川魚をその場で串焼きにした経験も……あるんじゃない?」


 メグリの言葉を受け、ラネットの脳内に串焼きのイワナの姿が思い浮かぶ。

 山中の川の上流、小さな滝つぼ付近。

 自作の虫取り網ですくって捕まえたイワナに、周辺の生木から折った枝を突き刺して、焚き火にくべる。

 串代わりの枝は、骨を避けるコツを掴めば、簡単にイワナの頭から尾を貫通した。

 ラネットは孤児院の仲間とともに、台所から少量くすねてきた塩をそれに振りかけて食べるのを、たまの楽しみとしていた。

 血抜きも内臓わた抜きもせず、焦げ目多めに焼いて、パリパリになった皮ごと食した身の味が、ラネットの口内に蘇ってくる。

 その脳内に蘇った串刺しのイワナの顔が、ポンっとラネットに置き換わった。


(ひいぃいいぃいっ! 殺気! これ殺気! 殺されそうになった経験一度もないけどわかるっ! これ殺気だっ! なんか本能でわかるっ!)


 ラネットの背のクッションを見通すかのような、きつく鋭い目つきのメグリ。

 背のクッションと木剣の切っ先が、丈夫な糸で繋がった錯覚をラネットは覚える。

 メグリはいま、道徳や人間関係を意識からすべて消し、眼前の目標を貫くことだけに集中。

 ──必殺。

 それ以外をすべて邪念として排除しているメグリが、いま全身に漲らせている気。

 それが殺気であることは、相対しているラネットは当然、観戦しているルシャ、そして軍人のエルゼルも如実に感じ取っている。


(……混じりけなしの殺気。重い業を背負わんとする強い覚悟が、ここまで伝わってくる。あの少女が対抗して殺気を抱けば、即座に、機械的に、木剣が体を貫くだろう。それはないと踏んでの脅しなのだろうが……タヌキ女の腹の内は読めん。先ほどと違って、まともな剣の勝負でもなさそうだし……。ここは止めておくか?)


 エルゼルの思案の十数秒間、メグリは殺気を放ちながら、切っ先へ圧を蓄積。

 その間ラネットは生きた心地がせず、貫かれるより先に心臓が止まるのではないかと思うほどに、命の底から恐怖を覚えた。

 エルゼルが「やはり止めるか……」と、壁から背を離した瞬間──。


 ──ガラッ!


「……失礼しますっ!」


 通路側に「貸切中」のプレートが下げられている武技堂のドア、それが開かれる。

 入堂してきたのは、愛用のバインダーを左手に抱えたリム。

 そしてその後ろに、ステラが続く。

 リムの姿を見たラネットが、へなへなと膝から崩れ落ち、2本の木剣を床へ置いて、四つん這いでリムへと向かう。


「……リム! よかったぁ、間に合ってくれたぁ!」


「ラネットさんが、リングにいるということは……。ルシャさんは、残念だったようですね。ですがわたしたちの動きが、お節介で終わらずにすみそうです」


「うんっ!」


 リングの内外で会話をするラネットとリム。

 その内容に関心がなさそうなステラは、リング上のメグリと目を合わせると、すかさず跳躍し、リムの頭を越えた。


「はっ……!」


 飛翔のように軽やかな、滞空時間が長い跳躍で、リング中央へ降り立つステラ。

 ステラはリング上に落ちている2本の木剣のうち1本を手にし、もう1本をつま先で蹴ってリング外へと放り落とす。


「……が、弟子に挑戦権がある勝負とのこと。この機に一手、ご指南お願いします。お師様」


 水たまりを飛び越えるような低い跳躍で、リングの初期位置に立つステラ。

 メグリは一瞬ステラと目を合わせたあと、先ほどまでの殺気を解除して、苦笑いを浮かべながら、リング下のリムへ話しかけた。


「……なるほど。ラネットがリングに上がったのは、『弟子なら挑戦できる』という言質を取るため。立案者はリム。ルシャには内緒……ってとこかしら?」


「ええ。ルシャさんに事前に話せばまず、『助っ人なんていらねぇ!』と断られてしまいますから。アハッ♪」


「やっぱチームリーダー、さすがの采配じゃない。確かに、ステラもわたしの弟子の一人だわねー。ふぅ……」


 軽く溜め息をついてからメグリは、リングの初期位置に立ち、ステラと相対。

 先ほどまでの殺気とはいかないまでも、闘気を高め、表情を凛々しくする。

 そして、自分自身にしか聞こえない声量で、少しうれしそうにぼやいた。


「まったく……やっかいな子を連れてきてくれたわね。、もうちょい先だと思ってたのに……ふふっ」

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