第184話 死刑囚 -HANGED MAN-(2)(※残酷描写有り)
「ぐッ……! おのれッ!」
部下の無残な姿を目の当たりにし、エルゼルは憤怒の形相。
剣の構えを、防御姿勢から攻撃の初動に切り替え、蟲の擬態部を睨みつける。
その個体の顔は、金粉をまぶしたかのように細かい光沢を放つ長い金髪、外郭がくっきりとした黒目がちな瞳、やや大きめの口……と、アクの強い相。
しかし均整が取れたパーツの配置と、母性を感じさせる優しい顔立ちで、人間の
森の中の木漏れ日が、豊満な乳房を揺らす裸体を、いっそう妖しく見せている。
蟲はエルゼルを挑発するかのように、大顎で食していた女性兵を腕脚から離す。
──ゴッ!
血が滴っていた岩の上へ落ちた女性兵は、その衝撃によって、消えかけていた命の火を失った。
地に転がり、雑草に半身を隠した遺骸は、首を数回齧られただけの、あからさまな食べかけ。
蟲の擬態部の顔は穏やかな大人の女性だが、その薄く開いた桃色の唇からは、「おまえもそうしてやろう」という
たまらず後続の女性兵一人が、怒りに任せて、跳躍で蟲に斬りかかる。
その狙いは、すべての脚のうち、もっとも低い位置で樹木に掴まっている右中脚。
「こっ……このおおおおっ!」
剣の切っ先が、右中脚に達する刹那──。
蟲が瞬時に脚を曲げて剣をかわし、すぐに伸ばす。
右中脚の先端……跗節での突きを食らった女性兵は、背後にあった低木の藪の奥へと、はたき落とされた。
「ぐはああっ!」
その悲鳴を最後に、女性兵の反応が消える。
気絶か、それ以上のダメージかは、うかがい知れない。
一連の蟲の動作を見ていたシーが、両手で眼鏡のフレームを押さえながら驚愕。
「け……蹴りっ!? 蟲が蹴り、でしかぁ!? そんなデータ、記憶にないでしっ!」
普段のおどけた様子を見せず、動揺して早口になるシー。
その隣にいた女性兵が、エルゼルの前へ出て、頭上の蟲目がけて長剣を投擲。
長剣は切っ先を前にして、上手く一直線に飛ぶ。
「くそっ……! 食らえっ!」
蟲は己の肉体が通るギリギリの木々の隙間を、器用に脚を折り畳んでぬるっとくぐり抜け、長剣を回避。
そのまま澱みなく、投擲した女性兵の頭上へと移動。
真上から両鎌を下ろし、女性兵の両腋を抱え上げて樹上へと引きずり上げる。
「うわっ……わああぁああっ!?」
蟲は捉えた女性兵の首を一噛みして、すぐに放棄。
女性兵は「く」の字状に曲がった体勢で枝に引っかかり、地上には戻ってこない。
太い糸となって地面へ伝い始めた出血が、みるみる細くなっていく。
蟲は変わらず頭部を垂らした姿勢で、次に壊す玩具を物色するかのように、木々の隙間を器用に縫い、エルゼルたちの頭上を不規則に徘徊。
エルゼルは勝ち筋のないまま援軍を呼んでも、犠牲者を増やすだけだと判断。
再び防御重視の構えを取り、無言で蟲の挙動を伺う。
(こいつ……。タヌキ女が言っていた蟲の親玉……
同じく蟲の顔に注視していたのがシー。
「目」の異称を持つだけあり、その観察眼はエルゼルが気づかぬ点を捉えている。
「あの蟲、顔移しをする気配がまったくないでしねぇ。やはり、イルフ以外はお断り……でしか?」
「なにッ? 『目』、どういう意味だッ!?」
「まんまの意味でしよ? あの蟲、擬態の顔の耳が長いでし。耳が長く、先端が尖っているのは、イルフの特徴でし。あの個体はイルフから顔を移していて、恐らく顔移しの相手にも、イルフを求めているでし」
「イルフの顔……か! 奴が樹上戦に優れているのは、イルフの身体能力を継承しているからなのかッ!?」
「カマキリは元来、不安定な体勢が得意なのでし。脚一本で踏ん張りながら、暴れる獲物を鎌で捕らえるのは日常茶飯事でし……が。あのように基本姿勢より細い隙間を移動するのは、規格外でしねぇ。にしっ……」
シーが言葉に、いつもの独特の笑い声を含ませる。
それはおかしさからではなく、恐怖で動きが鈍った肺を動かすための、呼吸目的の発声だった。
「……團長の、人相が能力を継承するという発想は、研究の余地がありそうでしなぁ。生きて帰れれば……の、話でしが。にし、にししし……」
「『目』……いえ、シー・ウェスチ殿。あなたは非戦闘員ゆえ、御身はわたしの命に代えても護ります。そのうち蟲の隙を作りますので、わたしが叫んだら、全速力で森から抜けてください」
「あちしは『そのうち』と『行けたら行きます』は信用しない主義なのでしが……。いまは團長の腕前と判断力を、全面的に信じるでしよ」
「……感謝!」
エルゼルは最初の犠牲者が絶命した広めの空間に立ち、上空からの攻撃に備えて長剣を構える。
残存兵二人もそれにならい、互いに背中をくっつけあって三方を護る。
シーはその中心で身を屈め、戦線離脱のタイミングを伺うそぶりを見せながら、その実、異眼で蟲の姿を追い、弱点を見出すべく、3人とともに「目」で戦う。
やがて蟲の移動が止まり、ゆらゆらと全身を揺らしながら両鎌を構える。
カマキリが捕食対象へ近づくときに見せる挙動。
それを知っている4人は、ごくりと生唾を飲み、覚悟を固める。
──ドッ!
突如、蟲の擬態部の乳房の狭間に、太い鉄矢が刺さる。
人間の心臓に相当する位置。
しかし蟲の急所はそこになく、致命傷はおろか、かすり傷程度のダメージしか与えられない。
蟲は動きを止め、触角が変異した頭髪をわさわさと波打たせて、まだ見えぬ新手への警戒を始める。
その金髪と同じ輝きの髪を持った少女が、ブナ科の植物の葉の塊をくぐって、樹上に現れる。
エルゼルたちを挟んで蟲の対面の、太い枝の上で弓を構える少女。
イルフの生まれ、ムコ・ブランニュー。
「……あるべきところに、心の臓はなし。これでおまえが、わたしの母の顔をしただけの、化け物だと腹が座った。母の顔……返してもらうっ!」
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