第061話 絵本
ラネットの團歌の仕上がりを確認するため、音楽堂へ同行するリム。
途中、図書室へと枝分かれする通路で足を止める。
「……ラネットさん、先に図書室へ寄りましょう」
「ん? どうして?」
「音楽の教本から、鍵盤の図や、類似の譜面を書き写していきます。メロディー確認の精度が、少しは上がるかと」
「へえ~……さっすが! リムはやっぱり、チームとんこつの頭脳だね!」
「自分でチーム名決めておいて、こう言うのもなんですけど……。『とんこつの頭脳』って、ちょっとおマヌケですね……アハッ。あ、図書室内では静かに……」
司書がいるカウンターの手前で口を閉じ、入室する二人。
司書はリムの顔を記憶済みのようで、図書の持ち出しの注意はしない。
カウンターわきを抜けて数歩進んだところで、ラネットがリムへ耳打ちする。
「……お師匠がいるよ。あそこ、ほら。休憩中かな?」
ラネットが胸元で、図書室の隅を指さす。
読書用のテーブルに一人腰を下ろし、頬杖をついて、寝かせた本へ視線を落としているメグリの姿があった。
二人は向かいの席へ静かに着席し、低めの声で話しかける。
「……お師匠、さっきはごちそうさまでした」
「なにをお読みなんですか?」
二人の声に反応し、メグリが顔を上げる。
それからニッと笑みを浮かべ、本の向きをラネットたちへと回転させる。
「……絵本。『
黒と青を基調とした2色刷りの、正方形寄りの形状の絵本。
開かれているページには、ドレス風にアレンジされた陸軍制服を着た美少女剣士「戦姫ステラ」が、鋼の長剣を空へ掲げ、陸軍の女性兵たちを鼓舞している。
やや写実寄りの作画だが、本文は幼児向けに砕いて書かれてある。
「あっ……。この絵本、ボクの孤児院にもある!」
ラネットが本を手元に引き寄せて、表紙を確認する。
「孤児院のは表紙が破けてて……。十数年越しで表紙と初対面だぁ。あははっ♪」
「これは初版が20年前だったけど、同じネタの本は、半世紀前からあるみたいね」
リムも横から、絵本をちらりと確認。
「戦姫ステラの絵本は、わたしも別の出版社のを持ってました。読まなくなってからは、美容院の待合室に置いていたんですけど……。お客様のお子さんが持って帰っちゃったみたいで、いつの間にか消えてましたね、アハッ。お師匠様、これを読んでらしたんですか?」
「……ええ。実は読んだことなくって。あのステラって子を勢いで弟子にしちゃったから、目を通しておこうかなって。あの子、この戦姫ステラに憧れてるのね」
メグリが表紙に描かれてあるステラを指さしたあと、本全体をパラパラとめくってみせる。
「……山奥から襲撃してきた蛮族の群れ。光の中から現れた、超人的な力を持った少女剣士『戦姫ステラ』が、陸軍の女性兵を率いて蛮族を倒す……。ラネットとリムは、この蛮族ってなんだと思う?」
メグリから唐突に提示される質問。
頭上に「?」を浮かべて、顔を見合わせる二人。
数秒後、ラネットが胸元で挙手をする。
「えっと……。孤児院の院長さんは、人の姿に近い魔物って話してくれましたね。牙が長くて、耳が尖ってて……。ほら、挿絵もそうですよ」
ラネットが本をめくり、戦姫ステラと蛮族が戦っているページを開く。
そこに描かれている蛮族は、巨躯で、顔が平たく、耳が尖り、口から牙をはみ出させ、獣の革を身に纏っている。
「リムは?」
ラネットが回答中に、自分も回答を模索していたリム。
名指しを受けてすぐ、テーブルの上で両手を組み合わせながら答え始める。
「……狩猟民族のイルフだという考察を、オカルト本で読んだことがあります。人類が進化して、人間社会が形成されていくにつれて、制度や文化に馴染めない人たちが山に籠り、独自のコミュニティーを形成したのがイルフ。野生生活への適応や、近親婚によるボトルネックで、耳が少し尖った形状になっているとか……」
「さっすがリムは博識ね。『ズッコケ三人組』ならハカセ、『マガーク少年探偵団』ならブレインズのポジションよ?」
「え……? ズッコケ……?」
「ああ、ごめん。わたしの故郷にある児童書。この図書室にはないと思うわ。要は、チームとんこつの頭脳ってこと!」
「アハハ……。また言われちゃいました」
「そのイルフ、わたしの故郷じゃ、エルフって呼んでる。
メグリがテーブルに両肘をつき、両手の指先を折り重ね、そこへ顎を載せる。
「……はい?」
「あなたが探してる、トーンっていう耳のいい女の子。ひょっとするとその、イルフかもしれないわね。もしそうだとしたら……どうする?」
「えっ? どうって……?」
質問の意図を汲み取れず、きょとんと眼を丸くするラネット。
ほどなくして、その意図を噛み砕く。
「……もしかして、生まれや育ちの話してます?」
メグリが神妙な顔つきで、無言で頷く。
対照的にラネットは笑顔を作り、顔の前で掌を横に振る。
「あははっ、関係ないです。もしトーンが街育ちの子だったら、山で出会えなかったし、そもそもボクもうこの世にいません。ボクだって山育ちだし、そのうえ孤児だし。むしろトーンが会ってくれないんじゃないかって、心配なくらいです」
「いまの話を聞いて、会いたいって気持ちにブレは?」
「全然ないです。会えるもんなら、いますぐ会いたいですよ」
「……それを聞きたかった。この絵本の表紙のように、必ず会えるわよ」
胸元で腕を組んで頷き、謎の「言ってやった感」を醸すメグリ。
次に、戦姫ステラが最も大きく描かれているページを開き、本をリムの前へスライドさせる。
「じゃあ、リムに質問。別の出版社の絵本を持ってた……って言ってたけれど、その本の戦姫ステラの姿、この絵本と同じ? 違う?」
「えっ? えっと……。そうですね……」
リムは眼鏡の両縁をつまみ、位置を正して絵本に食い入る。
「わたしが持っていたのはモノクロ本でしたが、長い髪、精悍な顔つき、ドレス風にアレンジされた陸軍の軍服、防具……は、だいたい同じですね。あと、本文では髪の色は水色でした」
「ほかには?」
「ほか……。ですか……」
なぜそんな質問を……という思いもあるリムだが、深い思惑がありそうなメグリの様子を見て、まだ試験の疲れが残る頭から記憶を引き出す。
「……あ。ステラのこの、両サイドの髪を束ねてるリボン。これもわたしが持ってた本と同じですね。斜めに交差させている巻き方が特徴的で、覚えてます」
「……そ。ありがと。それじゃ、わたしはこれで」
メグリは絵本を手元に手繰り寄せ、小脇に抱えて離席。
「あしたからいよいよ本番ね。頑張んなさい」
いつものウインクに、口の前に人差し指を立てるジェスチャーを加えるメグリ。
「替え玉受験がバレないように」という、秘密の応援が込められていた。
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