第071話 偽砲

 従者へ開放されなかった、中央のテラス。

 そのドアが開き、エルゼルが現れる。

 エルゼルはテラスの中央を進んで柵に手をかけ、無言で眼下を見る。

 その数秒後、エルゼルを追って、陸軍研究團・異能「鼻」こと、アリスが現れた。

 片手で日傘を差し、もう片手を体のわきで垂直に伸ばし、粛々と歩くアリス。

 その真後ろには、荷物袋を背負って頭を垂れている、メグリが続く。

 アリスとエルゼルが向かいあい、軍人同士の挨拶を始める。


「陸軍研究團、アリス・クラール。参じました」


「クラール様、昨日に続き、入團試験へのご協力感謝します。……後ろの者は?」


「付き人です。この城の臨時の調理婦で、わたくしの身の回りも世話させています。きょうは長丁場になりそうなので、老体のケアに同行させました。身元はわたくしが保証します。構いませんか?」


 エルゼルが、アリスの背後のメグリへ目をやる。

 調理婦へ支給している普段着に、二の腕と太腿にたっぷり肉を蓄えた、人畜無害な印象の、三十路らしき風体。

 それが笑顔でヘコヘコと頭を下げ、揉み手で懸命にご機嫌を取ろうとしている。


「……そういうことなら、わかりました。そこへお席を用意していますが、お付きの分も、追加しましょうか?」


「いえ、結構。立ち仕事の身なので、甘えさせる必要もないでしょう」


「わかりました。ところで、試験の判定作業に加え、追加のお願いがあるのですが……」


 エルゼルがアリスの真横へ進み、耳打ち。


「……海軍のスパイが、従者に紛れている恐れがあります。折を見て左右のテラスへ移動し、従者の中に海の香りがする者を見つけたら、わたしへ報告願いたい」


「わかったわ。でも人肌に染みこんだ磯の香りって、経血のにおいに近いのよ。人違いがあったら、ごめんなさいね」


「えっ……。経血の……?」


「冗談よ。閉経した女の、若い娘へのやっかみ。ウフフッ……」


「は、はあ……。あなたの冗談は、初めて聞きますね……」


「誰かさんからの、悪い影響かもね。では、失礼」


 アリスは代理でメグリに会釈をさせ、テラス中央わきに用意された、クッション厚めの四脚いすへと腰を下ろす。

 メグリは荷物袋から扇子、冷水入りの水筒、陶製の白いカップを取り出し、脇の小さなテーブルへ乗せ、日傘を掲げてアリスへ日陰を落とした。

 アリスは顔を正面へ向けたまま、メグリへ話しかける。


「……海軍のスパイですってよ。どう思う、メグリ?」


「蟲の奪取が目当てかしらね。飛空艇による立体戦を確立させたい海軍には、はねで飛ぶ巨大生物の生体サンプルは、でしょ?」


「回収の手口は?」


「蟲を檻へ入れて、飛行船で吊るし上げ……かしら? この城塞には平射砲しかないから、空から来られたら打つ手なしだわ。そして恐らく、その実行前に『耳』を襲う。飛行船の接近を早々に察知できる『耳』を……ね。『耳』は蟲発見器でもあるから、殺しはしないと思うけど」


「対策は?」


「まず、『耳』の警護を厚くする。それだけでも、スパイは自分たちの計画が読まれていると慎重になる。それから……ほうね」


「……偽砲?」


「文字通り偽の砲。遠目には判別できない偽物の高射砲を、木材で作るのよ。しっかり本物に見える塗装を施して、ところどころ金属のパーツも織り交ぜる。弾薬箱とかの小道具も、ちゃんと用意するの。対空装備があるとなれば、飛行船はおいそれと近づけない。加えて、近々高射砲が配備されるという噂を、城塞内に流しておく。これだけでも、かなりの牽制になるはず」


「……さすがね。あとで團長へ進言しておくわ」


「その必要はないっしょ。聞こえるように言ってるから。アリスも最初からそのつもりでしょ。アハ!」


 二人の会話をしっかり聞き取りながら、石壁の部屋を見下ろしていたエルゼル。

 不敵な笑みを浮かべ、ツルギ岳を見上げる。


(ふふっ……。さすがはナルザーク城塞の生き字引。臨時の調理婦と謳ってはいたが、どこからか切れ者を引っ張ってきたか。海軍と違い、よからぬことは企んでいまいが……。この老獪にも、目を配っておかねばな)


 アリスもそのエルゼルの思惑を見抜いてか、扇子を取ってメグリの太腿裏をちょんちょんとつつき、内緒話を要求。

 メグリが身を屈めると、アリスは扇子を口元で広げ、顔を正面に向けたままでひそひそ話を始める。


「……あなたは50年前も、そうやって軍師の才覚を見せていたわね。ツルギ岳の前でこんな話をしていると、若かりし日を思い出すわ」


「わたしの知識は全部、歴女れきじょの受け売り。わたしの無責任なアドバイスのせいで、狭い穴の中で青春を浪費する少女が、いまだにいるんだもの。戦姫どころか……戦犯だわ」


「『耳』のことね。会いたがっている子とは、再会させてあげたの?」


「うんにゃ、まだ。だって替え玉受験は不正だもん。不正だからこそ、それを償うほどの真摯な努力をするべき。それを見届けられたら、会わせてあげるつもり」


「甘いんだか、厳しいんだか……。メグリのその飴と鞭に、14歳だったわたしは、ずいぶんと揺さぶられたもんだわ。ああ……話戻すけれど、従者からスパイを炙り出すいい方法って、におい以外にないかしらね? 海軍の間者なら、わたしの嗅覚対策もすませてると思うわ」


「……そのスパイにはもう、目星がついてたりして。この情報は切り札として、まだ取っておくけどね。エヘ!」


 メグリの返答を受け、驚いて顔を合わせるアリス。

 そこにはアリスが予想していた通りの、自慢げにニヤつくメグリの顔があった。

 飄々と暮らしながらも、陰では他者のために先手先手で動いているメグリに、アリスはあらためて惚れ直した。

 頬を染めながら目を細め、うっとりとメグリを見つめる。


「あなたって人は……もう……」


「受験者用のお風呂でオッパイ観賞中に、スッパイ見つけちゃったのよん」


「え゛……? あなたって人は……もう……」


 アリスは顔から血の気を抜き、細めた目の周囲に皺を浮かび上がらせて、呆れ気味に同じセリフを繰り返した。

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