第070話 テラス

 従者たちは女性兵の先導で講堂を出され、武技試験を見学するか否かの選択を求められた。

 右の通路は、自室がある宿舎へ戻る順路。

 左の通路は、受験者たちが立ち入りを制限されていたエリアへの順路。

 ラネットはルシャへ変装中のリムの腕を引いて通路の端に寄り、判断を伺う。


「……どうする? 大声出したら連帯責任だってさ。ボク地声大きいし、思ったことすぐ口に出しちゃうから、部屋で待ってたほうがいい?」


 ラネットが珍しく、気弱そうな表情を見せた。

 一方リムは、気丈な笑顔でそれに答える。


「……いえ、揃って観戦しましょう。わたしたちは替え玉受験中ですから、同じ場所に3人いたほうが、嫌疑がかかりにくいと思います」


「なるほど……」


「それにどうやら、いままで入れなかったエリアへ行けそうです。お探しのトーンさんが、見つかるかもしれませんよ?」


「ああっ! そっかあ!」


「しーっ!」


 思わず大声を挙げてしまったラネット。

 慌てて自分の唇の前に、人差し指を立てるリム。

 ラネットは両手で口を押さえ、自分の軽率さと単純さを反省。

 そしてリムの唇を見、昨晩、勝手に奪ってしまった罪悪感で喉を熱くする。

 そのキスの件もこっそり含めて、ラネットは小声で謝った。


「あ……。ご……ごめん」


「いえいえ。本当に思ったこと、すぐ口に出しちゃうんですね。アハッ」


「根が単純なもんでさ……。はは……。でも、もう大丈夫。行こう」


 恐縮しながらラネットは、旅の目的であるトーンのことへ頭が回っていなかったことを、自分でも意外に思った。


(ボクはいつだって、トーンのこと真っ先に考えてたのに、リムに言われて思いだすなんて……。ボクこの城塞へ来て、たくさんのかわいい子に会っちゃったから、トーンのことを忘れ始めて…………ううんっ、そんなことないっ!)


 見学を決めた20人ほどの従者の行列を、少し遅れてラネットとリムは追った。

 一行は少し進んだところで、通路から派生した階段を上り、城の2階へ。

 そこからまた、少し殺風景な通路を歩く。

 ラネットは城内にトーンの姿がないかと、目を右端へ左端へと動かし、伺う。

 リムは講堂からの方角、移動距離を意識し、おおよその現在地を常に把握。


(上った階段は1階分。恐らくいま、中央棟の中央部辺り。初日、馬車から下りたときに見た戦姫像がある辺り……かと)


 先導の女性兵が止まり、従者の一行も止まり、最後尾にいた女性兵も止まる。

 一行の右手に、等間隔でドアが3基。

 両端のドアは開いており、その双方の向こうに、方形状に張り出したテラス、遠くの森の緑、ツルギ岳の威容、そして初夏の青い空が広がっていた。

 女性兵たちが従者を10人ほどに分けて、ふたつのテラスへ分散。

 最後に女性兵が入り、扉を閉める。

 白い塗装の石製の柵に囲われた、ざらざらとした質感のタイル敷きのテラス。

 武骨な造りの中にも、最低限の細工や文様が各所に伺える。

 ラネットは胸元の高さの柵へ両手を置き、青い空へと突きあがる、標高1,000メートル超のツルギ岳を見上げた。


(うわぁ……何日かぶりのツルギ岳だぁ! こんなに近くで見るの初めて! トーンがあの日言った、東のお城って……やっぱりここだよね!)


 青い空、茶色と鈍色にびいろが入り混じる山肌を見上げながら、長年の習慣を行なおうと、無意識に息を大きく吸い込んだ。


「すうううううぅ……」


 「トーン!」と叫びだすその直前、唇に甘い感触が生じ、それを止めた。

 昨晩内緒で奪った、リムの唇の、ぷにぷにとした感触。

 先ほどリムから受けた、大声への注意。

 そして、リムと同行中にトーンの名を呼ぶことの、言いようのない罪悪感。

 ラネットはすんでのところで大声を止め、吸った息を深呼吸へと変えた。


「……ふうううううぅ。あっぶな~……」


 一方のリムは、遠方の景色を楽しむのもほどほどに、眼下に注目。

 そこには、馬車から下りたときに見た戦姫像も、芝生の広場もない。

 代わりに、20メートル四方の石壁に囲まれた、壁と同じ材質の床の、屋根のない部屋が二つ、リムから見て左右に並んでいる。


(……戦姫像がないということは、ここから見えるのは、中央棟の裏側の景色。つまり、この城塞の全貌……)


 慎重に左右を確認するリムだが、リムたちがいる右手のテラスにはその右端に、もうひとつの左手のテラスには左側に、視界を遮るための大きな木板が立てかけられている。


(さすが城塞内部。必要以上のものは見せない……ということですね。では必然的に、わたしたちがこれから見学する試験は、あの石の部屋で行われることに……)


 そのときリムは、ハッと閃いた。


(戦姫ステラの像の、真後ろにテラス……。ステラにテラス……。ウフフッ……♪)


 リムはにやけながら、手にしていたバインダーの一番奥のメモ用紙に、「ステラにテラス」と一言書き込んだ。

 メモ用紙の一番最後のページは、日々思いついた冗談を書き留めておく「秘密のネタ帳」であった。

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