第044話 不正行為
(いち……たす……いち?)
あまりにも奇妙で、異質な出題。
(1+1……。普通に考えれば2。でも、そんな簡単な問題が、軍隊の登用試験で出るわけが……)
リムは念のため、右ページ全体をくまなくチェック。
しかしその1行以外に、文字も絵図もいっさいない。
(「1」と「1」を組み合わせてできる文字……という、なぞなぞですかね? でもでも、そんな問題が軍隊の登用試験で……)
さらに念を入れて、問題用紙を裏表紙までめくり終えてみる。
(裏表紙は……真っ白。ここになにか文字列があって、背後のページを透かして見ると、合わさって別の文字が浮かび上がる……とか、そういう系でもなさ……)
「一同待機ッ!」
視線を落として問題用紙とにらめっこをしていたリムの後頭部に、エルゼルの甲高い号令が突き刺さった。
びくっと体を震わせながら、顔を上げるリム。
堂内の各所からカラカラと鉛筆を置く音が聞こえてきて、リムは思いだす。
(「一同待機」は、不正行為を発見したときの号令……。ええと、その際は……)
リムもすぐに問題用紙と解答用紙を裏返し、鉛筆をその上に置いた。
それから命じられた通り、膝の上に手をのせ、正面を見る。
事が起きているのは、リムの右斜め前方向──。
イッカの右隣の受験者が、試験官の一人に右腕を掴まれている。
ウェーブがかかった橙色のツインテールを肩まで垂らすその受験者は、いやいやと顔をちぎれんばかりに左右に振っている。
受験者がリムのほうへ顔を向けた際、端をきれいに尖らせた太眉と、左目の下にある赤っぽいほくろが見えた。
受験者は顔をこわばらせ、瞳を潤ませながら、震える泣き声を立て始めた。
「なんにもありませぇんっ! なんにも隠してませんってばぁ!」
演台の前に出たエルゼルが壇上から飛び降り、脚を伸ばしたままで優雅に着地。
エルゼルは嫌疑がかかっている受験者へと歩み寄り、声をかけた。
「……女同士だからな。隠し場所は見た目から見当がつく。その左右に垂らした髪、全体に馴染んでいないぞ? おそらくきのうきょう、初めて編んだのだろう」
エルゼルが左手の人差し指と中指を、嫌疑者のツインテールへそっと差しこむ。
すっ……っと、髪の中から一枚の小さな紙片が取り出された。
「数学の公式……か。不得手な者には、値千金の情報だな」
エルゼルがその紙片を指先に張りつけ、高々と掲げてみせる。
「潰した米粒を糊の代わりにして、髪の中に張りつけて隠し、隙を見て取り出して公式を書き写す。使用後は、証拠隠滅のためにゴクン……といったところか。この米粒のように、少しでも食べ物の要素があれば、喉は異物を通しやすくなるらしいな。あいにくと、わたしは試したことはないが」
「……まだ使う前でしたっ! いえっ、使う気ありませんでした! 一種のお守りとして持ってたんです! 信じてくださいっ、エルゼル様ぁ!」
嫌疑者を立ち上がらせようとして、試験官が握っていた右腕を引っ張る。
しかし嫌疑者は着席を固持しようと、左手で机の端を掴んで抵抗。
イッカと共用の机が、ガタガタと音を立てて揺れる。
嫌疑者は恥も外聞もなく、顔と声をくしゃくしゃにして、弁明を続ける。
「戦姫團に入るのがぁ、子どものころからの夢だったんですうぅ……! 入團してぇ……こういう自分の弱いところを、治したかったんですぅ! どうか見逃してくださぁい! このまま試験受けさせてくださぁいいぃ! うわあぁああん!」
泣きじゃくりながら、いすから床へ転げ落ちる嫌疑者。
だらしなく尻もちをつき、胸部をひくつかせて泣く嫌疑者の顎に、エルゼルが指を添えて、顔を上向かせる。
「戦姫團が夢……だと?」
エルゼルは押収したメモ用紙を、嫌疑者の額へ張りつけた。
「おまえはそれで、その夢を穢したのだぞ! 栄光ある陸軍戦姫團を……土足で踏みにじったのだぞ!」
「うわあぁああぁあん! ごめんなさあいいぃいい! あああぁあああんっ!」
「……連れていけ。そして不合格の手続きを取れ。居住地の首長への通達も忘れるな」
エルゼルの断罪により、嫌疑者が不正者として確定。
不正者は嗚咽を漏らしながら、試験官に引きずられるようにして、よたよたと退堂する。
「ごめんなさいいぃ……。ぐすっ…………あぐっ……ひっぐ……」
──バタン!
前を向く受験者たちの背後で、ドアが閉じる音が鳴り、同時に嗚咽が消える。
リムにはあたかも、自分たちの背後で巨大な獣が大口を開けていて、不正者を食らっていくかのように思えた。
そんな緊張の面持ちの受験者が多い中、エルゼルは苦笑を浮かべる。
「やれやれ……。早々に不正者が出てしまったか」
エルゼルは受験者一同へ聞こえるように独り言をつぶやくと、軽やかに壇上へと跳躍。
演台に戻り、パンパンと手を叩く。
「……静粛に。いまのでわかってもらえたと思うが、われわれは不正に対し、一切の温情をかけない。この試験も、われわれの軍務のひとつ……だからな」
軍務。
夢見がちな思春期の少女の背筋を伸ばすには、これ以上ない言葉。
リムも例外ではなく、ここが軍の施設で、いま周囲にいる大人はすべて軍人だ……と、あらためて認識する。
エルゼルが背後の時計を見上げ、すぐに顔を正面へ戻す。
「現在、午前9時19分……。いまのアクシデントを鑑み、試験時間を5分延長する。試験は午後12時5分まで。午砲が鳴ってから、猶予が5分間……だな。では、試験再開ッ!」
エルゼルの号令から一瞬間を置いて、問題用紙と解答用紙を返す音が立つ。
リムもそれに続くが、気持ちはまだ、不正者を取り押さえていた現場のほうを向いていた。
(試験開始早々、すごいことが起きましたね……。不正者の隣だったイッカさん、これで調子崩さないといいですけど……)
イッカの背中へちらっと横目を向け、心配するリム。
その心配をよそに、イッカは背中の向こうで、ほのかに笑みを浮かべていた。
(くすっ……。うふふふふふっ……)
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