第013話 羽音

 ──バサバサバサッ!


 薄暗い空間の中央に、膝を抱き込んで座る少女。

 その耳の奥で、乾いた羽音が鳴る。


 ──バサバサバサバサッ!


 幼いころ、記憶に刷り込まれた羽音。

 耳と耳の中間辺りから時折生じ、時に右、時に左へと抜けていく。


「……………………」


 真上に近づき始めた太陽が、地表へ明るい光を注ぐ。

 少女の周囲にもうっすらと日が差し、石積みの壁を前方に浮かび上がる。

 少女は顔の前に垂れた灰色の長髪を、両手で左右に分け、宝石のような碧眼を覗かせる。


「……聴こえる」


 真っ白い肌との対比で映える桃色の唇が、小さく開く。


「ラネットの歌が……聴こえる……。麓から……」


 少女の脳裏に、ある少女との記憶が浮かぶ。

 愛らしい少年のような顔つきの少女が、並んで背負子に座っている。

 軽く繋いだ左手と、ふれあっていた左肩。

 その少女の体温が、映像を思い出すたびにほのかに蘇る。

 その少女は、己が提案した、わがままで馬鹿馬鹿しい約束を受け入れた。

 たった一夜しか会っていないその少女は、約束を7年間も継続している。


「ラネットの声……近づいていた。半月くらい前から……」


 ──トーーーーーーーンーーーーーーーーッ!


 羽音と同じ発生源から、ラネットの声が生じる。


 ──トーーーーンーーーーッ!


 幼さを含んだ声、甲高さを含み始めた思春期の声……。

 声の主の成長と変声をたどるように、少女は己の名を呼ぶ声を、複数思いだす。


 ──いっくぞおおおおおぉおおおっ!


「きのうも……麓から声がした。入團……試験……?」


 誰かを抱き締めるかのように、少女は腕を回した両膝をぐっと抱え込んだ。


「羽音……。悪魔の羽音から、ずっとわたしを守ってくれたラネット……。会いたい……」


 ──バサバサバサバサッ!


「……っ!」


 少女が反射的に両耳を塞ごうとし、その両手を宙でぴたりと止めた。


「記憶の中の音は……耳を塞いでも消えない。耳を塞いだら、新しい音を聴き逃す……」


 分けていた髪が眼前にパラパラと戻り、左右の碧眼を覆う。

 少女は小さくはぁはぁと息を漏らしつつ、荒れかけていた呼吸を整える。


「ラネット……会いたい。でも…………ここには来ないで」


 太陽が雲の陰に隠れ、少女を再び薄い暗闇へと戻した。

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