第168話 食料壕
「「「はーっ……はあーっ……ぜぇ……はぁ……ふぅ……はぁ……ふうぅ……」」」
──正午過ぎ、東棟食堂。
飲食スペースの隅のテーブルに、窓際からロミア、ユーノ、フィルルが並ぶ。
3人は調子バラバラの息継ぎを重ねながら、肩を大きく上下。
時折、ガラスのコップに注がれた冷水を口へと運ぶ。
対面に座っているメグリが、左手で頬杖をつき、右手のピッチャーで随時コップへ冷水を補充しながら、ロミアへと話しかける。
「そのスパイっ子、牢から出してよかったの?」
「緊急……事態だもノ……。しかた……ないワ……。ふぅ……ンくっ……ごくっ」
言い終えながら水を口へ運ぶロミア。
入れ替わりにユーノが、コップをテーブルへ置きながら口を開く。
「ふぅ……。いまさら……逃げも隠れもしませんよ……。手ぶらで帰るより、フィルルお嬢様に便宜を図っていただくほうが、ずっと立場がいいですからね……。それに……。逃げたところでまた、そちらのイルフに追われそうですし……くくっ」
ユーノが視線をスライドさせ、メグリの隣に座るムコと目を合わせる。
ムコは真顔を崩すことなく、無言でユーノの視線を受け入れた。
「……………………」
──時をさかのぼること、少し前。
厨房内で、メグリが小振りのフライパンでモヤシを炒めながら叫ぶ。
「……ムコ! 悪いけどゴマ取ってきてくんないっ!? 昼、持ちそうにないの!」
この日は通常メニューと並行して提供しているとんこつラーメンの出がよく、仕上げに表面へ振りかけるゴマが、昼食タイムの真っただ中で切れかけていた。
メグリの隣で、ギョーザの餡を木製のボウルで練っていたムコが、手を止めて、両手についた餡を落としながら返事。
「はい。量は?」
「ええっと、そうねぇ……。小袋2……いや、3お願い!」
「わかりました」
「あっ……ゴマは食料壕の、奥の右手の棚ね! 真っ暗だから燭台持ってって!」
食料壕。
厨房の地下にある、細長い通路状の、石造りの食材の保管庫。
地底のため地表より気温が一回り低く、食材の保存に適している。
運搬の労力を考慮して、重い物が手前に、軽い物が奥に配置されている。
「大丈夫。わたし、夜目利きますから。あと、ゴマの場所もにおいでわかります」
「そ……そう。さすが山育ちね。これならアリスも、安心して『鼻』を託せるわ」
「ありがとうございます。すぐ、戻ってきます」
厨房の隅にある、丸い金属製の蓋を開け、食料壕への階段を下りるムコ。
その後ろ姿を見ながら、メグリは目を細める。
(いい子ねぇ……。素直だし、家事全般得意だし、身体能力高いし、勉学にも励んでる。それにしっかり美形。あの子を入團させずして、なにが戦姫團だっての!)
丼三つにとんこつラーメンのスープ、麺、具材を投入し、薬味のゴマを気持ち少なめに振りかけながら、メグリはそう思案。
仕上がったとんこつラーメンを、既にギョーザと半チャーハンが載っているトレーへ置き、飲食スペースへ向かって叫ぶ。
「とんこつラーメンセット3丁、上がりっ!」
待ちわびていた受験者とのその従者3人が、足早にトレーを取りにくる。
すぐにメグリは、食器の返却口にあるトレーを両手に抱えて、洗い場へと持っていく。
(おっ……両方ともスープ完飲! あざーっす! メグリ流とんこつラーメンも、受け入れられてきたようで万々歳! あっちの客はおっさんメインだから、こうして若い子に食べてもらえるのは、うれしいわねぇ!)
メグリは胸元で両手を絡ませて一つの拳を作り、瞳を閉じて感慨にふける。
瞳を閉じれば、すぐにまぶたの裏に浮かぶ、本来の自分の店の構え。
コンクリート打ちっぱなしの床、テーブル席二つに、カウンター5席の、こじんまりとした、古びたとんこつラーメン屋。
思い浮かぶ常連の大半は、中年男性か高齢男性。
女性の顔なじみ客もいるにはいるが、ラーメンよりもメグリの人間性を気に入っている中年女性ばかり。
(いや~、別世界にきてあらためて思い知らされるけれど、うちはとにかくオヤジ臭しかしないお店だわね~。でも本当は、こういう女の子のお客ばっかりのとんこつラーメン屋を目指したかったのよ! そういう意味では、わたしもラノベにありがちな「ハーレム築いた異世界転移者」よね! あはははっ! でも……本当は……。アリス一人さえ、そばにいてくれれば、わたしは……)
「……メグリさん」
感慨に耽るメグリの右耳に、不意にムコの声が入ってきた。
メグリは、その存在を気取れぬほどに郷愁に没頭していたのだと、やや恥じ入る。
そんなメグリの思いを知る由もないムコは、ゴマが入った紙製の小袋を四つ、メグリのわきに置いてから、言葉を続けた。
「食料壕で、異臭がしました」
「異臭?」
「はい。ヤマカガシの匂いです」
「ヤマカガシって……ヘビの?」
「はい。でもヘビの匂いではなく、その毒の匂いです。ヤマカガシを火にくべて焦がしたような匂いがしました。奥の扉の、隙間からです」
「奥の扉……。ここの食料壕って確か、地下牢と繋がってるのよね。で、そっから毒っぽい異臭。地下牢にはたぶん、毒針使いのスパイっ子……。なんだか穏やかじゃあないわね。ちょっと見てくるわ」
「わたしも行きます。夜目が利くので、きっと役に立てます」
メグリはさっとエプロンを外し、厨房の隅に打ちつけられている釘に掛け、点火した燭台を左手に、食料壕への階段を下りる。
ムコはメグリのエプロンの上へ自分のを重ねると、手ぶらで続いた。
「……ちなみにムコ? ヤマカガシは食べたカエルから毒を作るから、別の餌だけで育てれば無毒になる……って説もあるのよ」
「そうなのですか。初耳です」
「人間も同じかしらね。与えられた環境次第で、無毒にも有毒にもなる……か」
「でも毒がないと、自分を守れない生き物もいます」
「いい着眼! ま、毒を持つのは勝手だけど、吐き散らかしちゃダメってことね」
「はい」
一段下るごとに空気が冷たくなっていく階段。
それを下りきると、食材を並べた棚が左右に並ぶ食料壕がある。
麻袋、紙袋、木箱、瓶、樽に収められた様々な食材の間を抜けて、二人は突き当たりにある鉄の扉の前に立った。
メグリがスンスンと鼻を鳴らす。
「……わたしは特に、異臭は感じないわねぇ。戦姫補正って、なんか嗅覚には働かないのよねぇー。そこはアリスに頼れってことなのかしらん?」
「せんき……ほせい?」
「ああ、なんでもないわ。独り言。ムコはこの扉の隙間から、異臭がするのよね?」
「はい」
「ふぅ……だったら開けなきゃだわねぇ。板長からは、立入禁止って言われてるんだけど……しゃーないか!」
上下に2本掛けられた鉄製の重い
──ガタンッ! ガタンッ!
向こう側で重い物が引っかかっているような手応えがして、扉は動かない。
「あ……これ、あっちにも閂があるパターンだわ。さすが地下牢に通じてるだけあって、用心深いわね」
「どうします?」
「こういうときは……引いてダメなら押してみろ、ってね。ムコ、これ持ってて」
メグリが燭台をムコへ手渡し、扉から一歩後退。
脚を前後に開いて、つま先とかかとの位置をズリズリと微調整。
一旦上半身を脱力させ、深呼吸してから、気勢を上げる。
「はあああーっ!」
力強く右足を踏み出しながら、高速で上半身を捻るメグリ。
右足を扉の手前へ着地させると同時に、背中で勢いよく扉へ体当たり。
──ガゴオオオオォン!
重く鈍い金属音が、地下道で激しく反響。
扉の向こうでは、鉄の閂2本を渡していた固定具、その太い鋲がすべて壁から抜けて吹き飛んだ。
音と手応えでそれを察したメグリは、あらためて取っ手を握る。
歪んだ
「叩けよさらば開かれん……ってね! 用法……合ってるかしら?」
蝋燭の火越しにムコへウインクをしてみせたメグリは、燭台をムコの手から取り、半分ほど開かれた扉の隙間から、地下牢エリアへと進む。
昨日の蟲との戦闘、そして先日のエルゼル戦でメグリの強さを間近に見ていたムコは、いまの力技に、さしたる驚きは浮かべない。
ただ、体当たり時の音の残響に、長い右耳の先端を震わせるのみ。
「……どうして食料置き場の先に、地下牢があるのでしょう?」
「この城塞の東棟と西棟の、非常時の連絡通路なんじゃない? 敵に攻め入られたときに、ここを通って逃げたり、敵の背後を突いたり……的な」
「なるほど」
通路の両脇に並ぶ地下牢を3組過ぎたところで、二人の前方、その低い位置から、かすれた声が聞こえてくる。
「ひ……かり……。あか……り……」
毒性の異臭と聞いてもたじろがず地下へ下りたメグリだったが、その不気味な声を受けて、さすがに足が止まる。
「えっ……? な、なに……?」
メグリは燭台を握る左手を、恐る恐る前方へと運んだ。
前方の床の上で、人間大のなんらかの生物が、もぞもぞと蠢いている。
メグリはごくりと生唾を飲み込むと、伸ばした腕はそのままに半歩前進。
頭部に明かりを浴びた生物が一瞬ビクッと大きく震えたあと、ものすごい勢いで床を這いずりながら、奇声を上げて接近してくる。
「ひっ……光っ! 明かりっ! ひかりあかりひかりあかり……光いいいいぃっ!」
「ぎゃああぁああぁああぁーっ!」
──時を戻し、食堂へ。
いよいよ空になったピッチャーをテーブルの端へのけてから、メグリが両腕で頬杖をつき、前髪がほつれたロミアを見る。
「……いやぁ、副團長が床を這ってきたときは心底ビビったわよ。走光性が強い巨大ゴキブリかと思ったもの」
「それは失礼したわネ、うふっ……。わたし、本当に真っ暗闇がダメで、長くいるとパニくっちゃうのヨ……。でもゴキブリと見間違われるのは、少し心外かしら? 訓練で磨き抜かれた匍匐前進だったのヨ?」
「それで這うのが異常に速かったのね……。で、体調に問題はなさそう? ムコが言うには、わたしたちがたどり着いたときには、毒気は散ってたそうだけど」
「ええ、おかげさまで……ネ。でも受験者の彼女は、メンタルケアが必要かしら?」
ロミアが背を反らして、ユーノの向こうにいるフィルルを見る。
生気のない表情をしたフィルルは、震える両手でコップを持ち、半分注がれた水の表面を波立たせている。
「わたくしは小顔……。小顔ですとも……。面長だけれど、決して頭は大きくないわよ……。鉄格子に挟まったのは、このボリューミーな髪のせい……。きっと……いいえ、絶対そうですわ……。ウフッ……ウフフフッ……」
薄く開いた唇から、奇怪な笑い声を漏らすフィルル。
微笑み状の糸目でありながら、顔が笑っていないのが容易に見て取れる。
ユーノなら頭がくぐりそうだと目測していた鉄格子の隙間に、自分の頭が嵌って、抜け出せなくなったショック。
加えて助け出される際、メグリが力に任せて鉄格子をさらに大きく広げてしまったため、「自分は顔が大きい」というネガティブな暗示がかかり、それにプライドが必死に抵抗しているという状態。
メグリは眉間に縦皺を刻んで瞳を閉じ、腕を組んでフィルルのケアの方法を思案。
「うーん……。慌てていたとはいえ、もっと優しく助けてあげればよかったわねぇ……。責任の一端を感じるわ……」
そのとき、食堂へアリスが入ってくる。
雑多な食品臭が漂う中、一嗅ぎでメグリを見つけたアリスは、一直線にそのそばへと向かう。
「……メグリ、いまちょっといいかしら? 立て込んでるなら、あとでも構わないけれど……」
「……あら、今度は先代の『鼻』から相談? わたしも忙しいわぁ」
「わっ……わたくしまだ先代じゃないわ! 現役よっ!」
アリスが肩を怒らせながら、右足の靴のかかとでカッと床を叩く。
その拍子に、トレードマークの白銀のツインテールがぴょんと跳ねた──。
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