第002話 約束
少女の背後で
男たちは、斜面のわずかな足場にいたラネットを、下ろしたロープを伝ってスムーズに救出し、下山を開始。
その中でも一際大柄な男が、材木を担ぐための
背負子はそれなりに揺れるものの、険しいアップダウンがある山道を危なげなく歩く山男に、ラネットは畏敬の念を抱く。
その男たちの中に、ラネットの知る顔はない。
まだ心細さを燻ぶらせるラネットは、命の恩人である隣の少女へ顔を向け、声をかけた。
「……きみ、泣き声でボクを見つけてくれたんだね。すごく耳いいんだね」
「……かなりね」
少女はラネットに顔も視線も向けることなく、ぼそりと返答。
いまはだれかの温もりに接していたいラネット。
右手で少女の左手を握り、会話を続ける。
「ボクはラネット……って、きみはもう知ってたっけ。きみの名前は?」
少女は繋がれた手へ視線を下ろすと、少し間を置いてから名乗った。
「……トーン」
「トーン……。ボク、トーンになにか恩返ししたい! 命の恩人のトーンに!」
感謝の気持ちが昂りとなり、声を高くしてしまうラネット。
しかしそれは、すぐに苦笑いへと変わった。
「……と言ってもボク孤児だから、ろくなお礼できないけどさ。あはは……」
ラネットの脳裏に、3歳時に死に別れた両親のシルエットがぼんやりと浮かぶ。
農家だった両親は、行商先の土地で事故死。
行商の際、孤児院に一時預けられていたラネットは、そのまま院の一員となった。
「でももし、ボクのお父さんとお母さんが生きてたら……。トーンにたくさんお礼すると思うんだ。ボクも、お父さんとお母さんがくれた命……の恩人に、いっぱいお礼したい」
トーンの視線がラネットの顔へと移り、やがて顔全体をラネットへ向けた。
トーンは無表情のまま、しばしラネットを見つめる。
返答を待つラネットは、苦笑い時の半開きの口をそのままに、トーンを見返す。
後続の松明に照らされてチカチカとてかるトーンの唇が、やがて開いた。
「……恩返し。だったら……一つお願い」
「なに!? なになにっ!?」
「わたしの……名前を呼んで」
「名前?」
表情を変えず、淡々と返答し終えたトーンが、顔を正面へと戻す。
一行は周囲が開けた上りルートへ入り、二人の視界が小刻みに高くなっていく。
「……わたし、近々お城へお勤めするの。東の山の向こうにある、お城へ」
「東の山の向こう……。あの、ツルギ岳の先?」
ちょうどいま二人の正面に見える、白み始めた東の空。
その下にうっすらと浮かぶ、
トーンがこくんと頷き、小さく口を開ける。
「あそこへ向かって、わたしの名前を大声で呼んで。しばらくの間」
「呼べば……トーンに聞こえる?」
「……かもしれない」
「うん! じゃあそうする! ツルギ岳に向かって、毎日トーンって叫べばいいんだね!」
「毎日じゃ……なくてもいい。雨とか降るし。飽きたらやめていいから」
言い終えたトーンが口を結び、瞳を閉じ、軽く俯く。
彼方に小さく見えるツルギ岳が、人間の肉声がおよそ届く距離でないことは、幼いラネットにも想像が及ぶ。
(あそこまで、声届くかな……。ボクの小さな泣き声に気づいてくれたトーンなら、大声で叫べば聞こえるの……かも?)
そう考えたラネットは、救出されたときからずっと意識の隅にあった疑問に、ハッと気づいた。
「……あっ。そう言えば、どうしてトーンはボク探しに加わったの? 夜の山、怖いと思わなかった?」
その質問に対しトーンは、鼻から漏らした小さな寝息を返す。
「寝てる……。早……」
山男たちは、一帯のピークで歩みを止めた。
それから周囲の生木の枝葉を刈り取り、束ねて松明へとくべる。
水分と油分を含んだ枝葉が、白い煙をもうもうと上げた。
(あれって……
隣のトーンが寝たことと、いよいよ安堵が緊張に勝ったことで、ラネットにも眠気が湧いた。
重いまぶたに逆らえず、ラネットは瞳を閉じる。
繋いだままのトーンの手が、ラネットを睡眠の闇へと優しくいざなう。
(トーンの手……あったかい。真っ暗闇でも……。独りじゃないなら……怖くないんだ……ね…………)
こめかみを合わせて寄り添う二人の寝顔を、朝日が雲の隙間から照らした。
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