第057話 遺骸(※残酷描写有り)

 一次試験・学問。

 その終わりを告げる4発の午砲は、ナルザーク城塞を囲む森にある、トラック状の防火帯にも響いている。


「……午砲が4発? ああ、例の入團試験の仕掛け……ネ」


 城塞の北西1.5キロメートルほどの森の中。

 先細りの長い横髪を両サイドに垂らした、目つきの鋭い長身の女性兵が、枝葉に覆われた空を仰ぐ。

 真上の太陽から、初夏の鋭い木漏れ日が、針のように降り注いでいる。


「午砲が鳴っても、ランチは摂れそうにないわネ……」


 女性兵の足下から、2メートルほど先の地面。

 高木の根元と根元、その狭間で「く」の字に屈折している、少女の遺体。

 頭部はなく、四肢はもげて骨が露出し、はみ出た臓器は平たく萎んでいる。

 破れた衣服から覗く性器、そして獣に噛みちぎられた乳房の痕から、かろうじて少女だとわかった。

 周囲には腐臭が漂い、遺体にはハエやシデムシが無数に群がっている。

 あと一歩踏み出せば、ハエが一斉に飛び立ち、不快な羽音を立てるのを女性兵は察し、間合いを取っている。

 数メートル離れたところで嘔吐を繰り返していた発見者の女性兵が、口にタオルをあてがい、目尻に涙を溜めながら、よろよろと戻ってくる。


「すみません……副團長。お見苦しいところを……」


「出しきった?」


「は、はい……。でもこういうときの吐き気って、出しきっても止まらないものなんですね……。まだ胃がうねってます。副團長は……平気なのですか?」


「……まさか。やせ我慢ヨ。人の骸なんて、絶対見慣れるわけないし、絶対見慣れてはいけないの」


「は、はい……」


「かくいうわたしも、見てきた遺体は滑落者ばかりで、蟲の犠牲者は初めて。正直、かなり動揺しているワ。でも蟲を相手にする上で肝心なのは、いかなる状況でも動揺を顔に出してはダメ……よネ?」


 副團長が、生来の精悍な顔つきをいっそう引き締めて、女性兵の顔を見る。

 女性兵が慌ててタオルで口を拭い、背筋を正す。


「……はいっ! しかし本当に、酷い状態ですね……」


「まず高所で蟲に首を齧られ、そのときに頭部がもげた。胴体はやがて飽きられて捨てられ、擦過傷を作りながら山肌を滑落。その後、オオカミ、キツネあたりに食われつつ引きずられ、カラスに肉を削がれて、これに至る……といったところね。頭部は恐らく、出てこないでしょう」


「うぷっ……なんとむごい。あの……これは、犠牲者の遺品と思われるリュックです。中に、受験票と、登山用具が……」


 女性兵がタオルを口に当てたまま、登山用具が詰まった遺品のリュックと、予備試験の結果が記された受験票を、片手でまとめて差し出す。

 副團長は受験票だけを受け取り、目を通す。


「名前は、キッシャー・アーク。16歳。予備試験の成績は、丙、丙、乙、丙……」


 副團長は遺体に背を向け、左手の指の背でピシッと受験票を叩き、溜め息をつく。


「ふぅ……。ツルギ岳が目当ての、典型的な冷やかし受験者。死者を冒涜したくないけれど、容姿が丙なら『顔移し』はされてないでしょう。それがせめてもの救いネ」


「……すみません。われわれの日々の監視が、行き届いていない結果です」


「それもあるし、入山禁止の山に登りたがるクライマーにも問題あり。そもそもこういう輩に受験票を発行する、首長にも思慮が足りない。最近は、受験票を餌に若年者の移住を促す過疎地域もあるらしいけど、今回そのケースかもネ」


「……そうなるともうダフ屋ですね。それでこの遺体は、どうされるのですか?」


「こう損傷が酷いと、『目』も『鼻』も相手にしないでしょう。残存部より欠損部のほうが多いもの。恐らくこのまま、コモに包んで荼毘に付すことになるワ。遺骨と遺品は、麓の警察に託す。ただの滑落による事故死……としてネ」


「やはり、蟲の存在は隠しますか」


「当然ヨ。機密扱いなのもあるけれど、遺族に『おたくのお嬢さんは蟲に食われました』なんて、言えるはずもないでしょ?」


「ですね……」


「最近は、海軍も蟲に興味を示しているそうよ。蟲の存在の秘匿を強めよと、陸軍大臣から通達があったワ。あなたたちも、絶対口外しないでネ」


「は……はいっ! それはもう! ですが……なぜ海軍が、蟲に興味を?」


「飛行技術ね。彼らは、船の上から飛行機を飛ばすことを夢見る空想家。垂直に飛び上がれる巨大な蟲が、神の御使いに見えているのかもヨ?」


「蟲から飛行技術を……? まさか海軍は、蟲の生け捕りを……!?」


「……恐らく。蟲と同じくらいに、にも注意が必要……ってこと。さ、一旦監視所へ戻りましょ。遺体を運ぶには、人手も道具も足りないワ」


「……はい!」


 女性兵が、森の景色に溶け込みにくいピンク色のリボンを、目印としてそばの枝葉に巻く。

 副團長はその間、城塞の方向の空を見上げ、左手を側頭部に当てる。


「わたしもそうだったけれど……。戦姫團の仕事がこのようなものだとは、受験者のだれも、思っていないでしょうネ」


 言い終えた副團長が顔を下げ、左手を口元へ移動させる。


(……いえ、わかっている者もいるかも。受験者の中に、がいないとも限らない……)

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