第112話 事後と事前
──音楽堂、防音室前。
壁に複数並ぶその入り口の前に、トーンの命令を受けてやってきた女性兵二人組が、全室共通の合鍵を手に、並び立つ。
「左端から……いくか?」
「……うむ。だが、海軍のスパイが潜んでいる嫌疑あり、だ。ノックや声かけはせず、静かに開錠し、ドアを開けよう。鍵を開ける役は任せた。わたしはおまえの背後で、抜刀の構えを取っておく」
「……わかった。ドアを開けた瞬間、飛び出してくるかもしれんからな」
合鍵を手にした女性兵が、左端のドアの鍵穴へそれを差し、音を騙し騙し開錠。
静かにドアを、前へと押し開く。
室内で團歌の練習をしていたイッカが、突然の闖入者に驚きの表情を浮かべ、歌唱を止めるも、女性兵たちの軍服を見て戦姫團の團員と察し、安堵。
「な、なにか……ご用ですか?」
女性兵たちも、中にいたのが受験者一人だと判明して、同じく安堵。
事の仔細を省いて、イッカへ事情を話す。
「……抜き打ちの見回りだ。防音室は中でなにが行われているかわからぬからな。こうして合鍵を用いて巡回している。受験票を提示しろ」
「……そうでしたか。お勤めご苦労様です。受験票はこちらです」
軽く会釈をしたイッカが、胸元から受験票を取り出して女性兵へと差し出し、言葉を続ける。
「このまま歌唱の練習、続けてもよいでしょうか?」
「……いや、ダメだ。一旦退室し、宿舎へ戻れ。念のため、この室内を点検する。1時間ほどしたら、また来るがいい」
「承知しました。では、失礼します」
返却された受験票を手にしたイッカは、極力足音を抑え、その場をあとにする。
女性兵二人は防音室へと入り、室内をくまなく点検する。
「……置き手紙やメッセージの類は、なさそうだな」
「……ああ。入室時に團歌を練習していたし、いまの奴は、怪しむところはないだろう。次の部屋へ移ろう」
「うむ」
女性兵二人は、他室の受験者に気取られぬよう慎重に巡回を進めていく。
そして、ルシャとセリがいる防音室のドアを開けた──。
「──戦姫の御旗~山風受け~♪ 半可な心~躍り立つ~♪」
「──戦姫の御旗~山風受け~♪ 半可な心~躍り立つ~♪」
室内では、歌詞が書かれた紙を手に歌うルシャと、その顔を直視しながら、輪唱のように追従して歌うセリの姿があった。
ドアが開いたのに気づいた二人が同時に歌唱をやめ、女性兵を向く。
場にいる4人の中で真っ先に口を開いたのは、頬を赤く染め、
「……な、なんか用か?」
「……抜き打ちの巡回だ。防音室は機密性が高いため、ときどきこうして巡回をしている。受験者は受験票を提示し、従者の身分を述べよ」
「受験者」と指定を受けてセリは、ドレスの胸元から受験票を取り出し、提示。
「受験者番号34、セリ・クルーガーだ。こちらの女は、受験者番号35、リム・デックスが従者、ルシャ・ランドール。チームは違えど、わけあって、助太刀を願っている」
セリの紹介を受けて、ルシャが恐る恐る女性兵へ会釈。
女性兵二人は、やや特殊な組み合わせの二人を前にして、耳打ちで相談。
「……チームが異なる従者との同伴。怪しくないか?」
「……だが、入室時に團歌を歌っていた。二人とも顔が赤く、発汗も多い。熱唱を続けていた証拠だろう。海軍のスパイが、われわれの團歌を熱唱するとは思えん。他チームの従者との接触も、特に禁じられてはいない。室内にスパイ活動の痕跡がなければ、無罪放免でいいだろう」
「……わかった。室内はわたしが確認する。それまで、これらを逃がすな」
女性兵一人が防音室の奥まで押し入り、壁、天井、床をくまなく点検。
異常がないのを確認し、セリとルシャへ退室を促す。
「……問題なし。小一時間ほど、自室で待機せよ」
女性兵の命令に、受験者であるセリが返答する。
「了解」
ルシャがセリに肩を抱かれる格好で、二人は防音室を退室。
女性兵たちと距離ができたところで、ルシャが頬をいっそう赤くしながら、セリへと小声で語りかける。
「……アレ、早めにきりあげて正解だったな。もうちょっと続けてたら、赤っ恥だったぜ……ふぅ~」
「フフッ……まったくだ。物欲しそうな顔のルシャを、なだめた甲斐があった」
「ああぁ!? まだヤりたがってたのは、おまえのほうだろ! エロしょんべん、床に撒き散らしやがって……。オレの大事なさらし、雑巾になっちまったぜ……ったく」
メイド服の内ポケットに、汚れたさらしを隠し持つルシャ。
二人は横に並び、赤い顔を揃えて、そそくさと退散。
女性兵たちはそんな二人を怪しむことなく、右隣の防音室の開錠を始める。
中にいるのは、持ち歌の熱唱でラネットを誘惑するカナンと、なんとかそれに耐えているラネット。
合鍵を持つ女性兵が、ドアを前へと押し開ける。
開けたドアの隙間から甘く、柔らかく、軽やかな歌声が、跳ねながら漏れてくる。
「キミとひとつになれたこの日が……わたしたちのトラ…………きゃっ!?」
壁に背を預け、9割方放心状態になっているラネット。
そのラネットに正面からぎゅっと抱きつきながらも、突然の闖入者に驚いて、歌唱を途絶えさせたカナン。
女性兵二人は、これまでどおり巡回の趣旨を説明。
受験者であるカナンへ、身分の証明を求めた。
「えっとぉ……。受験者番号9番、カナン・トランティニャンです! そしてこちらは……。カナンの大切なパートナー、ラネットちゃんですっ!」
「あああ……いえいえ、違いますっ! ボクは受験者35番リム・デックスの従者、ラネット・ジョスターです! カナンとは、ちょっと歌の練習してただけです……はいっ!」
ラネットはここが機とばかりにカナンの抱擁から脱し、女性兵二人の背後へと、駆け足で移動する。
その様子を見て女性兵二人は、苦笑を見合わせて、おおよその事情を察した。
ラネットを背にしている格好の、合鍵を持った女性兵が、ラネットへそっと言う。
「……ははっ、災難のようだったな。この女の園では、しばしばあることだ。あの魔性の歌声を持つ小娘に迫られて、難儀したのだろう? なに、室内に問題がなければ、すぐに解放してやるから、少し待っていろ」
「は、はい……」
この、ラネットへと語りかけた女性兵。
偶然にも、午前中の武技試験でカナンの相手をした、ゴーレムの中の人だった。
カナンの甘い歌声で体を弛緩させ、あまつさえモーニングスターの鉄球部を踏んで転倒し、武器の持ち替えを行うという大失態を犯した、この女性兵。
ラネットが、甘々ボイスハラスメントの被害者であることを、すぐに察した。
サビを歌い終えるあともう一声でラネットを陥落させられそうだったカナンは、右手親指の先を幼児のようにチュパチュパ舐めながら、桃色の頬を丸く膨らませ、乱入者を恨めしそうに睨む。
「もぉ~! あとちょっとでぇ……。ラネットちゃんと……一つになれたのにぃ!」
ドアが開けられたままの、その防音室。
出入り口から漏れた、甘い響きを帯びたカナンの恨み節を、聴音壕のトーンはしっかり傍受していた。
トーンは両手を固く握りしめ、それを頭上に高々と掲げて、感情をたっぷりと込めた勝鬨を上げた。
「……っしゃあ!」
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