第152話 撤収作業
──正午すぎ。
真上に昇った太陽へ、エルゼルの号令が飛ぶ。
「……戦闘終了ッ! これより撤収作業に入る! 蟲の遺骸は、研究團の指示の下、回収する。遺骸にも鋭利な部位が多いため、万全の注意を払えッ!」
蟲の頭部、蟲の中枢である厚い袋状の
それらの破壊をもって、今回の蟲との戦闘は勝利を収めたと、エルゼルが判断。
戦闘終了の号令が下され、撤収作業が始まる。
野砲を砲座から取り外す作業を進めながら、砲隊長・ノアがぼそっとつぶやく。
「先ほどの砲撃……。どうも、正午ぴったりだったような気がするが……。もはや体内時計が設定され……いや、考えるまい。考えるまい……」
蟲の体は、脚、翅などの腐食しにくい部分は研究材料として、幌馬車に積まれて城塞へと運ばれる。
それ以外の部位はその場で焼却処分とされ、現在進められている各部の模写が済み次第、枯れ草、枯れ枝、ガソリンにて火を着けられる。
布陣の外に構えていた軍医の簡易テントも折り畳まれ、その中で横になっていた、アナフィラキシーショックで倒れた海軍のスパイ、ユーノの姿が太陽に晒される。
丈の低い雑草の上で横になり、膝を曲げるユーノの体には、逃げ出さないよう麻縄が巻かれ、蟲の解体作業を見せぬよう、目には黒い遮光性の布が巻かれている。
「ククッ……。作業は見えませんが、戦姫團の方々が、解体した蟲を右へ左へ運ぶ様は、掛け声と音でわかりますよ……。さながら、働きアリの集団なのでしょうねぇ」
その隣に腰を下ろし、解体作業を見つめているのは副團長・ロミア。
蟲に捕獲されていたため、軍医から休養を勧められていた。
ロミアは自身が緊縛したユーノの体を見下ろし、縄によって存在が強調された乳房の上側を、左人差し指でツンとつついた。
突然の刺激に、ユーノが短く悲鳴を上げる。
「……ひっ!?」
「そういうあなたはいま、ウミガメみたいな姿なのヨ? ウフッ……」
ユーノの自由を奪っている麻縄の縛り方は、俗に言う亀甲縛り。
黒いノースリーブのインナーと、ぴっちりと体にフィットしたロングパンツに食いこむ、複雑な文様を描いた麻縄は、妙にエロチック。
ロミアは次に、ユーノのヒップの丘陵を弧を描くように撫で、話を続ける。
「糸目のあなたもかわいいけれド。そうして目隠ししてると、顔の印象全然違って見えて、いろいろはかどりそうヨ。緊縛と目隠しに……目覚めちゃう? ウフフッ♪」
(くうぅ……。戦姫團とはもしや、こういうアブノーマル系の集まりなのですかっ!? し、しかし……。目隠しをすれば、糸目から印象を変えられるというのは、有益な情報……。って、いえいえっ! そんな情報を得るために、わざわざここまで来たのではありませんっ!)
蟲の正面ではシーが、頭部を欠いた遺骸を前方から模写しながら、大きく溜め息をついた。
その溜め息は、己の背後に立つメグリに向けられたもの。
「はあああぁ~。針金蟲はまだしも、複眼のサンプルはぜひとも欲しかったんでしがね~。野砲で粉々でしねぇ……。過去の採取分は防腐処理が雑で、あちしが研究團入りした時点で腐ってたでしし……」
胸元で腕を組み、同じように蟲の遺骸を見上げているメグリが、シーの背中へ向けて、苦笑いで告げる。
「まあいいじゃないの。蟲から人間がどう見えてるかなんて、知ったところで文明は大して進歩しないわよん。人間同士ですら、他人から自分がどう見えてるか、わかんないんだし」
「……あのでしね、蟲が人間を立体的に再現できるということは、複眼に立体視の機能がある可能性大なんでしよ? その構造がわかれば、写真機をしのぐ立体写真機の発明に繋がるかもしれないんでし!」
「立体視ねぇ……。なんか、娯楽以外に使い道なさげな技術っぽいけど。その上、流行り廃りも激しそうよねぇ」
「メグリ氏は相変わらず、見てきたような言動が多いでしな……。……んん?」
顔を合わせて苦言を呈そうとしたシーが、驚きで言葉を止め、眼鏡の縁を握る。
「メグリ氏の顔……。なんだか印象、変わって見えるでしね……」
「……あら、そう?」
「あっ……! ソバカスが……いつもより、少ないんでし。かと言って、ソバカスを隠すメイクをしてる感じでもないでしし……。ひょっとするとメグリ氏、そのソバカス、描いているのではないでしか?」
「えー……。そんな『花板虹子』みたいな……ああ、いまだったら『薬屋のひとりごと』……って、どっちもこの国じゃ通じないか! あはははっ! さーって、わたしはそろそろ、自分の戦場……厨房へ戻りますかねっと!」
メグリは書籍のタイトルらしき固有名詞を並べ立てると、笑いながら身を翻して、後頭部で手を組みながらシーへと背を向けた。
明らかになにかをごまかしてはいるものの、うろたえた様子はいっさいなく、探れるものなら探ってみればと言わんばかりの、堂々と、そしてふてぶてしい所作。
研究者であるシーは、感情論を優先させて蟲の頭部を爆散させたメグリの判断に不満はあるものの、いまのその後ろ姿には、不思議と憎めないものがあった。
メグリの前方では、アリスとムコが向き合って立ち話をしている。
「……ムコ・ブランニュー。わたくしはあなたの出自には、いっさい関心ありません。あるのは、あなたがわたくし……『鼻』の後継に足る嗅覚を持っているか。そして……コホン。生き字引としての知識を、継承、管理できるだけの責任感と事務の能力があるか。それだけです」
「はい」
アリスは厳しい表情で、ムコの研究團加入が、簡単なものではないことを説く。
ムコは真剣な表情で、質問を挟むことなく、それを聞く。
「きょうのあなたの活躍を聞く限り、嗅覚、ならびに蟲の知識は優れていると言えるでしょう。しかしあなたを『鼻』の後継へ推すには、まだまだ十分な観察が……」
そこへやってきたメグリが、話の途中のアリスの左肩を、前方からポンと左手で叩いて、左耳へそっと囁いた。
「……アリス? わたしきょう、コンディション絶好調みたいなの。今夜、お泊りに行っても……いいかしらん?」
「……っ!」
アリスが鼻の頭から耳のてっぺんまでを一気に赤くして、左手のメグリを向く。
普段よりソバカス少なめで、耳から顎へのラインを気持ちシュっと細くさせた、「再会してから一番いい顔」がそこにあった。
(ああっ……そう、この顔っ! メグリは戦いに身を投じたとき、なぜだかひときわ凛々しく、美しく輝くのよっ! わずか14歳だったわたくしの心を鷲掴みにしたのがこの顔……。あの戦姫ステラの絵本。わたくしは決して、誇張やプロパガンダでヒロインを美しく描写したわけではないのっ!)
照れの赤みを鎖骨付近まで広げたアリスは、緊張で言葉を詰まらせてしまい、メグリのアポ取りに対して、無言でブンブンと顔を上下に振るのみ。
メグリもまた無言で「ニッ」と笑みを返して、陣営をあとにした。
アリスは数回深呼吸をしたのちに、ムコへと体の向きを戻す。
「……コホン。まあ、メグリの強い推薦もあることですし……。近く陸軍の上層部へ、新兵採用の伺いを出しておきましょう。わたくし将官にも大臣にもツテがありますから、すぐに決裁の印が並んで返ってくるでしょう」
「ありがとうございます。それではわたしは、メグリさんを追って、厨房を手伝ってきます」
深々と頭を下げて、感謝を示すムコ。
アリスはムコに対して抱えていた一つの疑問を、下がった頭の上へと投げかける。
「……あなたはメグリのこと、師匠と呼ばないのね?」
「わたしの師は、あなたですので。失礼します」
顔を上げたムコが、軽やかに駆け出してメグリのあとを追う。
アリスはその背を目で追いながら、軽く吐息を漏らして顔の火照りを抜いた。
(ふふっ……裏表のない、いい子のようね。正式な研究團入りを待つことなく、あすからでも、仕事を覚えさせるとしましょう。なにしろ……)
アリスが両頬に掌を添えて、再び顔を紅潮させる。
抑えが利かない、といった様子でニヤけさせた顔を、左右にぶんぶんと振る。
(……今度こそ、メグリが元の世界へ帰るとき、わたくしもついていくんだからっ! 後継者は早めに育てておかないとっ!)
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