第7話 狂科学者は案外普通
この異世界では、科学技術よりも魔法技術が発展していて、俺の世界で言う家電製品にも魔法を使用している。
例えば洗濯機。俺の世界では電気を利用してモーターを回し、洗剤などを利用して汚れを落とすのだが、この世界では魔法石を原動力にして水の渦を巻き起こす。
このように、俺の世界で電気を使っていた所を、魔法石で補っているのだ。
さて、ここで問題だ。
魔法石はその名の通り、魔力を使って一定の現象を巻き起こす物体だ。
そして、その物体を起動させるには、当然のように魔力を使う。
では、この世界の生物が当たり前のように持っている魔力を、持っていない人間が現れた時、その人間は一体どうなるだろうか。
答えは……こういう事だ。
「ゴシゴシゴシゴシ……!」
洗面所で汚れ物を手洗いする俺。
まさか、文明が発展したこの世の中で、汚れ物を手洗いする日が来るとは、思っていなかった。
「何でこの世界には家電が無いんだよ!」
家電(この世界では家魔製品と呼ばれている)に使われている魔法石は、一般人の魔力でも難なく使えるようになっている。
おかげで産業廃棄物が出る事も無く、クリーンなエネルギーとして世界中に普及しているのだが、そのせいで魔力の無い俺は、家電と呼ばれる代物を一切使えない状態になって居た。
「くそっ! こんな事ならミントをリズに預けるんじゃなかった!」
俺に懐いてくれたロリ少女。彼女は魔王というだけあって、魔力は底なしだ。
彼女が居ればこんな苦労をする必要は無かったのだが、男一人の部屋に住ませる訳にもいかず、リズに預けてしまった。
「いや! まだ間に合う! 今すぐリズに言って……!」
「洗濯機を使う為だけに少女を囲おうだなんて。流石はキモオタね」
リズの声が聞こえて体を震わせる。
振り返って見ると、洗面所の入り口でリズがこちらを睨み付けていた。
「リ、リズ!? ここは男子寮だぞ!」
「知っているわ」
「知ってるって! 異性の寮に入るのは禁止されてるだろ!」
「違うわ。禁止されているのは、男子が女子寮に入る事だけよ」
「え? そうなの?」
つまり、女子が男子寮を訪れれば、魅惑のパーティータイムが……
「キモイ事を考えてるんじゃないわよ」
お約束の鉄球! お腹がとても痛い!
「全く、どんな生活をしているかと思って来てみたら……来るんじゃなかったわ」
「……仕方ないだろ。魔力が無いんだから」
寮生活なので食事は何とかなるが、洗濯は他人に頼む事が出来ない。細かく言えば他にも難点が幾つかあるのだが、とにかく洗濯が一番辛かった。
腹の痛みがやっと引いて来たので、俺は洗濯を再開する。
「あら、中々上手なのね」
「そりゃあ、この世界に来て一カ月以上経つからな」
最初は慣れない異世界生活だったが、最近は大分慣れて来た。不便な事もまだ多いが、そのおかげで生活リズムが改善されて、元の世界に居た時よりも体の調子が良い。
もしかしたら、俺はこういう生活の方が合っているのかも知れない。
「……不憫だわ」
リズが俺の姿を見てため息を吐く。
「男が一人寂しく手洗いをしている姿って、こんなに悲しいものなのね」
「そう思うのなら、リズが洗濯してくれよ」
「良いわよ」
「ですよね!」
……んん?
待て待て。いつもと違うぞこれ。
「良いのかよ!」
「ええ。元はと言えば、私がミツクニを召喚してしまったせいだし」
それはつまり、毎日わざわざ俺の所に来て、洗濯物を洗ってくれるという事か?
それって、まるで本物の許嫁みたいな……
「やっぱり自分でやります!」
「あら、良いの?」
「それを頼んだら全てが終わる気がする!」
「終わらないわ。始まるのよ」
「言葉が綺麗過ぎて逆に怖い!」
今までの事を考えると、まともに洗濯をして貰えるとは思えない。
それ以前に、自分が怠けたいという理由だけで、リズに洗濯を任せたくない。
「とにかく! 俺は今のままで良いから!」
「残念ね。それより、ヤマトのハーレム計画についてなのだけれど……」
「切り替え早いな!」
もしかして、最初から俺が断る事を分かっていたんじゃないか?
……まあ、どうでも良いか。
「で、ハーレム計画が何だって?」
「次はマッドサイエンティストの所に行こうと思うの」
何の前触れも無くマッド呼ばわりとは。どうやら相当危険な人物のようだな。
「分かった。取りあえず洗濯を終わらせるから、少し待ってくれ」
それだけ言って、俺は洗濯を再開した。
洗濯が終わり自分の部屋に戻ると、ベッドに座っているリズを見て一息付く。
「それで、そのマッドサイエンティストとやらは、どこに居るんだ?」
「学園奥西部にある研究棟よ」
「それじゃあ、ヤマトを誘ってその研究室に……」
「その必要は無いわ」
その言葉に首を傾げて見せる。
「だって、ヤマトは既に、その研究室に監禁されているのだから」
「なん……だと?」
額から冷汗が垂れ落ちる。
「まさか、俺の所に来たのは……」
「ええ、ヤマトが危険な状態だと教えに来たのだけれど。思わぬ現場に出会ってしまったから、言うのを忘れてしまって居たの」
「そういう事は先に言え!」
予想外の出来事に、慌てて出かける準備を始める。
「あら、女が居るのに着替えなんて、意外と大胆なのね」
「そんな事を言ってる場合じゃないだろ!」
勇者補正があるとはいえ、相手はマッドサイエンティストだ。一歩間違えれば、ヤマトはただでは済まない。
「ほら! 早く行くぞ!」
「そんなに急がなくても良いじゃない。せっかくの休日なのだし、許嫁同士ゆっくり仲良く過ごしましょうよ」
「こんな時に許嫁を強調するんじゃねえ!」
俺はリズの手を強引に引っ張り、自分の部屋を後にした。
魔法学園の奥西部にある研究棟。
生徒の中でも特に頭の良い者達が、魔法の技術を研究している特別な場所だ。
目的のマッドサイエンティストは、その二つ名の通り危険な人物なのだが、魔法研究に関しては特に優秀で、個人の部屋を持っているらしい。
「着いたわ」
リズの道案内で、マッドサイエンティストの研究所の前に辿り着く。
扉の横に付いている名札は、フラン=フランケンシュタイン。
(名前からして絶対にヤバい!!!!)
この世界は微妙に俺の世界とリンクしている所がある。そんな所から考えても、この人物が危険なのは明白だった。
「早く乗り込むぞ!」
「駄目よ。鍵が掛かっているわ」
「ええい! 仕方ない!」
鞄から爆弾を取り出して扉に設置する。
「どうしてミツクニが、そんな物を持っているのかしら?」
「魔法が使えないからって、護身用に先生がくれたんだよ!」
本当はいざという時に使うつもりだったが、この際仕方が無い。
「下がれ!」
リズが安全な位置に移動したのを確認して、起動スイッチを押し、自分もリズの所まで走る。
(3、2、1……!)
爆発。
頑丈そうに見えた扉は木っ端みじんになり、薄暗い研究室の内部が顔を出した。
「よし、行くぞ!」
立ち込める煙を散らしながら、二人で研究室に突入する。部屋に入ると、中央にある大きな机の上に、ヤマトが拘束されていた。
「ヤマト!」
全力で走り、ヤマトの拘束具を解く。
「大丈夫か!」
「う、うん……ありがとう」
せき込みながら起き上がるヤマト。何とか机の上から飛び降りるが、足が震えて立つのがやっとに見える。
恐らく、薬か何かで弱らせられて居るのだろう。
「それにしても……」
ふうとため息を吐いて周りを見渡す。
ギロチン。チェーンソー。謎の触手。
ヤマトが寝かされていた机の横には、明らかに危険な道具がずらりと並んで居た。
「良くこれで学園に入れたな」
「それだけ彼女が、魔法技術に貢献しているという事ね」
例えそうだとしても、これはやり過ぎだろう。
こんな事をする人間だ。きっと容姿もフランケンシュタインみたいな……
「……もう、痛いなあ」
机の陰から現れる研究室の主。
茶髪のポニーテール。制服の上に白衣。ちょっとだけ短いスカート。
簡単に言えば、何処にでも居る普通の女子高生だった。
(成程……こっちのパターンで来ましたか)
異質な人間なのに、見た目は何故か普通。ラブコメの定番だな。
「いきなり扉を破壊するなんて、とんでもないマッドっぷりですね」
「お前の用意した実験器具に比べたら、可愛いもんだろ」
「嫌ですねえ。あれはヤマトさんの反応を見る為の偽物ですよ」
本当だ。このギロチンとても柔らかい。
だけど、ヤマトに薬を盛って連れて来たのだから、マッドな事に変わりは無い。
「ヤマト、この子は危険だ」
「うん、分かってる」
白衣に付いた埃を払い、ゆっくりと近付いて来るフラン。
そして、突然ヤマトに抱き着いた!
「ヤマトさんって、こういうのに弱いんですよね」
「む、むぐぅぅぅぅ……!」
豊満な胸を顔に押し付けられて、手をバタバタとさせているヤマト。
やがて、ダラリと手を降ろして動かなくなった。
「こ、これは……! 伝説の技! バスト・ハグ・キリング!!」
「それっぽい名前を勝手に付けないで」
お約束の鉄球! 今回は顔面直撃だぜ!
「……と、とにかく、これ以上ヤマトを虐めるのはやめてくれ」
「虐めているつもりは無いんですけど?」
「お前にとってはそうでも、ヤマトには致命傷なんだよ」
絵に書いたようなピュアボーイ。そんなヤマトがエロ行為で翻弄されたら、いずれ出血多量で死んでしまう。
「仕方ないですね」
残念そうな表情でフランはヤマトを離し、リズがその肩を受け止めた。
これで一応フラグは立ったようだが、彼女は色々な意味で危険な存在だ。ヤマトが起きたら改めて気を付けるように言っておこう。
「それじゃあ、俺達はもう行くから」
「待ってください」
フランが俺達を呼び止める。
「迷惑をかけてしまったみたいですし、何かお詫びがしたいんですけど」
「別に良いよ。これから色々と気を付けてくれれば」
「そうは言ってもですねえ」
唇に手を当ててニヤリと笑うフラン。
彼女はマッドサイエンティストだ。絶対にまた何かをやらかすだろう。
ここはお詫びなんて貰わずに、真っ直ぐ帰るのが賢明だ。
(全く……)
これからの苦労を考えてため息を吐く。
そんな俺の視界に入って来たのは、一つの見慣れた機械。
「……フランさん。それは何ですか?」
「これですか? 最近開発した、魔力無しで動く洗濯機です」
流石は異世界! ご都合主義だぜ!
「お詫びとして、それを俺に下さい!」
「ええ? 駄目ですよ。これ、まだ世界に一台しか無いんですから」
「ヤマトを好きにして良いから!」
「分かりました! あげます!」
ヤマトと洗濯機を交換する。
すまんヤマト!
でも、お前は勇者なんだから、自分の身は自分で守れよな!
放課後。いつものように屋上からヤマトを監視する。今日は休日だというのに、フランに追い回されて大変そうだ。
そんなヤマトに対して、今日は俺にとって最高の休日となった。
「洗濯機……それは、男のロマン」
「何気持ち悪い事しているのよ」
洗濯機に頬をこすりつけている俺に、リズがパックジュースを投げつけて来る。
「ヤマトをあんな風にして……この先どうするつもり?」
「どうもしない。何でも手伝っていたら、あいつの為にならないだろ?」
「まあ、それはそうね」
リズが屋上からヤマト達を見下ろす。
「……滑稽だわ」
「そんな事を言っている割には、随分と楽しそうに見えるんだが」
「ええ。楽しいわ」
ふっと笑うリズ。
「たまには勇者にも苦労をして貰わないと」
笑顔で振り返る偽許嫁。
もしかして、こうなる事を計算済みだったのか?
……そんな訳無いか。
とにかく、これで勇者も女子の怖さに気付いてくれるだろう。
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