第23話 保健室の悪魔

 目が覚めた時、最初に視界に入って来たのは、見覚えのある白い天井だった。

 一瞬何事かと思ったが、すぐにこの場所が保健室だと分かり、ため息を吐く。

 どうやら俺は、背中を刺されて気を失ってしまったようだ。

 刺された後、心配を掛けてはいけないと必死に笑い続けたのだが、体は言う事を聞いてくれなかったらしい。


(まあ、仕方ないか……)


 黙って天井を眺める。

 俺の体はこの世界の人間と違って貧弱だ。背中をダイレクトに刺されたら、気を失うくらい当然の事だ。むしろ、あれで生きて居られた事を、幸運に思った方が良いだろう。


(情けねえなあ……)


 ふっと笑って頭の上で腕を組む。

 これが勇者だったら、気を失わずに最後まで笑って居られるのだろう。

 しかし、俺は勇者みたいに、土壇場で踏ん張る事が出来ない。

 何故ならば、俺は勇者では無く、ただの親友役なのだから。


(……他の皆は大丈夫だったかな)


 ジワジワと湧き上がる悔しい感情を忘れる為に、気絶する前の事を考える。

 あの兎の子供は、どうしているだろうか。

 ヤマト達が向かった場所に居た穏健派の魔物逹は、無事だろうか。

 そして、リズやミントは無事なのだろうか。


(……)


 それらを考えた時、もう寝ては居られなかった。


「よし!」


 己を奮い立たせて、気合で起き上がる。刺された背中に痛みが走ったが、動けないほどの痛みでは無かったので、ほっと胸を撫で下ろす。


(行くか!)


 両足をベッドから降ろして、ゆっくり立ち上がろうとする。

 その時だった。


「あらぁ、起きたのねぇ?」


 後ろから聞こえる、妙に艶っぽい声。


「でもぉ、まだ安静にしていて貰わないとぉ、困るわぁ」


 その声と同時に、後ろから何者かが抱き着いて来る。

 む、胸が! 大きなお胸様が! 背中に当たっているぞぉぉぉぉ!


「ほらぁ、もう少し寝て居なさい」


 女性が俺の事を引っ張る。背中を怪我しているので踏ん張りが効かずに、そのまま女性の上に倒れ込んでしまった。


「あらぁ、強引ねぇ」


 そんな事を言いながらも、更に俺を強く抱きしめて来る女性。

 この展開は俺のせいじゃない! 俺は断じて何もして居ないからね!

 つか、後ろに居る人は誰なんだ!?


「ミツクニ。随分と楽しそうね」


 ……

 ああ、うん。

 この声は誰なのか分かります。


「わざわざ心配して来てみたら、何をやっているのかしら?」


 羽交い絞めにされているせいで、見る事は出来ないが、頭の上にあの人が居る。

 そうなると、今は一秒でも早く、この状況を打開しなければならない。


「リズ……落ち着いて聞いて欲しいんだが」

「あら、私は落ち着いているわよ? 自分でも驚くほどに、落ち着いているわ」

「それじゃあ、分かってくれるよな。これは、不可抗力で……」

「不可抗力? その割には、さっきからその状態を、解こうとしていないように見えるのだけれど?」


 言われてみれば、確かにその通り。

 俺は無理やり体を起こして、女性を引き剥がそうとする。

 しかし、女性は器用に体を翻して、今度は俺の上に覆い被さった来た。


(悪化したぁぁぁぁぁぁぁぁ!)


 死ぬ! 嬉しいけどマジで死ぬ!


「ふふ……逃がさないわよぉ」


 艶っぽく笑いながら唇を舐めるお姉さん。

 ウエーブ掛かった紫の髪。うっとりとした瞳。はだけている白衣。

 間違いない! 彼女は保健室のエッチなお姉さんだ!


「リズ! 助けてくれ!」

「自分で何とかしなさい」

「無理だ! 彼女は俺が動く度に、ラッキースケベを必ず起こす! そういう属性の人間なんだ!」

「言っている意味が分からないわ」

「ですよねぇぇぇぇぇぇ!」


 理解されるはずも無かったが、これは必然だ。俺が何かをしようとする度に、彼女は必ず上手を取って来るだろう。

 だが、このまま動かなくても、結局ラッキースケベは起こってしまう。

 それならば、リスクを覚悟して行動するしかない!


「ええい! ままよ!」


 覆い被さった女性を引き剥がして、ベッドから飛び出そうとする。

 しかし、女性は俺の肩を掴んでクルリと回り、今度は俺が彼女に覆い被さる形になった。


「柔道か!」

「あらぁ? 私は夜の黒帯よぉ?」

「くそう! 意味が分かってしまう自分が憎い!」


 そう言いながら女性を引き剥がそうとしたのだが、女性が腰に足を絡ませてきて、完全に動けなくなってしまった。


「……リズ様。お願いします。助けてください」

「そうね。ミツクニの言って居た事、何となく分かったわ」

「ありがとう。分かってくれて、本当にありがとう」


 リズが俺の首根っこを掴み、思い切り引っ張る。引っ張られた俺は二メートルほど飛んで、入り口の扉に叩き付けられた。


「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 ふっと笑って椅子に座るリズ。俺は小さく息を吐いた後、そのまま床に胡坐をかいた。

 俺達が黙って居ると、ベッドに寝ていた女性が立ち上がり、自分のデスクに戻る。


「もぅ。お楽しみはこれからだったのにぃ」

「そう言うのはもう良いですから」

「そうなのぉ? 残念だわぁ」


 ぺろりと唇を舐める女性。

 女性ははだけて居た白衣を直すと、改めてこちらに向かって口を開いた。


「私はテレサ=マージン。保健室の先生よ」


 言われなくても分かっている。彼女が勇者ハーレムだと言う事も分かっている。

 しかし、彼女をヤマトに会わせて良いものか。

 ヤマトの純真さを考えると、彼女はまさにハーレム内の悪魔だ。


「本当はねぇ、ミツクニ君はもう少し寝てなきゃいけないのよぉ?」

「大丈夫ですよ。ほら、体も動きますし」

「動かそうとすれば動くのは当然でしょ? 全くぅ……」


 テレサが小さくため息を吐く。


「一歩間違えれば、死ぬ所だったよぉ」


 それを聞いて、一瞬言葉を失う。


「……死ぬ?」

「そうよぉ」


 テレサがデスクの引き出しを開けて、何かを取り出す。

 それは、俺が昨日着ていた、フラン特製の防護服だった。


「この防護服のおかげで、急所を外れて何とか生き延びたけど、それも運が良かっただけぇ。次に同じ事が起きたら、生きて居られるとは限らないわぁ」


 それを聞いて、改めて納得する。

 俺は異世界転移しただけの、普通の人間。

 怪我をすれば……簡単に死ぬのだと。


「そう……ですか」


 考えないようにして居た現実に直面した瞬間、体がガクガクと震え始める。

 駄目だ! 受け入れてはいけない!

 動けなくなるぞ!!


「とりあえず、気を付けます」


 それだけ言って、はははと笑う。

 深く考えてはいけない。

 俺は生きている。今はそれだけで良いんだ。


「リズ。迷惑をかけてごめんな」


 沸き上がる恐怖を散らす為に、リズに声を掛ける。


「皆にも、後で謝っておくから……」


 適当な言葉を言って、頭を掻こうとする。

 しかし、次の瞬間。

 リズが思い切り腕を振り上げて、左頬に平手打ちをしてきた。


(……平手!?)


 そう、平手。

 いつものように鉄球では無く、平手打ち。


「……皆の前て強がるのは、許すわ」


 そう言って、背中を見せるリズ。


「だけど、私の前では……やめて」


 それを聞いて、気付いてしまう。

 ああ、そうか。

 彼女にとっての辛い事は、俺が本音を隠す事なのか。


「……ごめん」


 改めて言って、頭を深く下げる。

 その言葉は、先程までの取り繕った言葉ではなく、心の底から湧き出た言葉だった。


「とにかく、俺はもう大丈夫だから」


 にこりと笑い、ゆっくりと立ち上がる。体はもう震えて無かった。


「背中はまだちょっと痛むけど、これからもリズと一緒に、勇者ハーレムを……」

「ミツクニ君!!!!」


 突然保健室の扉が開き、ヤマトと勇者ハーレムが飛び込んで来る。


「ちょ、お前等……!」

「え? ああ!」


 俺が入り口の前に座って居るだなんて、誰が思うだろうか。

 ヤマト達は勢いを抑える事が出来ずに、俺に覆い被さって来た。


「死ぬ! マジで死ぬ!!」

「ご、ごめん!」


 慌てて俺の上から避けて行く一同。気が付けば、俺は勇者ハーレムに囲まれていた。


「ミツクニ君。怪我は大丈夫なの?」

「ああ。この通り、もう動けるよ」

「そう。良かった……」


 ほっと胸を撫で下ろすヤマト。それを見て、俺にも元気が戻って来た。


「穏健派の魔物達は、大丈夫だったのか?」

「うん。無事に全員助けられたよ」

「そうか! 流石だな!」


 そう言って、ヤマトの背中を叩く。

 昨日の一件。一番大きな手柄を立てたのは、ヤマトと勇者ハーレムだ。

 それとは逆に、学園の隅で怪我をしていた俺に、称賛など無い。

 だけど、それで良い。

 勇者であるヤマトこそが、この物語の主人公なのだから。


「それよりヤマト」

「何?」

「今すぐにここから逃げろ」

「……え?」


 俺の言葉に首を傾げるヤマト。

 どうやら、まだ彼女の存在に、気が付いて居ないようだ。


「あらぁ? ヤマト君じゃなぁい!」


 周りに居る勇者ハーレムを無視して、テレサがヤマトに飛び付く。


「うふふ……やっぱり良い体してるわねぇ」

「せ、先生!? 止めて下さい!」

「そんな事言ってぇ。嬉しい癖にぃ」

「そんな事無い……」

「良いじゃない。ほらほらぁ」

「や、やめてぇぇ……!」


 テレサとヤマトのやり取りに、勇者ハーレムが介入して大混乱になる。

 それは、いつも通りの騒がしい日常。

 そんな日常こそ、俺が守らなければならないものだと、改めて感じた。

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