第129話 望まない彼女

 その女性は、優しく吹く風にピンクの髪を靡かせながら、静かにこちらを向く。

 綺麗な桜色の瞳。

 その瞳に魅入られたせいか。それとも、単に時間を止めた反動か。

 とにかく、俺は彼女を見たまま動けずに居た。


「ミツクニ……?」


 彼女の綺麗な声。

 何度も夢に見たその声を現実に聞き、俺の時間がゆっくりと動き出す。


(シオリ……)


 それと同時に、彼女の全身が視界に映り、息が詰まる。


 車椅子。

 そうだ。

 彼女は悪魔に攻撃されて、足が不自由になったのだった。


(……っ!)


 目の前にある現実が胸に突き刺さる。

 痛い。

 心臓が収縮して、今にも潰れてしまいそうだ。


「シオリ……!」


 やっと口が開いた、その瞬間。

 後ろから強い風が吹き、何者かが俺の頭上を飛び越えた。


「ここは通さない!」


 現れたのは、先程のメイド達。

 シオリとの間に入られてしまったせいで、彼女の姿が見えなくなってしまった。


「……悪いけど、そこを退いてくれ」


 その言葉に、更に激昂するメイド達。


「退く訳無いでしょ!」

「あんたのせいで、シオリ様はこんな事に……!」


 その言葉に、ピクリと反応する。


(俺の……せい?)


 同時に高速回転する思考。

 しかし、そんな事はどうでも良い。

 頼むから、俺の視界を遮らないでくれ。


「話は後で聞くから、シオリに会わせてくれ……」

「絶対に会わせない!」

「帰りなさい!」


 聞く耳を持たないメイド達。

 その態度に、静かに心が燃える。


「ああ……うん。良いよ」


 そして、ゆっくりと双銃に手を掛ける。


「退かないなら、退かすだけだ」


 そう言った後。

 ふうと息を吐き、メイド達を睨み付ける。


 邪魔。

 とにかく邪魔。

 これ以上邪魔するのならば、例えお前等でも容赦はしない。


「この……!」


 槍を構えて突撃して来る一人のメイド。

 それと、ほぼ同時。


「やめて!」


 シオリの叫び声が中庭に響き渡った。


「その人は……その人は『本物』だから!」


 その言葉を聞き、再び思考が回転する。

 今までに聞いた事。身に受けて来た事。それらがパズルのように組み合わさる。


(まさか……)


 そこから推測された事態は、俺が最も起こって欲しくなかった事態だった。


「お願い……! みんな……!」


 消え入りそうなシオリの声。

 大丈夫、心配しなくても良い。

 例えこいつらが邪魔しようが、絶対お前に会いに行くから。


「……」


 無言のまま一歩踏み出す。

 それに合わせて、再び声が響いた。


「下がりなさい」


 聞き覚えのある声。


「聞こえませんでしたか? 下がりなさい」


 その声の声に反応して、悔しそうな表情で道を開けるメイド達。

 その先には、大声を出して息を切らして居るシオリと、小さく微笑むヨシノの姿があった。


「ミツクニさん、良く来ましたね」


 ヨシノ=ハルサキ。

 シオリの母で、貧弱だった俺に体術を教えてくれた師匠。


「師匠、遅くなりました」

「そうですね。遅すぎです」


 冗談のように言ったヨシノに対して、おどけたように頷いて見せる。

 師匠とのあいさつは、これでお終い。

 今はとにかく、シオリだ。


(……)


 何も言わずに、ゆっくりと近付く。

 それに合わせるかのように、弱々しく微笑んでくれるシオリ。

 しかし、何故か途中で俯いてしまう。


「シオリ?」


 シオリの元に辿り着いた俺。

 だけど、シオリは顔を上げてくれない。

 そんなシオリが次に言った言葉は、再び俺の心を貫いた。


「……ごめんね」


 ……どうして?

 どうしてシオリが、俺に謝るんだ?


「もっときちんとした状態で会いたかったけど、怪我しちゃった」


 俯いたまま微笑むシオリ。

 その笑顔が、俺の心を空っぽにする。


「……足、痛むのか?」

「ううん」

「治るのか?」

「歩けるようにはなるらしいけど、まだ無理みたい」

「そうか……」


 相変わらず俯いたままのシオリ。

 震えて居る唇。きゅっと握った拳。

 そんな彼女に、今の俺が出来る事は。


 ……精一杯、微笑んで見せる事。


(……っ!)


 憎い!

 シオリに怪我をさせた奴が! 死ぬほど憎い!

 だけど! それでも笑って見せろ!

 俺が怒る姿をシオリは望まない!


「シオリ。どんな悪魔にやられたんだ?」


 心を燃やしながら問う。

 答えるのは、正直辛いだろう。

 だけど、それでも、シオリの口から聞かなければならない。


「……」


 少しの間、黙るシオリ。

 しかし、俺の心を察して、ゆっくりと口を開く。


「……ミツクニに」


 口を開く。


「ミツクニに化けた……悪魔」


 それを聞いた瞬間、俺の心が凍る。

 流石に……もう自然には笑えなかった。


「私、すぐには気付けなかった」

「うん」

「気付いた時にはもう攻撃されてて、避けられなかった」

「うん」

「それで、足に怪我しちゃった」

「うん」


 もう良い。

 もう良いから。


「それで、私……」

「良いんだ」


 シオリの前で、ゆっくりとしゃがむ。

 目線は、シオリと同じ高さ。


「偽物だって、気付いてくれたんだろ?」


 その言葉で、やっと顔を上げてくれる。

 微笑んで居るような、悲しんで居るような、そんな表情。

 だから、俺は言った。


「気付いてくれて、本当に……ありがとう」


 心からの感謝を。


 俺と全く同じ顔の悪魔。

 それなのに、彼女は偽物だと気付いてくれた。

 それだけで、俺は涙が出そうになるほどに、嬉しいんだ。


「ミツクニ……」


 シオリがゆっくりと手を伸ばしてくる。

 細くて白い、彼女の綺麗な手。

 その手を優しく握り、ニコリと微笑む。


 そして、強く思う。


 いつも!

 いつもいつも……! 俺は……!

 一番大事な時に! シオリの近くに居てあげられない!!


(だけど……!!)


 それでも、彼女に謝ってはいけない。


 大切な人の偽物に気付けなくて。

 それで自分が傷付いて。

 その相手にそれを謝られる事を、シオリは絶対に望まないから。


 掴んだシオリの手を額に当てて、ゆっくりと瞳を閉じる。

 少し冷たい彼女の手。

 その体温を感じながら、静かに思う。


(……殺す)


 その言葉は、使わないようにしようと決めていた言葉。

 とても怖く、危険な言葉。

 それでも……


(絶対に……俺が殺す)


 大切な人の心を弄んだ、最悪の『敵』。

 誰にも譲らない。

 こいつだけは……必ず俺が殺す。

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