第77話 戦という現実

 世界を守る為に、世界を敵にした。

 最初は何も考えて居なかった。

 戦争を止める為に、最善だと思った行動をしただけ。

 だけど、戦いが進むにつれて、いつかこんな日が来るのではないかと思って居た。


 そして、遂にその時が来てしまった。

 ただ、それだけの事。


 来る事が分かって居たのに、俺の心は悲しみで満たされている。

 それは、戦う覚悟が足りなかったからか。それとも、それを回避する努力を怠ったからか。


 分からない。


 だけど、そうなってしまった以上、湧き上がる感情を飲み込んで、目の前の現実と向き合わなければいけない。

 自分の思う最善を、現実にする為に。


「師匠……」


 勇者ハーレムと仲間達を背中に携えて、目の前に居る敵の大将と対峙する。

 ヨシノ=ハルサキ。

 帝都の一部を治める領主にして、俺に武術を教えてくれた師匠。


「ミツクニさん、お久しぶりですね」


 桜の刺繍が施された着物の裾を払い、静かに微笑む。


「お元気でしたか?」

「お陰様で。師匠はいかがでしたか?」

「ええ、私も元気出したよ」


 これから戦う身だというのに、ヨシノから殺気は感じられない。本気で戦う気が無いのか。それとも、殺気を放つほどの相手でも無いという事か。


「随分と成長したようですね」


 俺に近付き、手を差し出して来るヨシノ。その手が、静かに俺の頬をさする。


「そして、随分と苦労もしたようですね」


 いつくしむようなヨシノの表情。まるで、我が子を労わる母親のようだ。


「俺は、自分のやりたい事をして来ただけです。そのせいで、仲間達には沢山の苦労を掛けてしまいました」

「そんな事はありませんよ」


 ヨシノの手が頬から離れる。


「彼方はどんな時でも、自分から前に立って行動して居ました。皆はその姿を見て、自ら協力しただけの事です」


 止めてくれ。

 頼むから、俺の事を優しく労わないでくれ。


「彼方の努力が、皆を動かしたのです」


 戦うのが……辛くなるから。


「……」


 ゆっくりと、ヨシノから一歩離れる。

 そして、湧き上がる感情を必死に抑えながら、震える口を開いた。


「俺は……師匠と戦いたくありません」


 その言葉を聞いて、ヨシノが静かに目を閉じる。


「……私もですよ」


 そして、再び瞳を開ける。


「ですが、戦わなければいけません」


 分かって居る。分かって居るさ。

 それでも、あえて言葉にしたかった。

 言葉にするのだけは、俺の自由なのだから。


「ミツクニさん。戦う覚悟は決まって居ますか?」


 今から戦う相手に言う言葉では無い。

 だけど、ありがたい。

 その気遣いが、今から行う事の罪悪感を、少しだけ緩めてくれる。


「……はい、大丈夫です」


 戦いたくは無い相手。

 それでも、お互いに譲れないものがある。


「それでは……」


 ゆっくりと後ろに下がるヨシノ。

 敵の兵数はおよそ100人。

 その全てが、ヨシノが鍛え上げた精鋭だ。


「ミツクニさん」


 ヨシノがゆっくりと手を掲げる。

 穏やかな風が吹き付ける、陽気な午後。

 そして、その空に輝く……青い月。


 さあ、予言の時だ。


「勝負です!」


 ヨシノが掲げた手を振り下ろす。

 それは、開戦の合図。

 互いに望まない戦いが、今始まった。



 横一線の布陣。

 通常では考えられない布陣だが、ヨシノの軍勢は当たり前のようにその陣を組み、こちらに向けて歩き出す。

 俺は目の前に広がった陣に圧倒されてしまったが、それでも動かなくてはいけないと思い、腹の底から声を絞り出した。


「メリエル! ミント!」

「はーい」

「かしこまりました」


 ミントがネクロミノコンに魔力を込めて、メリエルが操作用の指輪を嵌める。

 地面から現れるスケルトンの大群。その数、おおよそ三千。

 俺達の戦い方は、いつもと同じ消耗戦だ。


(師匠が相手とは言え、この数なら……)


 ヨシノの足元から放たれる青い光線。

 その光線は高速で地面を駆け抜けて、周囲に氷の刃を突き立てた。


「……そんな」


 俺の後ろで、ミフネが言葉を零す。

 無理も無い。俺だって同じ気持ちだ。


「さあ、どうしますか?」


 何事も無かったかのように微笑むヨシノ。それに同調するかのように、ゆっくりと歩を進める兵達。

 三千居たスケルトンの軍団は、ヨシノの氷魔法によって、一瞬で消滅してしまった。


「くそっ!」


 咄嗟に双銃を取り出して、進行して来る兵達に向けて構える。それと同時に、後ろに居た勇者ハーレムと仲間達が飛び出した。


「みんな!」

「話している暇は無いわ!」


 俺の前に魔法障壁を展開するリズ。

 その魔法障壁を一瞬で切り刻み、リズの横を駆け抜けるメイド服の兵。

 勇者ハーレム、零。


「ミツクニ、久しぶりだな」


 声と同時にナイフを取り出し、こちらに向かって投げて来る。俺は咄嗟に腕のシールドを発生させて、そのナイフを弾き飛ばした。


「零……いきなりだな」

「ヨシノ様が大変心を痛めて居てな。出来れば一瞬で終わらせたい」


 そう言って、零が再び突進してくる。

 体重を乗せた正面突き。シールドで何とか防御したが、一メートルほど押し出されてしまった。


「なあ、零。師匠の兵は、全員がお前と同じくらいに強いのか?」

「そうだな。この軍での私の実力は……」


 ふっと笑う零。


「中の上と言った所か」


 そう言って、再び離れる。

 零が攻撃の手を止めたので、横目で周囲を窺う。

 そこに見えたのは、衝撃の光景。

 ヨシノの兵達は、一騎当千である勇者ハーレムや仲間達と、対等に戦っていた。


(おいおい……)


 俺の額から冷汗が落ちる。

 単体の戦力であれば、こちらの方が勝っているだろう。

 しかし、ヨシノの兵達は連携して戦い、その戦力差を覆しているのだ。


「流石は師匠の私兵か……」

「ほう。そんな事を言う余裕があるのだな」


 零がこちらを見て微笑む。


「ミツクニ。お前はさっき、戦う覚悟があると言ったな」


 懐にナイフをしまう零。

 そして、何故か俺に背を向ける。


「その覚悟が本物かどうか、見させて貰うぞ」


 そう言って、俺の前から姿を消した。

 

(……これは)


 零の意図が読めずに困惑する。

 しかし、視線の先からゆっくりと近付いて来る人影を見て、悟ってしまった。


「ミツクニ……」


 魔法学園の制服。

 胸元には、桜の刺繍の付いたスカーフ。

 最初の勇者ハーレム、シオリ=ハルサキ。


「シオリ……」


 土煙が立ち込める戦場。

 その中心で、彼女はいつものように、優しく微笑んだ。


「久しぶりだね」


 屈託のない笑顔。

 その綺麗な笑顔に、俺は何度救われただろうか。


「元気だった?」

「ああ、シオリは元気だったか?」

「私は元気。ミツクニは少し痩せたんじゃない?」

「そうかな。最近はきちんと飯を食ってるんだけど」


 そう言って、俺は笑う。

 親しい友人との再会。

 普段と変わらない彼女との会話が、ここが戦場だという事を忘れさせる。


「何か、大変な事になっちゃったね」

「そうだな」

「どうしても戦わなければ駄目?」

「俺だって戦いたくねえよ」

「そう……だよね」


 シオリが小さく頷く。

 そして、言った。


「ねえ、私と一緒に逃げない?」


 その言葉を聞いて、固まってしまう。


「ミツクニ、凄く頑張ったよ。一緒には居られなかったけど、私には分かる」


 シオリがゆっくりと近付いて来る。


「もう良いじゃない。人間も魔物も。他の人なんてどうでも良い。ミツクニは、もっと自分の幸せを考えるべきだよ」


 シオリの手が頬に触れる。

 その行動が母親と全く同じだったので、小さく笑ってしまった。


「何?」

「いや、何でも無い」

「そう」


 シオリがふふっと笑う。


「ね? だから、一緒に行こう?」


 頬から手を放して、右手を優しく掴む。

 憂いに満ちた優しい笑顔。その綺麗な顔が、俺の背負って居た覚悟を、優しく解かしていく。

 だけど、それでも……


「ごめん」


 俺は彼女の手を、静かに振り払った。


「シオリの気持ちは本当に嬉しいよ。だけど、ここを離れる訳には行かない」


 そう言って、辺りを見回す。

 必死に戦って居る仲間達。

 彼女達は俺の願いを叶える為に、身を削ってくれて居るんだ。


「俺は戦うよ。命を懸けて」


 世界の破壊を防ぐ為だけでは無い。

 仲間の為に。

 そして、何より自分自身の為に。

 例えどんな相手であろうとも、俺は戦うんだ。


「……そっか」


 シオリが少し俯き、瞳を閉じる。


「そうだよね。ミツクニは、そう言う人だもんね」


 再び顔を上げる。

 その表情は、悲しみと喜びが半分だった。


「うん! それでこそ、ミツクニだよ!」


 己の想いを心の底にしまい、笑ってくれるシオリ。

 彼女はいつもそうだ。付かず離れず、笑顔で俺を励まし続けてくれる。

 そんな彼女だからこそ、俺は……


「どうやら、説得は駄目だったようですね」


 そんな俺達の前に現れる人影。

 シオリの母、ヨシノ=ハルサキ。


「言ったでしょう? ミツクニさんは、絶対に逃げないと」


 嬉しそうに微笑むヨシノ。

 それに対して、シオリは残念そうな微笑み返す。


「色仕掛けで行けば良かったかな?」

「そうですね。ミツクニさんはそう言うのに弱そうですから」

「おい」


 俺の短いツッコミに二人が笑う。

 ああ、何て幸せな時間なんだ。

 この幸せが、ずっと続けば良いのに。

 だけど、そんな楽しい時間も、もう終わりだ。


「ミツクニさん」


 ヨシノが笑顔のまま、こちらを向く。


「敵として、師匠として、彼方に餞別を与えましょう」


 そう言って、ヨシノが手を掲げる。

 その瞬間、兵達の動きが変わった。


「まずは、彼方の軍の弱点」


 手を振り下ろすと同時に、兵達が仲間達から距離を取る。

 そして、次の瞬間、俺だけに向けて一斉攻撃を始めた。


「ミツクニ!」


 慌てて俺の周りに集まり、防御壁を展開する仲間達。その圧倒的な手数の前に、仲間達は反撃が出来なくなってしまった。


「彼方の軍は、彼方を大切にし過ぎる」


 分かっている。この軍の弱点は俺だ。

 だけど、言わせて欲しい。

 俺は必死に守って貰えるような人間では無い。

 大将になんて、なった覚えは無いんだ。


「そして、もう一つ」


 ヨシノが掲げて居た手をリズに向ける。

 一瞬の殺気。俺は咄嗟に両腕のシールドを展開して、リズの前に立つ。

 次の瞬間、ヨシノの手から氷柱が飛び出して、シールドをバラバラに切り刻んだ。


「彼方は、仲間を大切にし過ぎている」


 ゆっくりと手を下げるヨシノ。

 俺の腕からポタポタと流れる、血。

 それを見たリズが叫ぶ。


「私は大丈夫だから! ミツクニは自分の事だけを考えなさい!」


 ああ、リズの言う通りだよ。

 だけど、リズが大丈夫でも、俺が大丈夫じゃないんだ。

 仲間が傷付く事を! 黙って見て居られる訳が無いだろう!


「ミツクニさん」


 ヨシノが真っ直ぐにこちらを見る。

 その表情は、既に笑っては居なかった。


「彼方は、覚悟があると言いましたね」


 再び殺気を放つヨシノ。その圧力に体が弛緩して、思う様に動けない。


「それならば、当然こうなる事も、覚悟をして居たはずです」


 地面から発生する大量の氷の刃。

 咄嗟に空へと飛び、刃を回避する仲間達。それに合わせて俺も飛ぶ。

 十、百、千……

 数えきれない氷の刃を前にして、全員が己を守る事しか出来ない。

 そんな中で、ヨシノが標的にした相手は……


「自分の命が、危険に晒される事も」


 当然、俺。

 ヨシノの手から放たれる氷の刃。

 防げない。

 俺は……ここで終わる。


「ミツクニ!」


 リズの叫び声が聞こえる。

 だけど、もう間に合わない。


 この世界を救いたくて。

 大切な人達を守りたくて。

 ずっと戦ってきた。

 だけど、それもこれで……


「……?」


 ……終わらない。

 終わらない?

 どうして?


「ミツ……クニ」


 俺の前に、見慣れたピンク色の髪。

 ふわりと空を舞い、共に地面へと降りる。

 否。

 俺は地面に降りた。

 彼女は……地面に落ちた。


「……シオリ?」


 動かないシオリ。

 その懐に刺さっている、氷の刃。


 舞い上がる氷の花びら。

 青い桜。青い月。

 光は、希望を失う。

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