第119話 対
その女性は、日差しが降り注ぐ中庭のベンチで、静かに空を見上げていた。
髪はショートの赤白髪。服装は魔法学園の制服。黒いフード付きのマントをしていて、遺跡に住む学生達とは明らかに雰囲気が異質。
それなのに、周りに居る人達は彼女を気にも掛けずに、何事もないかのように過ごしていた。
(魔法学園に居た頃の俺と同じか……)
リズに連れられて訪れた魔法学園。
今こそ白髪になってしまった俺だが、あの頃は黒髪に黒目という、この世界には存在しない組み合わせの人種だった。
それでも、その頃の俺は、容姿に関しては茶化される事が一度も無かった。
(とにかく、話をしてみるか)
少々危険な香りはするが、だからこそ放って置く訳にはいかない。
俺は歩く足を少し早めて、彼女の元へと向かった。
赤白髪女子の横に辿り着いた俺。彼女との距離は一メートルくらいだろうか。
普通であれば、この距離まで接近されたら気付くはずなのに、彼女はものともせずに、ぼうっと空を見上げている。
このまま彼女が気付くのを待つのもどうかと思い、自分から声を掛ける事にした。
「あの……」
「ひっ!」
ビクリと体を震わせて、短い悲鳴を上げる女子。恐る恐るこちらを見たその姿を見て、少しだけへこんでしまう。
(まあ、仕方ないよなあ)
彼女は魔法学園の制服を着ている。
今まで出会った事の無いだけの生徒であれば、嫌われ者の俺に声を掛けられて、嫌悪感を持つのは当然の事だ。
「……あ」
そう思って居たのに、彼女は何故かしまったという表情を見せる。
「す、済みません! 他の人から声を掛けられたのは初めてで……!」
申し訳無さそうな表情で頭を掻く女子。
一見すれば自然な会話にも見えるが、少し考えると異質である事に気が付く。
(人から話し掛けられたのが……初めて?)
俺と彼女は魔力が無い。
だけど、それはあくまでも存在感的な要素であり、肉眼で捉えれば、存在に気付く事は容易に出来るはずだ。
「それで、私に何か御用ですか?」
そんな俺の考えを無視して、普通に会話を進める女子。この件を追及しても理が無いと感じた俺は、そのまま会話を進める事にした。
「いや、凄く珍しい髪色をして居るから、どんな人なのかなと思って」
「ああ、この髪ですね」
女子が小さく笑い、自分の髪に触れる。
「昔は真っ黒だったんですけど、色々あってこんな色になってしまいました」
真っ黒な髪。
それは、この世界には存在しない髪色。
この世界の人間にも黒っぽい髪の人間は居るのだが、真っ黒と言う人間は存在しないのだ。
(嘘は言って居ないように見えるけど……)
恥ずかしそうな表情。こちらを見ている黒い瞳。それに伴う動作。これで嘘を吐いていたら、彼女は嘘の天才だ。
「横に座って良いかな?」
警戒している事を外に出さないように、自然な動きで首を傾げて見せる。
「はい、どうぞ」
彼女も全く警戒を見せずに横にずれる。俺は小さく頷くと、彼女の横にすとんと座った。
「ふう」
小さく息を付き、空を見上げる。
ここまでは、とりあえず計画通り。
「あの……」
彼女がこちらを見ながら口を開く。
「彼方のお名前は……?」
それを聞いて、思わず目を見開く。
魔法学園の制服を着て居るのに、俺の事を知らないのか?
「ああ、ごめん。俺はミツクニ。ミツクニ=ヒノモト」
それだけ言って、小さく微笑む。
話の流れとはいえ、名前を知られてしまった。魔法学園の生徒であれば、この名を聞いて嫌な顔をしないはずが無い。
……そう思っていたのに。
「ミツクニ=ヒノモト……」
彼女が嬉しそうに目を丸める。
「彼方が……ミツクニさんなんですね」
その反応は完全に予想外だったので、驚きを隠せない。彼女を探る為に声を掛けたというのに、上手い言葉が浮かばなくなってしまった。
「君の名前は?」
とりあえず、名前を聞く事にする。
すると、彼女はハッとした表情を見せた後、改めて微笑んで口を開いた。
「私の名前は……」
自然な表情で口にしたその名前。
それを聞いて、俺は更に絶句する。
「……雫。姫神雫です」
それを聞いた時、俺は一瞬冗談だと思った。
「姫神の姫はお姫様の姫。神は神様の神。雫は水の雫と書きます」
空中に指で漢字を書く雫。
やはり、彼女は嘘を言って居ない。
いや、もしかしたら、嘘を本当だと思っているだけなのか?
(俺と同じ存在なら、それもあり得るけど……)
俺の記憶は全てが漠然としているのに、彼女は名前の文字までハッキリと覚えて居る。それを考えると、同一の存在とは思えない。
(そうなると……)
心臓がドクンと鳴り響く。
黒髪。漢字の名前。黒い瞳。
そこから導き出される結論は……
「まさか、雫さんは……」
拙い言葉で聞く。
そんな俺の言葉に、雫はゆっくりと頷いた。
「はい。私は……日本人です」
体中を走り回る衝撃。
それと同時に、彼女と話す前に考えていた事が、全て吹き飛んでしまった。
(落ち着け……! 落ち着け……!)
結論を出すにはまだ早い。
例え嘘を吐いていないように見えても、その全てを鵜呑みにしてはいけない。
「私はこの星に呼ばれて、この世界にやって来ました。何か壮大な感じで、少し恥ずかしいですよね」
こちらを見て頬を赤く染める雫。俺は冷静さを保つのに必死で、それ以上の対処が出来ない。
「でも、最初に声を掛けられたのが、まさかミツクニさんだったなんて」
とにかく、今は話の流れを崩さない事が重要だと思い、次の言葉を捻り出す。
「本当に、誰にも声を掛けられなかったのか?」
「はい。この遺跡に来るまで、世界中を旅して居ましたが、一度も声は掛けられませんでした」
一度もかよ。
まさか、俺より存在感が薄い人間が居るとは、思わなかったなあ。
……って、違う! 今は同情する所じゃない!
「買い物は私から声を掛けて何とかなりましたが、検問や関所を通過する時も気付かれない……まあ、便利でしたけど、少し悲しかったです」
その気持ち……凄く分かる。
俺も魔法学園に居た時は、売店のおばちゃんとかに、気付いて貰えなかったし。
「やはり、魔力が無いからでしょうか?」
「俺も今までは確証が無かったけど、多分それが原因だと思う」
「ですよね……」
二人同時に視線を落とす。
……って、違う! こんな事を考察している場合じゃ無くて……!
「他の異世界召喚者は魔力を持っているのに……どうして私達だけ」
「まあ、俺は元々召喚された訳じゃ無い……」
アブねえ!
こちらから情報を漏らしてどうするよ!
「あ……」
俺の顔を見て、雫が口に手を当てる。
そして、再び俯く。
「すみません。その……何と言うか」
その仕草を見て、分かってしまう。
どうやら彼女は、一部の人間しか知らないはずの、俺の出生を知って居るようだ。
「……いや、気にしなくて良いよ」
本来ならば警戒すべき所なのだろうが、何故かそうはならない。心が自然と彼女を受け入れてしまっていた。
「そう。俺は作られた存在だから、最初から魔力が無いんだ」
悲しそうな表情をしている雫を前にして、嘘を吐く事が出来ない。
……いや、違う。
正確には、自然体で居る彼女の姿を見て、取り繕っている自分が馬鹿らしく思えてしまったんだ。
「でも、雫は異世界召喚されたんだろ? それなら先人のように、チート的な何かを持って居ても、おかしくないと思うんだけど」
警戒を解いた俺の心からの言葉。それを感じ取った雫が、少しずつ笑顔を取り戻していく。
「ふふ……」
俯いていた雫が、嬉しそうに顔を上げる。
「はい。実は私も、チートな能力を持っています」
「マジかよ。羨ましいな」
「そうですか? 私からすれば、沢山の仲間に囲まれて居るミツクニさんの方が、羨ましいですけど」
「それは、俺がそういう役目を持って居たから、自然とそうなっただけで」
「それですよ!」
雫が勢い良く立ち上がる。
「ミツクニさんも先人の方々も! すぐにこの世界の人達と仲良くなって! 私なんか頑張って声を掛けても無視されて……!」
途中まで言って、ハッとする雫。
再び顔を真っ赤にしてベンチに座る。
「……すみません」
その一言で、遂に笑ってしまう。
魔力を持たない、日本からの異世界転移者。
普通の女子じゃないか。
(何か……心地が良いな)
ふっと笑い、目を閉じる。
話すほどに深まる雫の謎。
だけど、そんな事はもうどうでも良い。
俺の心が、彼女を許容しろと言っている。
だから、きっとそれで良いんだ。
「あ、私そろそろ行かないと」
ポツリと言って雫が立ち上がる。
あまりにも突然だったので、俺の中に寂しさが襲って来た。
「何処か目的地でもあるのか?」
「……そうですね。あります」
含みのある返答。
本当は詳しく聞きたかったが、雫の表情が詮索して欲しく無さそうだったので、それ以上は聞かない事にする。
「ミツクニさん」
雫が笑顔で見下ろす。
「また会えたら、笑顔で会いましょう」
突飛な発言。
しかし、それでも俺は黙って頷いた。
「それでは」
それだけ言って、中庭から立ち去る雫。
取り残される俺。
少しの孤独を感じながら、空を見上げる。
(また会えたら……ね)
ふうと息を吐き、中庭を眺める。
その先に見えたのは、魔法学園の生徒達と話をして居るヤマト。
楽しく話して居るように見えるが、実際はまだまだぎこちない。
ヤマトをどうにかしない限り、俺はここから動く事は出来ない。
雫に再開するのは、もう少し先になりそうだ。
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