オープン戦

第2話 雄磨と霧奈

 今、俺は眠っている。

 いつの頃からだったかは忘れちまったが、目を瞑って眠っている最中でも、常に身の周りへ注意を払い続けているという奇妙な体質になってしまった。

 窓の外で雀がちゅんちゅんと鳴いている事も、お隣さんが飼っているチワワがうるさい事も、そしてここは俺の部屋だというのに、枕元に立つ霧姉きりねえから殺気が溢れている事も既に認識している。


 ……やれやれ、毎日ご苦労なこった。

 俺も高校生になったというのに何も変わらず、か。


 ベッドから腕を伸ばし、目覚ましを止める。

 アラームをセットした時刻の丁度一分前。いつも通りだ。


 「よしよし、今日もキチンと起きているな。おはようゆうちゃん」

 「……おはよう」


 そして制服姿の霧姉が、まるでスイカ割りでもするみたいに、金属バットを大きく振りかざしているのもいつも通りだ。

 もしも目覚ましのアラームが鳴ってしまうと、この金属バットは容赦なく俺の頭に振り下ろされる……らしい。

 小学校に入学して間もなく、ハリセンだったものが百科事典に代わり、百科事典から竹刀へ、そして今では金属バットだ。

 因みに百科事典に代わった時から、霧姉の目覚まし攻撃は一度も受けていない。


 「じゃあ恒例のと行こうか」


 霧姉は金属バットを部屋の壁に立て掛け、机の上に置かれていた、いつものヤツを手に取る。

 カタカタと覚束ない両手で持つトレイには、十個のマグカップが乗っている。……今日いつもより多くない?


 「ふはは、今日は特別に数を増やしておいたのだ! 勿論当たりは一つだけだぞ。ぅをっとと、はいどーぞ召し上がれ。うしし」


 ベッドに腰掛けている俺の前に、どうぞと差し出されたモーニングコーヒー十杯。

 大小様々なマグカップにブラックコーヒーが淹れられているのだが、この中の九個は超強力下剤入り。

 つまり十分の一の確率でしか普通のコーヒーは飲めず、ハズレを引いたその瞬間にトイレの住人と化す。

 一度オヤジが誤って飲んでしまった事があり、救急車を呼ぶ事態へと発展した事がある。

 それ以来、オヤジはコーヒーが飲めなくなったらしい。


 「トイレの鍵はいつも通り、家の何処かに隠してあるからなー。さぁ、今日こそはを引くのだ!」

 「それを言うならハズレだろ? 引かねぇよ、んなモン」


 人間ギリギリまで追い詰められると、どんな事でも出来るようになるらしい。

 自分にとって危険な物や霧姉の仕掛けた罠や悪戯など、ありとあらゆる嫌がらせを回避し続ける為、俺は秘術を編み出す事に成功した。


 極限まで意識を集中させて、下剤入り珈琲がどれなのかと深く考え始める。

 すると、マグカップの上に黒いもやが掛かり始める。

 靄が掛っているのはアウト。下剤入りだ。

 この靄の大きさ、色の濃さでどれくらいヤバイ物なのか大体の見当も付く。


 下剤入りコーヒーに限らず、こういった霧姉が仕掛けた罠や悪戯などは、神経を研ぎ澄ませて探りを入れてやれば、何処に仕掛けられているのかという大凡の位置や距離までもが脳裏に浮かんで来て、危機回避出来るようになったのだ。


 ……オイ、十個のマグカップ全てに黒い靄が掛っているぞ?


 「全部ハズレで当たりなしじゃねぇか。嫌がらせして来てもいいけど、せめてまともな珈琲飲ませてくれよ!」

 「うぐ……見破られちゃったか。やっぱ凄いなー雄ちゃんは。ハイ、ちゃんと珈琲は淹れてあるよ」


 机の上で開きっ放しとなっていた俺のノートパソコン。

 その裏側に個別で隠しておいたマグカップを、霧姉は渋々といった様子で差し出して来た。

 手渡されたマグカップには、先程よりも真っ黒で大きな靄が掛っている。

 ……はぁ。溜め息しか出ねぇ。


 「この珈琲も大量の下剤入りだろ! それと、トイレの鍵は一階のクローゼット。……オヤジのズボンのポケット、だな?」


 隠された物を見付ける能力も、霧姉からのスパルタ教育で身に付けさせられた。

 今日みたいにトイレの鍵を家の中に隠されるのは日常茶飯事。

 トイレのドアに南京錠が取り付けられていて、ダイヤルロック式の金庫や八桁の暗証番号を打ち込まないと開錠しない金庫に、南京錠の鍵を仕舞われていた事もあった。


 俺の幼少期の恥ずかしい写真や、霧姉に全裸に引ん剥かれて取られた写真、預金通帳と印鑑、携帯電話なんかを巨大ショッピングモールに隠された事もあった。

 更には俺が若気の至りで書き溜めた、様々な中二病設定ノートを運悪く霧姉に見つかってしまい、そのノートを学校に隠されてしまう、なんて事件もあった。


 探したい物を頭の中で思い浮かべると、隠してある場所が薄っすらと脳裏に浮かんで来てしまう。

 そして俺の身に危険が迫っていると、それらの映像はより一層鮮明に浮かぶみたいだ。

 手足を縛られて軟禁された時なんかは、八桁の暗証番号も一瞬で浮かんで来たし……。


 今では探し物なら何でも見つける事が出来てしまう、不思議な体になってしまった。

 それもこれも俺へのイジメと暴力が趣味という霧姉の所為だ。

 喜んでいいのか、悲しむべきなのか、複雑な気分だ……。


 「ふ、ふはは。完璧だ、完璧だぞ雄ちゃん! 二重三重のトラップも全て見抜くとは、ホント一部の隙もないな! よーし、朝ご飯にしようじゃないか」


 長い黒髪とスカートの裾をふわりと回して踵を返し、霧姉は足取り軽やかに部屋から出て行った。

 ……残された十一杯の下剤入りコーヒー、コレどうすんだよ。 


 

 いつの頃からだったかは覚えていないが、こうやって様々な方法で虐めを受けている。

 霧姉が言うには『特訓』らしいが、何の為の特訓なのかは定かではない。

 おかげさまで俺の危機察知能力は、最早神レベルに達していると言っても過言ではないと思う。

 スパルタ教育で鍛え上げられた危機察知能力のおかげで、ここ最近では霧姉からの暴力を受けなくなった。

 子供の頃の記憶は……思い出したくもねぇ。



 リビングに到着すると、オヤジが仏壇に向かって手を合わせていた。

 母ちゃんが病気で亡くなってからというもの、オヤジはすっかりと元気をなくしてしまった。

 今では経理を担当していた母ちゃんの分まで仕事をしているみたいだし、かなり疲れているというのもあるのかもしれない。

 ウチの工場の事業もかなり縮小させているみたいだけど……体、大丈夫なのか?


 「何やってんだよ雄ちゃん、早く朝ご飯食べないと遅れるぞ?」

 「おう――ってかまだ時間余裕だろ? 学校まで徒歩数分だし」

 「ゆっくりしていたら部活のミーティングに遅れちゃうじゃないか!」

 「……それなら霧姉だけ先に行けばいいじゃねぇか」


 何が悲しくて姉弟で一緒に登校しなきゃなんねぇんだよ。

 そもそも霧姉は部活に入っていたのか。初耳だぞ?


 「何を言っているのだ。昨日雄ちゃんの分と私の分、一緒に同じ部活に入部届を出しておいたからな。ホラ、さっさと食べなよ。出発するぞ」


 ……はい? 今、何て言った?


 「おいおい、しっかりしてくれよー。雄ちゃんなら私の行動くらい全てお見通しだろ?」

 「そんなの分かるわけねぇだろ!」


 当然だろ? みたいな顔すんな!

 流石に自分が居ない所でやらかされた事まで察知出来ねぇって!

 ……待て、待て待て嫌な予感がする。猛烈に。


 「……ち、ちなみに俺は何部に入ったんだ?」

 「当然ゾンビハンター部に決まっているだろ。さぁ、出発だ!」

 「ぎゃー! やっぱり――」


 まだご飯を食っている最中だというのに、霧姉はお構いなしに俺の襟首の後ろ側を鷲掴みにすると、強引に引っ張り上げた。

 俺、腹減ってんだけどなー。


 ……ああ、俺の朝飯が遠ざかって行く。

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