第43話 絶望


 軒下からコチラの様子を窺っているナーガは、微動だにせず長い舌をチロチロと出し入れしている。

 もしかして床が水浸しだから、入って来られないのじゃないか?


 『ズズズッ……』


 如何やら俺の予想は正しかったみたいで、ナーガはシュルシュル言いながら間口から移動を開始した。


 なんだよ、アイツ見掛け倒しだな!

 襲い掛かって来るのかと思いきや、足もとの水にビビって逃げ出したぞ!

 ゾンビがあのナーガ一匹だけなら、このまま一時間耐え切れば――なんて考えた始めたその時だった。


 自分のすぐ傍に落雷でもあったのかと錯覚しそうな、バリバリという物凄い破壊音がした瞬間には、巨大な何かが漁業センター内を通過して行った。 

 視点で参加していた場所を、大気を切り裂くように俺の背後から前方へと通過して行ったのは……真っ青な鎌。


 建物の外から放たれたナーガの一撃……たったの一撃が、漁業センターの外壁や築き上げた砦諸共、大津京高校の部員達を横一文字に切り裂いたのだ。


 ミストアーマーなんて何の役にも立っていなかった。

 あんなにも必死に頑張っていたみんなが、一瞬で殺されてしまった。

 頑張るとか頑張れとか、それ以前の問題だ。

 こんなの絶対に無理だ!

 こんなの……こんなのあんまりじゃねぇかよ!


 ナーガは長い両手の鎌を器用に使い、建物の壁をガリガリとこじ開けて侵入して来た。

 鎌の切っ先までもが真っ青で、下半身は蛇の鱗が独特な艶を放っている。

 篠も言っていたが、巨体に比べると尻尾はやや短めで胴体も細い。 


 そこから先はとても見ていられる光景ではなかった。 

 気を失って横になっている梶谷君に向けて、ナーガがヨダレが滴る口を大きく開けたところで、俺は映像を停止した。




 「……分かっただろ? 帰還する船に乗り遅れるという事は、即ち死を意味する。私達は絶対に同じ過ちを犯さない事だ」


 嫌なものを見たからなのか、観戦を終えた霧姉にも落胆の色が窺える。

 あんな映像を見て喜ぶのは、今も観客席の前の方で騒いでる頭のイカれた大富豪達だけだろう。


 何とも後味の悪い結末となってしまったが、こうして初めてのスタジアム観戦を終えたのだった。







 「凄かったですねー! 新種のナーガはSSSトリプルにランクインするでしょうね! 今後は益々ゾンビハントの難易度が上がって行きそうですよー」


 みんなで自宅に向かって歩いている最中も、瑠城さんだけはテンションが高かったのだが、他のみんなは口数も少なく重い空気が漂っていた。


 オープン戦を無傷で終えた事で、選手権も何とかなるんじゃねぇかと心の何処かで思っていた。

 それは俺だけじゃなく、霧姉もきっとそう思っていたに違いない。

 そこに来てさっきのナーガの出現だ。

 所詮俺達の命なんて、運営のさじ加減一つでどうにでもなっちまうって事だ。


 改めてゾンビハントの怖さを思い知らされる結果となってしまったのだ。


 ところが――


 「うーん。……んー」


 今までずっと静かだった篠が、顎に手を添えて何やらウンウンと唸り始めた。


 「どうしたんだ? ……何か気になる事でもあるのか?」

 「うん。ちょっと……」


 篠は歩きながら何かの動作を確認するように突然体を捻ったり、大きく倒したりしている。


 ……ホント篠の考えている事はよく分かんねぇな。


 「あの、瑠城先輩に聞きたいんですけど……?」

 「どうかしましたか?」

 「さっきのナーガはSSSトリプルにランクインしそうなんですよね?」

 「そうですねー。恐らくランク入りされるでしょうね。何か気に掛かる事でもありますか?」

 「えっと……もしさっきの蛇でも最上位のSSSトリプルランクだったら、この先も何とかなりそうだなぁーって」


 ……へ? 何言ってんだこの子は?

 恐怖で頭のネジがどっか飛んで行っちゃったのか?


 「鏡ちゃん、その話詳しく話してくれるか?」

 「いやあの、詳しくって言われても何とかなりそうだなぁと思っただけでして……。ただ――」

 「「「「ただ?」」」」


 みんなが篠の顔を覗き込む。


 「さっきの蛇も青く大きくなってはいましたけど、動きそのものは前の蛇の時とそれほど変わりはなかったですし、大丈夫そうかなぁーって」

 「全然大丈夫じゃねぇだろ! あのパワー見ただろ? あんなモガモガ――」

 「ちょっと雄ちゃんは黙ってろ」


 霧姉が手で俺の口を無理矢理塞いだ。

 俺の顔面をぶっ飛ばす勢いだったのだが、もうちょっと自分のパワーってモンを考えてくれよ……。


 「それで? 本当に大丈夫そうなのか?」

 「はい、たぶん。前の蛇と同じで両手の鎌にさえ気を付けていれば大丈夫だと思います。それにあの鎌、凄く長かったですよね?」


 長かった。スゲー長かった。

 建物を一撃で分断出来るくらい長かったぞ! あんなの反則じゃねぇか!


 「あんなに長かったら、逆に自分の体の近くを攻撃出来ないじゃないですか。見た感じだと肘よりもずいぶん上の方から鎌だったから、途中で折り曲げたり出来そうじゃなかったですし」

 「……うーむ、確かにそうかもしれないな。でもあの鎌が邪魔でヤツに近付けなくないか?」

 「鎌を避ければ大丈夫そうですよ?」

 「……鏡ちゃんには出来そうなのか?」

 「はい。モチロンです」


 篠は瞳をクリクリとさせて答えた。

 ホントかよ……。あんなのが避けられるとは到底考えられねぇが……篠の事だから、なんとかしてしまうのかも知れねぇな。


 「まぁ鏡ちゃんにとっては大した問題じゃないって事なのだろう。そもそもあんなゾンビは通常の選手権には出されないだろうし、今のところはそんなに深く考えなくて良さそうだな。……何だか元気そうな鏡ちゃん見てたらお腹が減って来たよ。今日は何が食べたい?」

 「ハーイ、ハーイ! ハンバーグカレーが食べたいです!」


 篠は元気一杯に手を上げている。

 小学生か!  


 「昨日もカレーだったじゃねぇかよ」

 「昨日は唐揚げカレーです。別物です!」


 駄目だこりゃ。

 篠はカレーベースでしかご飯の事を考えられねぇみたいだ。

 週五回ペースでカレーはキツイ。


 「彩芽と泉も家に来なよ! 今日はみんなでハンバーグカレーパーティーをしようじゃないか!」

 「「イェーイ!」」


 何だか重く漂っていた暗い空気が、何処かに飛んで行ったみたいだ。

 今日の晩飯は一段と賑やかになりそうだな。

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