第109話 ポーチの秘密


 観客達の反応がいまいちでも、霧姉の表情は一切崩れない。

 まるで勝利を確信しているかのように、自信を持った笑みを浮かべ続けている。


 『うふふ、実はこのどブサにゃん極防水ポーチには、ちょっとした秘密があるのですよぉ』

 『え? そ、そうなんですか?』

 『はぁい。どブサにゃん極ファンの方なら絶対に見逃せないと思いますよぉ! 二刀乱舞さぁん、こちらに来て下さぁい』


 霧姉に手招きされて、篠が進行役のオッサンの前まで進んだ。

 風寅のお面で篠の表情は分からねぇけど、機敏な動きを見せているので緊張している様子はなさそうだ。

 篠は無言のままポケットから風寅の防水ポーチを取り出し、お面の前まで持ち上げた。


 『??』


 篠にマイクを向けた進行役のオッサン、そして会場中が篠の動きに釘付けになっている。




 

 昨日の放課後――


 「よし。では雄ちゃんも揃った事だし、早速コレの説明をしておこう」


 部室でミーティングが始まってすぐに、霧姉が鞄から五つのポーチを取り出した。

 ……うげ、あの気持ち悪いポーチ、本気でウチの商品にするつもりかよ。


 「鏡ちゃんにデザインして貰ったどブサにゃん極防水ポーチだ。みんな、明日の決勝戦はこのポーチを使ってくれ」

 「ハイ!!」


 元気良く返事したのは篠だけだ。

 ポーチを受け取った瑠城さんと泉さんは、お互いに顔を見合わせて困惑の表情を浮かべている。


 「あ、あの、霧ちゃん?」

 「何だ?」

 「……このどブサにゃん極のポーチは確かにカワイイんだけどさ、……これ、大丈夫なの?」

 「ああ。完全防水仕様だぞ!」

 「いや、そういう意味じゃなくてさ、……アタシが工場を使わせて貰った時に気付いたんだけど、工場の設備、沢山増えてたよね?」


 泉さんの言いたい事は何となく分かる。

 カジノで『樫高全国優勝』にベットする予定だった分や、その他諸々試合で稼いだ分は、その殆どが工場の設備投資に使われたのだ。

 いつの間に手配したのか知らねぇけど、俺が気付いた時には工場内は設備で溢れ返っていたぞ。

 それが……それがこんな売れそうもねぇ商品を作る為の設備だったとは……。

 こんな安っぽいポーチの一体何処に、あんなに沢山の設備が必要なんだよ!


 ……コレ、絶対設備代すら回収出来ねぇよ。

 選手権で優勝しても水亀商店は終わりだよ……。


 「フハハ、なんだなんだ! そんな事を気にしてくれていたのか! ああ、勿論問題ない。今回の商品もバカ売れ間違いなしだぞ!」


 霧姉はこのポーチが売れると思っているのか?


 「まぁまぁ、とりあえず最後まで説明を聞いてくれ。……じゃあ鏡ちゃん、そのポーチのファスナーを、一度だけゆっくりと開けてみてくれるか?」

 「へ? ファスナー、ですか?」


 ……防水仕様なのにファスナーが付いているのか。

 

 俺に渡されたミッケルのポーチを見てみると……開放口は確かにファスナーだ。

 衣類などでよく使用されている金属のファスナーだけど、防水に関しても問題なさそうで、密閉された内側に特殊な加工が施されているみたいだ。

 ファスナーを摘まんで引っ張る部分が、ミッケルのデザインになっているんだけど……こんな部品に金を掛けるな!


 篠も何の事だかよく分かっていない様子で、みんなに見守られながら風寅型のファスナーの持ち手部分に手を掛けた。


 「一度だけ、ゆっくりだぞ?」

 「こ、こうですか?」


 篠がファスナーを下げると――


 『にゃーーー』

 「「な、鳴いたー!!」」


 瑠城さんと泉さんは声を揃えて驚いているのだが、篠はポーチを手にしたままプルプルと震えてしまっている。

 な、何だったんだ今のは? 風寅のポーチから猫の鳴き声みたいなのが聞こえたぞ?

 


 「しゃ、しゃしゃ喋りました! 風寅が喋りましたよー! きゃわわーん!」

 「グハハ―! どうだ、凄いだろー! 猫の鳴き声に聞こえるようにファスナーを加工して、CVキャラクターボイスを充てたのだ!」


 く、くだらねぇー! ホント馬鹿じゃねぇのか!


 

 ――と言いたいところだが、篠の目がハート型になってしまっている。

 篠の反応を見る限り、どブサにゃん極のファンにはウケるかもしれねぇな。


 「――おっと鏡ちゃん、まだ駄目だ。一度だけだと言っただろ?」

 「どうしてですか! もっと聞きたいです! もっとお話ししたいです!」


 ファスナーを最初の位置に戻そうとした篠は、霧姉に『待て!』をくらっている。


 「鏡ちゃん、今の風寅の声に何か感じなかったか?」

 「可愛かったです! 凄く癒されました! もっと聞きたいです!」

 「いや、そういう事ではなくて……。まぁ気付かなくても仕方ないか。じゃあ今度は雄ちゃん、さっきの鏡ちゃんと一緒で、一度だけゆっくりとファスナーを下ろしてくれ」


 風寅のポーチとミッケルのポーチでは、何か違いがあるのか? 

 霧姉に言われるがままそっとファスナーを下ろしてみた。


 『に゛ゃーーー』

 「水亀君だ!」

 「雄磨だ!」

 「雄磨君の声です!」


 風寅の時よりも低い鳴き声だったのだが……お、俺? 俺、こんな声じゃねぇぞ?


 「グハハー! さっきも言ったが、私はCVキャラクターボイスを充てたのだ! みんなが持っているポーチのファスナーには、各々の声を入れさせて貰ったぞ!」


 ――って事は、さっきの風寅のポーチは篠の声だったのか。


 「彩芽と泉も同じようにやってみてくれるか?」


 『にゃ~~~』


 ……瑠城さんの声だ。


 『ニャーーー』


 これは泉さんの声だ。

 物凄く細かい差だけど、言われてみると確かに二人の声に聞こえるぞ。


 「以前に部室でみんなの声を録音させて貰っただろ? あの音声データを基に五人分の声を作ったのだ。大変だったのだぞ?」

 「アタシ達がお手伝いで削っていたプレス機の金型は、これの為だったのね?」

 「そうだ。凄く細かな作業だったからな。泉達が手伝ってくれて本当に助かったよ」


 泉さんも手伝わされていたのか。


 「そしてこのファスナーには、まだ秘密があるのだ! 鏡ちゃん、今度は下げたファスナーをゆっくりと戻してくれるか」

 「……は、はい!」


 期待に胸を膨らませている篠が、ゆっくりとファスナーを上げ始めると――


 『ゴロゴロゴロゴロ……』


 な、何だ? さっきと違ってゴロゴロ言ってるぞ?


 「グハハー、どうだ! ファスナーを締める時には、喉を鳴らして甘えて来るのだ! カワイイだろ!」

 「きゃわわーん! はぁ……最高です」


 余程心に響いたのか、篠は風寅ポーチを握り締めてその場にしゃがみ込んでしまった。


 思いに浸っている篠には言いにくいんだが……ファスナーを開ける時の声と違って、喉をゴロゴロ鳴らしているっていうのは、ちょっと微妙だぞ?

 霧姉が説明したからそう聞こえるだけであって、ゴロゴロいう音だけ聞けば何の事だかさっぱり分からねぇぞ。

 

 「霧奈お姉さん。これ……最高ですよ」

 

 しかし一度風寅が喉を鳴らして甘えて来る声に聞こえてしまった篠には、もうそういうふうにしか聞こえないらしい。


 『にゃーーー』

 『ゴロゴロゴロゴロ……』

 『にゃーーー』

 『ゴロゴロゴロゴロ……』


 ……


 篠はファスナーを何度も上げ下げして、ウットリと頬を赤らめている。


 『にゃーーー』

 『ゴロゴロゴロゴロ……』


 「フフフ、どうやら気に入って貰えたみたいだな。このファスナーの技術は既に特許出願中で、他社が真似する事は出来ないぞ。水亀商店のビジネスはこの先益々広がって行くのだ!」

 「凄いねー霧ちゃん。よくこんなの思い付いたよねー」

 「……ホントですよね。毎日忙しかったでしょうね」


 泉さんと瑠城さんもファスナーの上げ下げを繰り返している。


 ……部室内がニャーニャーゴロゴロうるさい。



 滋賀県大会の予選が終わった後だったかな。

 霧姉と篠が水亀商店の今後の商品について話している時に、オンリーワンな物だとか、生産コストが掛からない物だとか、ウチの工場の存在意義だとか、そんな話をしていた気がする。

 霧姉の狙いとしては、色々などブサにゃん極グッズにこのファスナーを取り付けて行きたいのだろう。

 ファスナーなんて付けようと思えば、大体何にでも取り付けられるからな。

 そしてビジネスが広がるなんて言い方をしているので、更にこの先、商品自体は他社に作らせて、ファスナーだけはウチの物を取り付ける、なんて事も考えているかもしれねぇ。

 『どブサにゃん極を商品化するなら、ファスナーの取り付けは必須だ!』なんて平気で言いそうだからな。








 「「「「ぅおーー!」」」」

 「ファスナーを上げ下げするスピードを変えれば、キャラクター達の感情豊かな声が楽しめると思いますよぉー。うふふ、この先はご自身の手で実際にご確認下さぁい!」


 篠が行ったデモンストレーションは大成功で、会場は盛り上がりを見せている。

 この分なら売り上げの方は問題なさそうだな。


 「こちらのどブサにゃん極防水ポーチは、各種お一つ三千五百円となっておりまぁす!」


 ……今回も見事なボッタくり価格だが大丈夫なのか?


 「そしてそして、この決勝戦が終わって私達がスタジアムに戻って来るまでの間だけ、五種類全てが収納されたどブサにゃん極オリジナル限定BOXが、一万五千円と大変お求め易くなってまぁす! こちらは数量限定となっていますので、是非お早めにお買い求め下さぁい!」


 霧姉はユニホームの裾を引っ張って、店の電話番号をアピールしている。


 「「「「ぅおーー!」」」」


 我先にと携帯電話で番号を入力している姿が、スタジアムのあちこちで目に付く。


 「しょ、しょうばいじょうずサン! でんわがつながりませんヨー!」


 俺達の隣ではドリームチームのみんなも一生懸命電話を掛けている。


 「……はい。限定BOXです。お願いします」

 「!! シャサールさん、つながったのデスか? わたしの……わたしのぶんもおねがいしマス!」


 ……こんなところで初めてエマさんの声を聞いてしまった。

 容姿が少しだけ幼く見えるエマさんだけど、遠くまで響きそうな芯の強い声だったぞ。



 今日の電話番は親父に加えて、霧姉がアキちゃん達ウォーターウェポン部の連中にもアルバイトを頼んでいた。

 今頃対応に追われていると思うけど……頑張ってくれ。

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