第86話 チヨちゃん事件


 翌日から土曜日まで、瑠城さんの宣言通りみっちりと戦闘訓練が行われた。


 「あの……彩芽、私は忙しいのだが――」

 「駄目です。全国大会まで時間がありません。霧奈さんもしっかりと射撃訓練を行ってください」


 何かと理由を付けて練習を抜け出そうとする霧姉にも、容赦なく対応していた。 


 アキちゃんやウォーターウェポン部の連中は、やはり学校を早退して樫高まで来ていたらしい。

 このままでは卒業出来なくなるから、と泉さんに説得されて以来、キチンと学校が終わってから工場に来るようになった。

 しかし泉さんが部活動で学校に居る間は、ずっと霧姉の作業を手伝わされているそうだ。

 俺には彼女達がこのままただ働きさせられる未来しか見えない……。



 「瑠城先輩、私はどうすればいいですか?」

 「鏡花さんはセイバーの扱い方を雄磨君に指南してあげて下さい」

 「分かりました。では……」


 ポカッ


 「痛ぇ! 何だよ篠! 急に叩くなよ!」

 「……セイバーの訓練ですよ?」


 スポーツチャンバラで使われているような、刀身の部分にスポンジの衝撃保護材が使われている剣で、俺の脛を叩いて来た。

 何するんだよ……俺、まだ剣も持ってねぇのに。


 理由は分からねぇんだけど、二、三日前から篠の機嫌が悪い気がする。

 俺が何したって言うんだよ……。


 ポカッ 


 「ボーっとしていたら駄目ですよ」 


 ……俺に教えるのに、二本の剣を構える必要があるのか?

 ちょっとムッと来たので、俺も剣を拾い強めに振ってみたのだが……篠には掠りもしねぇ。


 ポカッ


 「闇雲にブンブンと振り回しても駄目です。動きをよく見て下さい。そして必ず相手を自分の正面で捉えるようにして下さい」 

 「……篠、機嫌悪くない?」 

 「別に。普段通りですよ」


 全然普段通りじゃねぇじゃん!

 篠ちゃんが怖いんだ。剣に怒りが込められているんだ。


 「普通のゾンビが相手なら、私達の方がリーチが長いんです。一対一なら絶対に負けないんです」


 ビシュ!


 振り降ろされた剣先が、俺の鼻先でピタリと止まっている。


 「相手の急所目掛けて振り抜いて下さい。いいですね?」

 「は、はい……」


 冷たい汗がたらりとこめかみを伝っている。

 篠は真剣に教えてくれている……のか?


 「明日はみんなで温水プールですよー! 今日一日気合を入れて練習に励みましょう!」


 ポカッポカッポカッポカッポカッ!


 「痛い! 篠、痛いって! 急にどうした――痛ぇ!」

 「もー! 水亀君、何なんですか! ……もー!」


 瑠城さんが叫んだ後、篠が出鱈目なフォームで俺の事をボコボコに叩く。

 何でキレてるんだよ? 闇雲に振り回したら駄目だって、さっき自分で言ってたじゃねぇか!

 ホント、俺が何をしたっていうんだよ……。



 射撃訓練とウォーターウェポンの仕組みは瑠城さんが教えてくれるし、ちょっとしたメンテナンス方法なんかは工場で泉さんが教えてくれる。

 そしてセイバーに関しては篠が付きっきりで教えてくれている。

 みんなが一丸となって俺に協力してくれているんだ。

 一人で戦えるくらいまで何とか成長したいところだが、全国大会までに……というのはちょっと無理かな。


 「それでは休憩に入りましょう! ウフフ、休憩中は私の座学ですよー」


 体を動かさない間は、瑠城さんがゾンビの基礎知識と豆知識を教えてくれる。

 その殆どがどうでもいい話なので、適当に聞き流している。


 しかし今日は趣向を変えて来たみたいで、ゾンビハントクイズを出題して来た。

 正解すれば明日温水プールに行った時に、お小遣いをくれるというので真剣だ。

 ……瑠城さんはここ数戦で稼いだお金を殆ど使っていない。俺と違ってお金持ちなんだよ。


 「――では雄磨君には初級問題です。これは実際に起こった出来事で、ゾンビハンターファンの間では有名なお話です。数十年前のオープン戦でチヨちゃんというゾンビが出現しました」 

 「あー、チヨちゃん事件だねー」

 「泉さんは答えては駄目ですよ? チヨちゃんは腰の曲がったおばあちゃんゾンビで、物凄くのっそりとした動きの、とても可愛らしいゾンビです」


 ゾンビに可愛いも不細工もねぇだろ。

 どいつもこいつも気持ち悪いぞ。


 「ところがそのチヨちゃんに噛まれてしまった参加者が居たのです」

 「動きがすげぇ遅いんだろ? 油断してたのか?」

 「問題を最後まで聞いて下さい。その参加者は確実にチヨちゃんに噛まれてしまったのですが、何故かゾンビ化しませんでした。さて、それは一体どうしてでしょうか?」

 「へ? 噛まれたのにゾンビ化しなかったのか? ……うーん、試合が終わるまでゾンビ化しなかっただけで、スタジアムに戻ってからゾンビ化した、とか?」

 「ブッブ―。違いまーす。噛まれた直後に、他の参加者に止めを刺してもらっても、肌で水を弾き返したそうなので、全くゾンビ化していないのです。さて、どうしてでしょう?」


 噛まれたのにゾンビ化しなかったって……全然分かんねぇ。


 「ゾンビの噛む力が弱かった、とか?」

 「ブッブ―。違いまーす。くっきりとしたキレイな歯形が腕に残っていたそうなので、確実に噛まれています。……これ、実は重要なヒントですよ?」


 ヒント? ますます分かんねぇ。

 その参加者はゾンビ化しない体質だったのか?

 ……くそ、どうでもいい問題なのに、分からないとイライラするじゃねぇか。


 「あー! 分かりましたー! そのゾンビは入れ歯だったんです! だからゾンビ化しなかったんでしょー!」

 「もう、鏡花さん! 雄磨君に出題しているのに、答えては駄目じゃないですか」

 「あ……そうだった。ご、ごめんなさい」


 答えが頭に浮かんだ篠は、咄嗟に答えを言ってしまったみたいだ。

 ……そうか。おばあちゃんゾンビなのに、キレイな歯形が残るのは不自然だよな。


 「でもよ、入れ歯だったらゾンビ化しねぇのか?」

 「いえ、一概に全てがそうだとは言い切れませんが、チヨちゃんのように総入れ歯だった場合は、ゾンビ化しないケースが稀に起こるみたいですよ。この事件がきっかけとなって、ゾンビウィルスと歯の関係性が施設で研究されるようになりました。そしてこの事件はチヨちゃん事件として、ファン達の間で語られているのです」

 「へー」


 どうでもいい話だったけど、答えを聞いてちょっとだけスッキリした。

 そして俺のお小遣いは……やっぱりねぇよな。 

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