第9話 実は今回のオープン戦……


 数万人が収容可能な堀切スタジアム。

 大観衆で埋め尽くされた観客席の形状は、琵琶湖に向かってカタカナの『コ』の字型に形成されていて、水上ステージとその水上ステージに横付けされた一隻の船とを、両サイドの観客席でギリギリ近くまで挟み込むような造りになっている。

 両サイドの観客席の一番手前からなら、水上ステージや船にそれぞれ手が届きそうな程近く、何故こんなにも観客席が近いのかと疑問に思ったのだが、よくよく考えるとゾンビハントそのものは別の場所で行われるので、どうやらこのステージは競技に参加する選手達を、お披露目する為だけの場所みたいだ。


 俺を含むオープン戦の参加者達が、ファッションショーのランウェイのようなステージに立つと、超満員の観客席から狂気染みた大歓声が沸き起こった。

 観客達の熱気がうねりを上げて振動へと変わり、俺の蚤の心臓と震える膝を突き抜けて行くと、その場にへたり込んでしまいそうになった。


 「ホラ、しっかりしろよ雄ちゃん。折角の晴れの舞台だろ?」


 霧姉に肩を叩かれたのだが、その僅かな衝撃でさえよろけてしまいそうだった。

 な、情けねぇ。

 でもこんな大観衆の前に立つのなんて生まれて初めてなんだし、ビビらねぇ方がおかしいっての!


 「オ、オープン戦って、いつもこんなに盛り上がるのか?」

 「うーん、まぁ何だ。詳しい話は船に乗り込んでから話すよ。そんな事よりアピールだ! 雄ちゃんも胸を張ってTシャツをアピールするのだ! ウェーイ!」


 霧姉は普段と何も変わらない様子で、『水亀商店みせのかんばん』をしっかりとアピールしていた。


 そしてそんな中でも、ひと際注目を集めていたのがお面ウーマン。

 観客達の声援に応えるわけでもなく、端っこでひっそりと佇んでいるだけだったのだが、彼女が注目されているというのは俺でも分かった。


 「どうしたのさ雄磨、ビビっちゃったの?」

 「……泉さんは平気なのか?」

 「全っ然余裕だよ。アタシの夢へと続く第一歩だからね。楽しみで仕方がないよ。そんな事よりホラ、あそこ見てみなよ」


 泉さんがステージ前方の琵琶湖に向かって指差す。

 その先には緑に覆われた山と、その麓に少数の民家が軒を連ねる島が、存在感を露わにしていた。


 「アレが沖ノノ島だよ」

 「……無茶苦茶近いんだな」 

 「船に乗って十分で到着する距離だからね。ウフフ、神様に祈りを捧げている間に到着するよ」

 『おー! キミたちはゾンビハンター部の方達だね!』


 泉さんと会話していると、マイクを持った進行役が霧姉に話し掛けて来た。


 『はぁい、そうなんですぅー! 地元滋賀県の高校生なのでぇ、皆さんいーっぱい応援してくださぁい!』 

 「「「「ぅおーーー!」」」」


 マイクを向けられた霧姉がブリブリと話すと、観衆達が一段と湧き上がった。

 その三オクターブ程高い声は何処から出ているんだよ……。

 気持ち悪いから語尾を伸ばすな! 顔の傍で小さく手を振るな! 


 もう見慣れてもいるし、実の弟だしで何とも思わねぇが、霧姉はかなり容姿が整っている。

 顔は小さいし、肌は色白でキレイだし、黒目はクリクリしてっし。

 清純派美少女アイドルグループの一員として活躍していても、何らおかしくはないと思う。

 その容姿から、俺と同じ一年からは男女問わず絶対な人気を誇っている。


 ただしこれはあくまで、あ・く・ま・で・見た目だけの話だ。

 もし普段通りの霧姉の姿が今日見られたならば、清純派美少女アイドルグループではなく、プロレス団体や総合格闘技団体からスカウトが来る事になるだろう。


 『みんなお揃いのTシャツだね』

 『はぁい、この水亀商店っていうのわぁ、私のお父様が経営しているお店の名前でぇ、こういった缶バッジやキーホルダーなんかを作っていまぁーす! ウフフ、この缶バッジを身に付けていればぁ、ゾンビ達に襲われないんですよぉ!』


 霧姉はTシャツの裾に並べられた、缶バッジをすかさずアピールしている。

 商売の才能は、オヤジよりもありそうだ。

 そしてしっかりと脇腹の辺りを、両手の指で四角く囲っていた。


 テロップ入れてんじゃねぇよ。

 みんなにはそれがテロップだって分からねぇし、伝わらねぇよ!


 『エヘッ! 皆さんもぉー、良かったら買ってくださぁーい! 電話番号は077の――』

 「「「「ぅおーーー!」」」」


 ちゃっかり店の電話番号まで言い切りやがった。

 恐ろしい奴だ。

 何だか会場が別の意味で盛り上がり始めた。


 ハ、ハハハ……。

 俺、何でこんな所に居るのか分からなくなって来たぞ。




 俺達は船に乗り込み、大観衆に見送られながら、いよいよ沖ノノ島へと向けて出発した。

 操縦席のみが頑丈そうな鉄格子で守られた個室となっている船で、参加者が集まっている船上には、落水防止の為の手すりが設置してある以外、他には何もない。

 三十人で乗り込んでも、まだスペースには十分余裕がある船なのだが、瑠城さん曰く――


 「この船はゾンビ達が初めて沖ノノ島へと放たれた当時、堀切港と沖ノノ島を行き来していた定期船を改造した、何十年も前の船なのですよ! 凄いですよね!」


 凄く興奮気味に話してくれたのだが、俺にはただのボロい船にしか見えない。

 当時は船内に椅子やベンチが設置されていたらしいが、何故か今ではベンチどころか屋根すら綺麗サッパリ取り払われている。


 琵琶湖の穏やかな波間を、レトロなエンジン音を立てて突き進む船。

 俺はというと……足の震えが止まらない。

 というのも、スタジアムに集まった大観衆の熱狂ぶりに圧倒されてしまった。

 ……完全にビビってしまったんだよ! 悪いかよ!


 顔色を悪くしながら今日の無事を祈っていると、船はあっという間に沖ノノ島のすぐ傍まで進んでいた。

 木々が覆い茂った島の波打ち際に、ポツンと真っ赤な鳥居が見えている。

 民家が集まっている場所からかなり離れているのだが、こんな場所に神社があるのか?


 「……ところで霧姉、さっきの話の続きなんだが――」

 「何だ? フフフ、私のアピールは完璧だっただろ?」

 「その話じゃねぇよ。オープン戦は毎回こんなにも盛り上がるのかって聞いただろ?」

 「ああそうか、その話か」 


 霧姉や瑠城さんの話を聞く限り、俺の想像だとオープン戦っていうのは、もっと気楽に参加出来るものだと考えていた。

 報酬が少ないとか、ゾンビが弱いとか言っていたし。

 観客達ももっと少なくて、ゾンビハントの中でも前座みたいな扱いで、実技練習みたいな存在だと思っていた。


 ところが実際に参加するのは、本気モード全開の海外の選手達で、ガチムチ脳筋みたいな奴等。

 観客数は超満員で、凄まじい熱狂ぶり。


 勝手に抱いていただけなのだが、俺のイメージとは随分かけ離れているんだよな。


 「……実は雄ちゃんには言っていない事があるのだ」


 霧姉の雰囲気が真面目なものにガラリと変わった。


 「……オイ。実は今回のゾンビハントがオープン戦じゃないとか言うんじゃねぇだろうな?」

 「それはない。間違いなくオープン戦だぞ。報酬もランキング戦より少ないし、ゾンビ達も弱い奴等ばかりだ」

 「じゃあ何が――」

 「だけどそれはあくまで、オープン戦だった場合の話なのだ」


 つ、通常の? どういう事だ?


 「今日集まった観客達、この船に乗り込んでいる海外勢は、ある種の期待を込めている」

 「ある種の期待だ? 何だそりゃ」

 「実はな、日々開催されているオープン戦の中には、数ヶ月に一度くらいの割合で、運営側が非公開で極端に難易度を跳ね上げる日というのがあるのだ。勿論その分報酬の質も跳ね上がるけどな」

 「オイ。も、もしかしてその、極端に難易度が上がる日っていうのが、今日だって言うのか?」

 「まだ断定は出来ないけどな。観客達も今日あたりそろそろ来るんじゃないかと思って集まって来ている。運営側が用意した殺戮サービスショーを観に来た、というわけだ」


 船首で水しぶきを上げて突き進む船のその先では、小さな港の防波堤が見え始めた。

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