第34話 転校生


 スパ―――ン!


 「ふぎゃーー!」


 朝一から篠の悲鳴がご近所中に響き渡った。

 だから止めておけと言ったのに。

 音の響き方から察するに、第一段階のハリセンだな。


 俺の目覚ましが鳴る時刻はまだまだ先なのだが、今日からは篠の悲鳴で起きるようにするかな。

 霧姉が俺の部屋に来る前に着替えを済ませていると――


 「か、かりゃりゃーー!」


 またもや篠の変な悲鳴が聞こえて来た。

 何て言って叫んでいたのかは不明だが、恐らく初期のタバスコ入りの飲み物だろう。


 ハリセンにタバスコ、初日は全滅か。大変そうだな。


 リビングに降りて先に朝食を摂っていると、漸く寝惚け眼でフラフラとしている篠がやって来た。

 篠は朝に弱いのか。この先大丈夫なのか?


 「おはよう」

 「……おは……ふぁぁわゎゎ……」


 大きな欠伸と朝の挨拶を一緒にされてしまった。


 「大丈夫かよ。珈琲飲むか?」


 篠は再び目を閉じてしまいそうになりながら、首をフルフルと横に振った。


 「トイレ……」

 「多分鍵が掛かっているぞ」

 「? ……鍵は何処?」

 「自分で探すんだよ」

 「……ふぁい」


 フラフラとリビングから出て行った篠は、トイレとは反対方向の玄関に向かって行った。

 駄目だなこりゃ。漏らすなよ。


 良心的にも鍵はトイレのすぐ傍に置いてあったのだが、篠はなかなか発見する事が出来ず、水亀家の朝のトイレ待ちは大渋滞となってしまった。





 「水亀君はあんなにも大変な訓練を毎朝クリアしているの?」

 「ああ。あんなものはまだまだだぞ。因みに俺の時はハリセンじゃなくて、金属バットを振りかぶっているからな」

 「し、死んじゃうね」

 「くらったらな。だから毎朝命懸けだ。他にも様々なトラップが仕掛けられている場合があるんだ。ドアノブに触れると五万ボルトのスタンガンが作動する装置とか、知らずに足もとのスイッチを踏むと、天井から頭目掛けてボーリングの球が降って来たり――」


 篠と二人きりで学校へと向かっている。

 トイレの大渋滞が影響して、オヤジの仕事の準備がギリギリ間に合うか合わないかという瀬戸際らしく、霧姉はオヤジを手伝ってから学校に来るそうだ。


 「飲み物は何だった?」

 「野菜ジュースだよ。三つ用意してあって、一つだけタバスコ入りだって言われたの」

 「んでその一つを見事に引いちまったんだな」

 「もー、凄く辛かったよ」


 篠は舌をペロリと出してはにかんでいる。


 「それでさ、篠が『二刀乱舞』だという事は、学校では内緒にしておいた方が良いのか?」

 「うん。やっぱり恥ずかしいから」

 「でも選手権に出場した時にはバレちまうぞ? お面を装着して参加したとしても、部員が篠を合わせて五人しか居ねぇんだからよ」 

 「それでも……うん、やっぱりコッチでお願い」


 篠は小さな唇に人差し指を添えている。

 あんなにも凄いのだから、もっと堂々と胸を張っても良いと思うが、まぁ篠が黙っててくれと言うなら仕方がないか。



 樫高の制服に身を包んだ篠は、身嗜みもキチンと整えているのだがやっぱり幼く見える。

 制服を着ているのではなく、制服に着られている感じだ。

 前髪は少し短めで眉毛も形を整えている程度。

 今もスッピンで化粧が似合いそうな顔立ちではないが、その代わりと言っちゃなんだがキレイなたまご肌だ。

 髪は片側だけ耳に掛けられていて、赤く染まった形の良い耳が露わとなっている。

 百五十センチにも満たない身長で俺の歩幅に合わせているからなのか、歩き方もちょこまかとしている。

 なんだか篠の動きは小動物みたいだな。

 昨日カレーライスをガツガツ食べていた時も、一生懸命ヒマワリの種を頬張っているハムスターみたいだったし。


 篠は視線を斜め下方に固定したままなのだが、徐々に顔が赤くなって来ている気がする。

 フム、俺の歩くスピードが早いみたいだし、少し抑える必要がありそうだ。


 「……あの、水亀君」

 「何だ?」

 「……あの、どうかした?」

 「何が?」

 「……さささっきから、ず……ずっとコッチ見てるから」

 「ああゴメンゴメン。ちょっと篠の事……何でもねぇ」

 「……」


 こんなに幼くてお世辞にも目立つとは言えない少女が、ゾンビハントに出ればスタジアムを熱狂の渦に巻き込むんだもんな。


 ……ありゃ、篠が俯いたまま黙り込んでしまった。

 俺、なんか悪い事言ったか?

 観察していただけなのだが、言葉を濁したのがマズかったのかな。

 それとも本当は篠が二刀乱舞だと大々的にアピールした方が良かったのか?

 女子の考えている事なんて、俺にはさっぱり分かんねぇよ……。


 「と、ところでさ、今日はこの後一旦職員室に行くのか?」

 「……う、うん。そうだよ」

 「場所分かるか? 一緒に行った方がいいか?」

 「そ、そうだね。お願いしようかな」

 「篠は方向音痴だからな」

 「うぅ、ハッキリ言わないでよ」


 ジットリと睨んで来た篠の顔は、苺のように真っ赤に染まっていた。




 篠を職員室に送り届けてから教室に戻ると、いつも以上に騒がしい。

 如何やら転校生の噂が何処からか漏れ出したのだろう。

 いつも不思議に思うのだが、こういう噂って一体何処から漏れるのだろうな。

 既に転校生は女子だという情報まで出回っているみたいで、男子達は芸能人に例えて誰々似だったら――なんて話題で盛り上がっている。

 教室の一番後ろに、誰の物でもない机と椅子が配備されているので、篠がこのクラスにやって来るのはほぼ間違いないだろう。

 会話が苦手な篠だが……最初の挨拶はキチンと出来るのかな?




 ……全然出来なかった。

 自己紹介の時も俯いたままで、モゴモゴと口籠らせていた。

 期待を膨らませていた男子達は、篠を見るや否やあからさまに落胆の色を見せていたし、女子達からはクスクスと笑い声が聞こえて来た。


 少し様子を見ていたのだが、休み時間になっても誰も篠に話し掛けようとはしなかった。


 このままだと篠はクラスでちょっと浮いた存在になってしまいそうだ。

 前の学校では上手くやれていたのかもしれないのに、わざわざ樫野高校に転校して来てこの状況じゃ、流石に申し訳ねぇ。

 俺が何とかしなきゃいけねぇな。


 ガタン!


 俺の周りにはゾンビハントの事を聞いて来るクラスメイトが数人居たのだが、徐に席を立った。

 何事かというみんなの視線を集めたまま、教室最後列の篠の席までスタスタと直行する。


 「篠、何やってんだよー。ハッキリと挨拶しなきゃ駄目じゃないか」


 怒って話す感じではなく、子供を諭すようにやんわりと話し掛けた。


 「み、水亀君。……その、緊張しちゃって、あの――」

 「「「ねぇねぇ、どうしたのー?」」」


 そんな俺と篠のやり取りを見ていたクラスメイト達が、一人また一人とわらわらと集まって来た。


 「水亀君、彼女と知り合いなの?」

 「ああ。篠はおれと同じゾンビハンター部の一員だぞ」

 「ええー! ウソー!」

 「篠さん、ゾンビハンター部に入ったのー? すごーい!」

 「篠はちょっと恥ずかしがり屋で人見知りが激しいけど、話せばなかなか面白い奴なんだ」


 俺の言葉を皮切りに、次から次へと篠に質問が向けられた。

 篠は言葉に詰まってなかなか思うように返答が出来なかったのだが、そこは俺がすかさずフォローを入れていた。

 次の休み時間も同じように篠の所へ向かいみんなで話していると、徐々にではあるがクラスメイト達の質問に受け答えが出来るようになったのだ。


 「あー! セニョールのキーホルダーだ! セニョールはなかなか売っていないのよねー! 篠さんいいなぁ!」

 「偶然立ち寄ったお店に残っていた最後の一個をGETしました。やってやりました」


 篠は控えめなピースサインを披露している。

 ……何故かブサにゃんEXの話題だけは、ちゃんと受け答え出来るんだよなー。


 昨日、そして今朝と話してみて分かったのだが、篠はきっかけさえあれば普通に話が出来る面白い子だ。

 少しだけフォローを入れてやれば、後は俺が居なくても普通にクラスメイト達とも仲良くなって行けるだろう。


 「篠、さっき霧姉から連絡が来て、昼休みにゾンビハンター部の部室でミーティングがあるらしいから、昼飯はそこで一緒に食おうぜ!」

 「……うん。あ、ありがとう……水亀君」


 うん。良かった良かった。




 筈なのだが――


 「ス、ススススマン。俺、何か変な事言ったか? 教室の事は余計なお節介だったか? あわわ」


 ブルブルと首を横に振る篠は、ホロホロと涙を流している。 


 昼休みに部室の前まで来た所で、突然泣き出してしまったのだ。

 ぅぉぉ、何故だ? 全っ然分からん! 俺が悪いのか?

 山の天気とナントカは変わりやすいって言うアレなのか? ……いや、これは別の例えだったか。


 「頼むよ、泣き止んでくれよぉぉ……。こんなとこ霧姉に見られたら、今度は俺が泣かされちまうよ」

 「ひぐっ……ひぐっ……あ、ありがとう、水亀君」

 「何がだよぉ? 礼はいいから早く泣き止んでくれ、な? な?」


 霧姉が来ちまうじゃねぇか!

 コクコクと頷く篠は、未だグズグズと鼻を啜っている。

 ティッシュ、ティッシュペーパーだ。

 慌ててカバンからティッシュを取り出そうとすると――


 「なーにをやっとるんじゃ、貴様は」


 俺の背後には、氷のように冷たい視線を放つ鬼神きりねぇが立ち尽くしていた。

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