第127話 願い


 「ゥガァァア!」


 伊富貴ゾンビは満足気に雄叫びを上げていて、真っ白だった歯は血で赤く染まっている。

 ジュディーさんの左肩は着ていたTシャツ諸共、伊富貴ゾンビの歯型に抉り取られていて、流れ出る鮮血が白いシャツをじんわりと赤く染め始めたのだが、それでもジュディーさんはしがみついた両手を離さないで懸命に堪えている。


 首を斬り落とそうと構えていた篠だが、目の前に突然ジュディーさんの姿が現れてしまった事で攻撃に躊躇してしまったのか、それとも単純にゾンビの頭が狙えなかっただけなのかは分からないが、セイバーを振り抜かずにゾンビの脇を素通りしてしまった。

 しかし着地後すぐさま身を翻し、ゾンビに向かって突進し始めたので、攻撃を諦めたわけではなさそうだ。


 ジュディーさんが噛まれてしまった。

 見間違いでもなんでもねぇ。

 そして伊富貴ゾンビの左腕はある程度自由が効くようになってしまっているので、このままでは霧姉や篠の命も危ない。

 篠のセイバーもそろそろ水切れを起こしてしまう。


 作戦は失敗してしまった。


 全滅の二文字が脳裏に過り始めたその時、振り上げられていた伊富貴ゾンビの左腕が、突如ジュディーさんをぶら下げたまま太腿の辺りまでグイッと下げられた。


 ……足もとから蒸気が上がっている。何故だ?

 立ち込めている蒸気の隙間から、薄っすらと人影のようなものが見えた気がするんだけど……一体誰だ?


 「おい見ろ!! シャサールだ! シャサールが不意打ちをくらわせたんだよ! やるじゃないか!」


 シュネルスキーさんが興奮気味に教えてくれたのだが、確かに蒸気の隙間からベリーショートに整えられた栗色の髪が見え隠れしている。


 「シャサールの攻撃は防がれてしまったみたいだけど問題ない。ゾンビの腕をもう一度下げさせる事に成功したからな。ホラ、見てみろ!」


 立ち込めた蒸気が治まると、そこには傷を負いながらも懸命にゾンビの太腿へと両足を絡ませているジュディーさんの隣で、同じく力を振り絞っているエマさんの姿が現れた。

 なるほど、篠は接近するエマさんの姿を視界に捉えていたから、攻撃の手を止めなかったのだな。


 「!! ゥゥ……ゥガァァーー!」


 伊富貴ゾンビは必死にもがいているみたいだが、今度は全く身動きが取れないでいる。


 セイバーを逆手に構えた篠が、エマさんの背中を踏み台にして高く飛び上がった。


 「終わりです!」


 前方宙返りをしながら伊富貴ゾンビを大きく飛び越えてしまったのだが、その際に首は見事に跳ね飛ばされていて、首を斬り落とした傷口にはダメ押しとばかりに一本のセイバーが突き刺さっていた。

 ゾンビの傷口からは赤い血がドクドクと流れ出し、体を硬直させたまま背後へゆっくりと倒れ始める。

 霧姉達は下敷きにならないようにと、ロックしていた手足を慌てて解除してその場を飛び退いた。


 ズシンと音を立てて倒れたゾンビや、斬り飛ばされた伊富貴の頭からは、黒い靄がすっかりと消え去っている。

 見事にあのバケモノを始末出来たみたいだ。


 「……雄磨君、終わりましたか?」

 「ああ。ゾンビは死んだよ――って言うのはおかしいのか。もう動かねぇよ」

 「よぉーし、やったー! 俺達も急いで向かおう!」


 シュネルスキーさんが瓦礫の陰から飛び出したのを皮切りに、瑠城さんや泉さんも霧姉達の所へ駆け出した。



 確かにゾンビは倒した。

 そして止めを刺したのも篠だし、ポイントでも俺達樫野高校の優勝は間違いないだろう。

 うちの工場は倒産の危機を免れたわけだし、二度とゾンビハントに関わらなくて済むのだと思うと清々する。


 ……それなのにちっとも喜べないのは、やっぱりジュディーさんが噛まれてしまったからだ。

 この後の事を考えると気が重い……重過ぎる。



 「待ってくれ鏡ちゃん!」

 「いいえ待ちません。霧奈お姉さん、そこを退いて下さい!」


 霧姉達の所に向かっていると、珍しく篠が声を荒げ始めた。

 霧姉にセイバーを向けているのだが、霧姉の背後には……ジュディーさんが放心状態で立ち尽くしている。


 そういう事か。


 「誰かが噛まれてしまったらどうするんですか! 水亀君が噛まれてしまってもいいんですか!」

 「お願いだから待ってくれ! せめて最後くらい、ジュディーの願いを聞き入れてやりたいのだ! 頼むよ!」


 篠は今にもジュディーさんに飛び掛かってしまいそうだ。

 霧姉が言っているジュディーさんの最後の願いというのは、恐らく俺が止めを刺すという事だろう。


 「雄磨君、急いだ方が良さそうです」

 「……そうだな」


 俺はハッキリ言って止めを刺したくない。

 ジュディーさんの笑顔が二度と見られなくなるとか、別れが辛いとかそんな理由じゃない。

 単純に自分の手を汚したくないだけで、友人をこの手で始末するのが怖いだけだ。

 ジュディーさんから預かったこのハンドガン。

 一体どんな顔してこのトリガーを引けって言うんだよ。 


 サヨナラなんて絶対に言えやしない。

 俺は……臆病者だ。


 

 言い争っている二人のもとへと辿り着くと、篠は俺を守るようにして前に立ち、セイバーを構えている。

 そして霧姉はジュディーさんの背後へと向かい、いつでも取り押えられるようにと身構えている。


 暫くすると虚ろだったジュディーさんの瞳に若干の光が戻り、ゆっくりと俺に向かって歩き始めた。


 「そこで止まって下さい」

 「いや、いいんだ。ありがとう二刀乱舞さん」 


 篠の肩に手を掛けお礼を言い、俺の方からも一歩前に歩み寄った。


 「……しょうばいじょうずサン、すこしユウマとおはなしがしたいので、わたしのことを、うしろからはがいじめにしてくだサイ」

 「いいのか?」

 「はい。ユウマにおそいかかってしまっては、たいへんデスから」

 「分かった。じゃあ――」


 霧姉はジュディーさんの脇から腕を通し、しっかりと両腕を固定した。

 こんな形でしか対話出来ねぇってのも、おかしなモンだな。


 「ユウマ、ごめんなサイ。しっぱいしてしまいまシタ。めいわくをかけてしまいまシタね」

 「……いや、ジュディーさんが頑張ってくれたおかげで、俺達は無事に帰還出来るんだ。お礼を言わせてくれ、本当にありがとう」


 ジュディーさんは青い瞳で真っ直ぐに俺の事を見つめている。


 「わたしとのやくそくはおぼえていますか?」

 「約束? 俺がジュディーさんから預かったこのウォーターウェポンで、止めを刺すんだよな?」

 「それももちろんおねがいしたいのデスが、それよりももっとまえに、だいじなやくそくをしていまシタよね?」


 もっと前? ……ジュディーさんと約束なんて交わしていたか?


 「……もう。わたしがせんしゅけんでゆうしょうすれば、わたしとユウマでパートナーになりましょうって、やくそくしまシタよね?」 

 「あ……ああ、そうか。そういやそんな約束したような、していないような――」


 そんな話、すっかりと忘れていたぞ。


 「そのやくそくにはつづきがありまシタよね? ユウマたちがせんしゅけんでゆうしょうすれば、にとうらんぶサンとパートナーをくむ、と」

 「待った。それはジュディーさん達が勝手にした約束じゃねぇか。俺はこの選手権が終われば、試合に出るつもりは――」

 「もったいないデス! ユウマはこのせんしゅけんで、ほかのだれよりもかがやいていまシタ! しょうらい、まちがいなくトップハンターになれマスよ!」

 「いや、そんな事言われても――」

 「おねがいしマス、ユウマ。トップハンターになるという、わたしのゆめはかないまセンでした。どうかわたしのかわりに、ユウマが……トップになってくだサイ」


 いつしかジュディーさんの青い瞳には、キラキラと輝く大粒の涙が溢れていた。

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