第96話 一人の大冒険
今居る場所から学校側に向かって、数十メートル進んだ山沿いの民家。
ここへ向かう為には民家に挟まれた極めて細い道を進むしかなく、ゾンビと遭遇する事を考えれば最悪の立地条件だ。
しかしこの民家よりも更に遠くの場所へと行動範囲を広げるのは、手強そうなゾンビと接触してしまう恐れがあるので無理だ。
ど、どうしよう。
ここしかねぇのに、この民家にも行きたくねぇ。
二体共に普通のゾンビで、一向に動く気配はない。
今のところ周囲にもゾンビの気配はない。
しかし学校側からじわりじわりと極端にゆっくりではあるけど、こちらに向かって来ているゾンビが一体居る。
まだまだ十分に距離はあるけど、コイツの存在が非常に厄介だな。
俺の気配か匂いを感じ取っているのか、偶然こちらに向かって来ているのかは不明だ。
民家に居る二体のゾンビの動きを、黒い靄の動きで慎重に見極めながら素早く行動すれば、何とかなるだろうか。
一度どんな場所か見学しに行ってみるか? とりあえず見るだけ……見るだけなら出来そう、かな?
少し歩いて移動すると、すぐに問題の民家が視界に入った。
一度漁業センターに引き返して瑠城さんと二人で来た方がいいのだろうけど、俺が移動している最中に、じわじわと移動しているゾンビがこちらに来るかもしれねぇ。
ああぁぁどうしよう、ホントどうしよう!
よし、決めた。俺も男だ!
……二体のゾンビにほんの少しでも反応があった時点で、猛ダッシュで逃げてやる。
まずは退路の確認をしておこう。素早くしねぇと。
裏口の確認は無理だ。
両隣の民家が密接していて人が通れる隙間がないので、通りをぐるっと大回りして来ないと裏口に回れねぇ。
俺から見て手前側のお隣さんは、背の低い一階建ての古民家だ。
逃げ道は玄関……もしくは二階の窓から出て、この古民家の屋根に移るか。
その屋根から今俺が立っている細い道にジャンプすれば、何とか逃げられるだろう。
後は全力で漁業センターに逃げ込んで、瑠城さんと二人掛かりで倒せばいい。
二対二なら普通のゾンビ相手なら戦える……だろう。
……って、こんなアクションスターみたいな計画、俺に実行出来るのか?
脳内に『無理』の二文字が即座に浮かんで来たので、隠密行動で終わらせるしか方法はなさそうだ。
ターゲットの民家の玄関にピタリと張り付く。
一階のゾンビは一番奥の部屋からピクリとも動かない。
二階のゾンビは……今、俺の真上に居る。バルコニーも何もない窓際でボーっと突っ立っていた。
見つかるかも? と警戒しながら玄関まで来たけど、未だ気付かれていない様子で、黒い靄にも全然変化はない。
ホントに行くのか? 達人の篠でも躊躇う民家でのゾンビとの接触……だぞ?
……腹括るか。括るしかねぇ!
震える手でセイバーを握り締め、左手で玄関の引き戸をそろりと開ける。
ほんの少しの音も立てないように、慎重に……慎重に。
玄関から逃げる時につまずかないように、放置されている靴を端に寄せて、引き戸は開けたままにしておく。
黒い靄の動きを注視しながら、土足のまま家に上がる。
ミシッ
微かに床が鳴る度に、心臓がバクバクと動きを加速させる。
まだ二、三歩しか進んでねぇのに、もうワキも背中も汗びっしょりだ。
そして、臭い。マジくっせぇんだよ!
奥の部屋から鼻がどうにかなりそうな程の腐乱臭が漂って来る。
ゾンビを設置してから長時間放置されていると、臭いが籠るみたいだな。
……なるほど、他の参加者達は民家に進入する場合、この臭いがするかどうかで危険を見極めているんだな。
臭いが籠っていない場合もあるのかもしれねぇけど、この腐乱臭がする民家には立ち入らねぇようにしているのだろう。
工具類が置いてあるのは二階だが、まずは一階のゾンビの様子を窺ってからにする。
出来る事なら二階のゾンビに気付かれずに、先に一階のゾンビだけを始末しておきたい……。
階段で二階に上がってから一階のゾンビに気付かれてしまったら、逃げ道を塞がれてしまうからだ。
息を殺して茶の間の様子を窺ってみると、体が斜めに傾いたオッサンゾンビが、声も出さずにテレビに向かって突っ立っていた。
背格好でオッサンゾンビと判断したのだが、もしかしたらオバチャンゾンビかも……って、そんな事今はどうでもいいか。
俺に背を向けているゾンビまでおよそ五メートルっていう、とんでもなく近い距離だ。
セイバーを握る手にギュッと力が籠り膝がガタガタ震える。
ここからサッと飛び出して、三歩進んでセイバーを脳天に振り下ろせば終わるんだ!
たったそれだけの事だ!
や、
それにオッサンゾンビは今、テレビに向かっているけど、ここから飛び出したら真っ黒な画面に俺の姿が映り込むかもしれねぇし。
……そうやって、幾つかの出来ない理由を並べ立てて、ゆっくりとその場を後退する。
そうだよ怖いんだよ、ビビってるんだよ! ホント情けねぇけど一人でゾンビを倒すなんて無理だ!
しかしここまで来て手ぶらで帰るという選択肢はない。
ゆっくりと階段へ向かっても……二体とも動きはない。大丈夫だ。気付かれていない。
少し急な階段は、俺への嫌がらせのようにミシミシと音を立てやがる。
一歩登る度に寿命が縮まる思いだ。
階段上がってすぐ、八畳程の空間が施工現場で、二階のゾンビはこの施工現場の奥のドアを開けた先に居る。
全神経を集中させて二体のゾンビの動きを探りつつ、ハンマーやドライバー、ノコギリやバールなんかが入った手提げ鞄をそろりと持ち上げると――
ガチャ……
鞄の中で金属同士がぶつかり合う、少し大きめの音が鳴ってしまった。
右手にセイバー、左手に鞄を持った中腰の状態で、俺の動きは固まっている。
い、生きた心地がしねぇ……。気付くな……頼むから気付くなよ……。
……お゛いぃ、気付くなよぉー。
奥のドアを開けた先に居るゾンビに動きは見られないけど、階下のゾンビがモソモソと動き始めた反応が見えて泣きそうになる。
金属の音に反応したのか?
動いてはいるけど、今は茶の間をウロウロしているだけで、真っ直ぐに二階に向かって来ているわけではない。
……よ、よし。急いで今の内にやれる事をやっておこう。
せっかく鞄を手に入れたので、この鞄に幾つかの工具を入れて持って帰りたい。
大型の電動ノコギリやエアーコンプレッサーは無理だ。鞄に入らねぇ。
延長コードにつながっている充電式ドライバー、何でもぶった切れるグラインダーカッターを、今度は音を立てないよう、ナマケモノが動くくらいののっそりとしたスピードで鞄に入れた。
その間も茶の間に居たゾンビはウロウロしていて、今は玄関と茶の間を行ったり来たりしている。
外に出るならさっさと出て行けと願っていても、民家から出て行く気配はない。
もしかして俺を待ち伏せしている……のか? マジふざけんなよ、くそ! 何なんだよコイツ!
偶然か? ナチュラルゾンビなのに、知能が備わっているのか?
詳細は不明だが、今の状態で一階へ向かうのは危険過ぎるので、俺の退路は二階の窓しかなくなってしまった。
隣の古民家の屋根に移れる窓は奥のドアを開けた先、ゾンビが居る部屋にしかない。
今度はゾンビとの対決を避けられそうにない……。
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