第63話

「……ん? おーい葉月、もう就寝時間とっくに過ぎてるぞ。そんなところで何してるんだ?」

「あっ……? えっと、その……」


 背後から呼び掛けられて、振り返ってみるとぼんやりと暗がりの中に同じ寮生のクラスメイト、紺藤さつきの姿を確かめた私は、少ししどろもどろになって言葉を濁す。

 別にここで、後ろめたいことをしているわけじゃない。……ただ、今はあまり人と顔を合わせたくなかったのも事実だった。


「お風呂上がりで、身体が火照ってるから……少し冷ましてから戻るつもりよ。そっちこそ、こんな時間にどうしたの?」

「いやー、寝る前に喉が渇いたなーって部屋に備え付けの冷蔵庫を開けたら、うっかり飲み物を補充しておくのを忘れちゃっててさ。……おっ、新商品が入ってるな。こいつにしようっと」


 そう言ってさつきは一階フロアの階段横にある自動販売機にスマホを当て、お目当てのスポーツドリンクのボタンを押す。静まり返った中にがこんっ、とペットボトルが取り出し口に転がり落ちる音が響き、手に取ったそれのふたを回して開けると、彼女はごくごくと半分ほど一気に飲み干した。


「はーっ、生き返った~。……そんじゃ、私は部屋に戻るから。葉月もあんまりそこに長居して、風邪ひいたりするなよ」

「……ええ、気をつけるわ」


 ひらひらと背中越しに手を振るさつきを立ち去るまで見送ってから、私はふぅ、とため息をつく。そして一目のつきそうな食堂横のフリースペースから玄関ロビーへと足を向けて移動した。

 聖チェリーヌ学院寮の玄関ロビーの脇には、接客用の小さな応接スペースがある。基本的に部外者の寮内立入りは禁止だから、寮生はそこを親族や友人たちと面会し、談笑する憩いの場として利用していた。

 ……ただ、今は深夜の11時なので人の気配はどこにもない。照明も保安灯を残すのみでほぼ真っ暗な中、手元にあるスマホの液晶画面からもれる光が、ガラスの窓に映る私の姿を妖しく浮かび上がらせていた。


「やっぱり、まだ返事が来てない……」


ソファに座る気分にもなれず、私は背もたれに手をかけながらメッセージの返信を確認する。……でも、スマホに表示されたアプリ画面に「あの子たち」からの直近のものはまだない。じっとしていると苛立ちと焦りばかりが大きくなりそうなので、私ははやる気持ちを抑えながらもう一度送ってみよう、と思い立って送信の入力ウィンドウを立ち上げた。

するとその時、外から少し荒っぽいブレーキの響きが私の耳元に届いてくる。そして続けざまに車のドアをばたんっ、と乱暴に閉める音を聞いた私は、はっ、と弾かれたような勢いで顔をあげると玄関口に向かって駆け出した。


「遥っ! 葵お姉さま……!」


 強化ガラス製の自動ドアが開いた瞬間、防犯の目的も兼ねて付近の明かりが点灯する。そして中に入ってきた二人――遥と葵お姉さまの姿をはっきりと私の視界の中に映し出してくれた。


「クルミちゃんっ!」

「ごめん、遥……! 葵お姉さまも申し訳ありません、こんな夜分に――」

「挨拶は後にしましょう。それよりも、状況をもう一度聞かせてください」

「は……はいっ」


 葵お姉さまの落ち着いた声に諭されて、私は我に返った気分で頷く。

 改めて見ると、二人とも部屋着に上着だけを羽織った姿だ。遥に至ってはトレードマークのリボンすらもつけず、長い髪を肩まで流している。

 おそらく就寝する直前にもかかわらず、身の回りを取り繕う時間も惜しんで駆けつけてくれたのだろう。その優しい想いに応えなければ、と思い直した私は気合づけに自分の頬をぴしゃり、と叩き、素早く頭の中で情報を整理して説明を切り出していった。


「今日の放課後、いつものように学院祭の準備を進めて……すみれが帰った後になって、私たちは資料の一部が古いVer.のものが紛れ込んでいることに気づきましたよね? それで私が、同じ寮住まいだから遥に代わって彼女に渡す、ということでこの寮に戻った直後、彼女の部屋を訪問したのですが……」

「……部屋に行っても、すみれちゃんは不在だった。それにめぐるちゃんも……それって、何時くらいの話なの?」

「夕食前だから、午後6時くらいよ。その時はめぐると一緒に買い物でもしてるのかな、って考えてたんだけど、この時間まで戻ってないのはおかしすぎるわ。それに……!」


 私はスマホを立ち上げて、二人に表示された画面を見せる。通話記録はずっと履歴が不在に加えて、メッセージアプリは午後5時頃を境に既読フラグすら立っていない有様だった。


「ひょっとしたらスマホを紛失した可能性もあるかと思って、すみれとめぐる、両方に連絡をしてみたんだけど……やっぱり出ないのよ、どっちも! 機械の操作に疎いめぐるならともかく、あれだけ几帳面なすみれが全く音沙汰無しなんて、さすがにおかしいでしょ!?」

「……確かに、何かあったと考えるほうがよさそうだね」

「すぐ調査に取り掛かりましょう。神無月グループの総力を挙げてお二人に何があったのか、そして何者の関与が存在するのかを一刻も早く確かめなくては。……爺や」


 葵お姉さまが静かに、だけど凛と響く声でその名を呼ぶと、白髪の老執事が天井から姿を見せて音もなく床に降り立つ。

 神無月家に長く仕える、長月平之丞だ。彼は恭しく膝をついてかしこまりながら、隻眼に鋭い光を宿らせた顔を葵お姉さまに向けていった。


「……お呼びですか、葵お嬢さま」

「緊急事態です。お祖母さまに代わって次期当主、神無月葵がD.C.(ダイレクト・コード)を発動します。全世界の監視・観測ツールを神無月財閥のメイン・サーバーに接続し、天月めぐるさん、如月すみれさんの動向と消息に関する情報を収集・解析を行うようスタッフに申し伝えてください」

「はっ、仰せのままに――」


 そう答えて平之丞は顔を伏せるや、瞬時にその姿を消す。それを見届けてから葵お姉さまは私に振り返り、険しい表情を解いて優しい笑顔で頷いていった。


「大丈夫ですよ、クルミさん。お二人のことは、私にお任せください」

「葵お姉さま……今のご命令は、いったい……?」

「神無月家にある、えっと……「ちょーほー」ネットワークなんだって。これさえ使えば、全世界のどこにいてもすぐに探し物や人を発見することができる「ちょーほーきてき?」な手段なんだよ~」

「……よくわかんないなら、無理に説明しなくてもいいわよ」


 やや呆れた思いを抱きながら、私は遥の説明になっていない説明を聞いてため息をつく。

 ……要するに、神無月財閥の権力と財力によって全世界のありとあらゆる人的・物的リソースを限定的に支配下へとおさめる超法規的措置というわけか。つくづく出鱈目なまでの力を持った一族の血を引く方々なのだなと、私は改めて神無月家の凄さを思い知らされた。


「(……あれ? でもだったら、どうして……?)」


 同時に私は、めぐるとすみれの行方を捜すために葵お姉さまが文字通りに手を尽くしてくれることを知って、ふと疑念を抱いてしまう。

 これだけ強大な力を持ちながら、どうして現当主――神無月咲枝さんはブレイクメダルの開発を行っていた研究所で遥と葵が拉致された時に、その命令を出さかったのだろうか。

以前に葵お姉さまだけが姿を消し、『ワールド・ライブラリ』に波動エネルギーの人柱として召喚された際は皆の記憶が消されてしまっていたから、という理由があったけど……このD.C.を発動すれば、あのメアリによってカーボンフリーズ化されて虜囚の身にあった二人の居場所を探し出し、あまつさえ救出することもできたはずだ。

それなのに、なぜ……?


「……クルミさん」


 すると、そんなことを考えている私の様子が伝わったのか……葵お姉さまはそっとのぞき込むように小首をかしげながら、苦笑交じりに問いかけてきた。


「なぜ、以前私たちが捕まった時にお祖母さまたちがこの命令を出さなかったのか――今、そんなことを考えていたのではありませんか?」

「えっ? いえ、その……はい」


 この人にごまかしは通用しないし、それに嘘もつきたくない。慌てふためきながらもそう思った私が素直にうなずくと、葵お姉さまは隣に立つ遥にちらっ、と目配せを送ってから、言葉をつないでいった。


「私たちが敵の手に落ちたという事実が広まれば、この日本国内だけでなく総本山であるキャピタル・ノアに潜伏する闇の一族の残党にも強い影響を及ぼします。まだ『聖杯戦争』の混乱が収束していない中、騒ぎが拡大することを懸念して秘密裏に解決するという狙いもおそらくあったのでしょう。……それに」

「それに……?」

「このD.C.は、遥さんが言ったとおりに絶大な情報収集能力を持つものですが……発動は「緊急事態」にのみ許されるという、超法規的かつ最終的な手段です。もしも使わなければ国家、さらには世界が滅ぶ……それほどの危機的な事態に瀕した時にこそ、効果を発揮するもの。「ただの個人」でしかない私たちを救うことに用いることをよしとしなかったお祖母さまのご判断は、正しかったと思います」

「えっ……!?」


 淡々と語られるその台詞の中に含まれた不穏な要素を聞き取って、私は目をむいて息をのむ。遥や、葵お姉さま自身のことを「ただの個人」と突き放す言い方も釈然としなかったけど……D.C.がそれほどの『伝家の宝刀』だったとは、さすがに思いもしなかったからだ。


「つまりD.C.とは、国家と世界の危機に使われる最終手段……? めぐるとすみれの行方を捜すことに、そこまでの重要性があるということですか!?」

「その通りです。特に、天月めぐるさん……彼女の秘めたる素質には、この世界を構築する要素の意味や意義を一変させるほどの超常の力があります。お祖母さまや伯母さまが、最後まで『天ノ遣』――ツインエンジェルとしての資格を彼女に与えることを躊躇していたのも、それが大きな理由と聞きました」

「なっ……!?」


 思いもしなかった真相を聞かされて、私は二の句も告げずその場で固まる。

 ……遥と葵お姉さまが謎の組織の手に落ちてさらわれた時、私はとにかく、メダルの能力を最大限に引き出す『聖杯の資格者』を探すことで必死だった。だから、すみれやめぐるがその能力を満たしていると事前に知りながらも、積極的に関与せず経緯を見守ろうとする咲枝さんや美佐枝さんの方針に納得できなくて……その姿勢には違和感というか、薄情に感じたこともあった。

 でも、……実際は、そうじゃなかった……?


「私は、咲枝さんたちが……遥や葵お姉さまの後を継ぐ資格者の候補としてめぐるをわざわざ離島から呼びよせたのに、何も試さないでいることを不思議に思っていました。つまりそれって、あの子の資質を見極めるためだったのですか……?」

「……チイチ島から帰還した後、お祖母さまには謝罪をされてしまいました。結果的に私と遥さんを見殺しにするかたちになって、申し訳なかった、と」

「…………」

「……ただ、私はそれについて不満などを感じるよりも、むしろ強い疑問を抱いたのです。あのお優しくて聡明なお祖母さまが、身内の人間を危機にさらしてもなお決断をためらうほどの力が、めぐるさんやすみれさんにあるのか……。そして私たちは、お二人には絶対に話さないという約束とともに、その力の真実を教えていただきました――」


 そこで葵お姉さまは言葉を切り、真正面から私のことを見据えてくる。いつの間にかその口元からは笑みが消え、つぶらで黒真珠のような瞳には私を射すくめるかと思うほどの鋭い光が宿っていた。


「……っ……!」


 おそらく葵お姉さまは、この続きを聞く覚悟があるのか……それを私に問いかけているのだろう。優しいこの人がここまで険しい表情をすることの意味を感じて思わず、私は視線を動かして隣に立つ遥に目を向けた。


「……クルミちゃん」


 対して遥は固いながらも微笑みをにじませた表情で、私にそっと小さく頷く。

 ここで真実を知らないままでも大丈夫、と私を気遣う意図が伝わってきて、その優しさを心からありがたく受け止める。……それでも、二人がここまで心を励まさなければならないほどの秘密を知らないまま蚊帳の外に置かれているなんて、私には耐えられなかった。

 たとえ、この二人ほどの力や強い心を持つことができなくても……同じくらいの使命感と、そこにのしかかる苦しみや悩みだけでも共有しておきたい。そんな思いを固めた私は、再び葵お姉さまに顔を戻し、こくり、と頷いてみせた。


「……教えてください、葵お姉さま。あの子たちは……「あの子」は、いったい何なんですか?」

「――――」


 その言葉を受けて葵お姉さまは、やはり、と言いたげに口をつぐんで瞑目する。そして軽く息をついて呼吸を整えてから、ゆっくりとその言葉を紡ぎ出していった。


「……天月めぐるさんは、神魔戦争における私たち『天ノ遣』の切り札的な存在なのです。あえて非人道的な言い方がこの場合に許されるのでしたら、……『決戦兵器』という表現が近いでしょうか」

「なっ……!?」

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