第二章

第13話

 めぐるを救うために、魔界へ行く……!

 そう意気込んで覚悟を決め、アインが開いた空間の裂け目へと飛び込んだ瞬間――私たちに襲いかかってきたのは、巨大な手で張り飛ばされるような衝撃だった。


『なっ――、うわぁぁっ!?』

「っ、ぅぐっ……ぅ……!?」


 完全に不意をつかれたことで身構えることもできず、手をつないでいた私たちはもつれ合う格好で大きく横へ吹き飛ばされてしまう。すぐさまアインが身を挺する格好で体勢を立て直してくれたものの、右に、左に……そして上下に激しく全身が揺さぶられて、息をつくことすらおぼつかない。

 病院からこの異空間に入る直前まで、追手を懸命に振り切ってきた逃避行。私としては持てるだけの蛮勇をふるい、決死の思いでそれを達成した――つもりだった。

 ……だけど思い返すと、そんな行動が生易しくすら感じられる。それほど今の私たちは過酷で、苛烈な状況にあることを自覚せずにはいられなかった。


「っ、な、なによこれ……っ!?」

『……次元嵐だ! こんなに荒れまくったやつは、っ……ボクも、初めてだよっ……!』


 その言葉のとおり、曇天の夜空のように形容しがたい虚無の空間の中を強烈な乱気流が吹き荒れて、私たちの行く手を阻んでいる。

 もはや目的地に向かって進んでいるのか、それとも逆に遠ざかっているのか……目印や道標になりそうなものが何もないこの空間では、感覚として持つことも不可能だった。


『くっ、そぅ……!』


 歯を食いしばって苦悶の表情を浮かべながら、アインは懸命に姿勢を制御しようと飛行に集中している。

 まるで台風の中に放り込まれた、小鳥のような気分。今や、私の唯一の命綱はアインとつないだ左手だけだ。

 この嵐の中では気を抜くと、本当に腕どころか身を引き裂かれたっておかしくはない。そして、その油断はすなわち全ての終わりを意味すると理解して、……思わずぶるっ、と震えが走った。


「(どこなの……ここは……!?)」


 わからない……というか、わかるわけがない。文字通りここは異世界であり、何の予備知識もない私には何がどうなのかも想像すらできない空間だ。

 だから私は、彼女の集中の邪魔になるとわかっていても、聞かずにはいられなかった。


「っ、アイン! こ……こんなところを、あなたは通ってきたの!?」

『ち、違うよ! エリュシオンからイデアに来た時は、こんな感じじゃなかった!』

「こんな感じじゃない……? だったら、どうしてこんな――」

『いいから少し黙っててくれ! こっちも必死なんだっ!』

「……っ……!」


 恨み言を抱くのは筋違いだとわかっているけど、アインが返してきたその言葉に思わず私は話が違う、と内心で毒づきそうになる。とはいえ、思念としての言葉の中に聞き取れない言語の悲鳴がまじって聞こえ……それが彼女の余裕のなさを表してもいたので、それ以上は何も言えず口をつぐむしかなかった。


『もっと、ちゃんとした道だったのに……いったい、なにが……!?』


 困惑と混乱の中、アインは進路を切り開こうとあがき続ける。だけど、そんな彼女の奮闘をまるであざ笑うかのように突風はまったく鎮まる気配を見せず、それどころか強くなる一方……!


「せめて、どこかに身を隠せないの?」

『んなこと、できるならやってるよっ! っていうか、エリュシオンへの入口がどこにも――、!?』


 と、その時だった。突然横殴りのような気流が襲いかかり、たまらずにアインは体勢を崩す。そのあおりを受けてつないでいた手と手がするりと離れ、……支えを失った私は、暴風の渦の中へと投げ出されてしまった。


『っ? しまっ――すみれっ!?』

「きゃぁぁあぁぁ……っ!?」


 浮遊感とも、落下する感覚とも違う……そう、まるで水の中に飲み込まれるような没入感。あっという間に、アインの姿が遠ざかっていく。


「ぐっ……ぅぅっ……!!」


 このまま彼女を見失ったら、この空間から出るすべを失ってしまう。……私は戦慄で硬直しかけた意識を奮い立たせ、とっさにコンパクトとメダルを手に取る。そしてほとんど反射的にセットすると、変身のシーケンスを発動すべく全身の感覚を集中させた。


「(……できるの、ここで……!?)」


 ここは異空間、私たちの世界じゃない。聖杯の力――波動エネルギーが作動するという保証はどこにもない。

 だけど、他に方法がない以上……今は、賭けるしかなかった!


「ジュエリー☆えんじぇる!」


 光が私の身体を包み……一瞬遅れて、ばらばらになりそうだった四肢に力がみなぎっていく。そして――。


「……っ、あ……?」


 四方からは相変わらず乱気流が激しく襲いかかり、私を飲み込もうとさかんに巻き付いてくる。……それでも、スーツの周囲を包む波動の障壁は私の身体を守り、辛うじて呼吸だけを可能にしてくれていた。


「変身、できた……?」


 思考の余裕ができたことで、脳裏に小さな疑問が浮かんでくる。

 少し前にみるくちゃんは変身する時、波動エネルギーが必要だと言っていた。そして、コンパクトにセットするメダルは増幅器であって、エネルギーの発生源そのものではない、と。

 つまり、このメダルは1を100にするための装置であり、はじまりの「1」を作り出すことはできない。……にもかかわらず変身できたということは、ここにはその「1」となる波動エネルギーが存在するということなんだろうか……?


「それって、つまり……」

『うわぁああっ!!』


 だけどそんな思案の巡りは、アインの叫び声によって強制的に中断させられる。そして視線を向けると、竜巻に巻き込まれた木の葉のように制御を失って闇の中へと飲み込まれていく彼女の姿が目に映った。


「アインっ!」

『………っ!』


 もはや手の届かないところにまで引き離されたアインから、思念が全く伝わってこなくなった。それどころか、その飛び方には意思が感じられずただ、激流に翻弄されるままだ……。


「(気を失っている……!?)」


 そう感じた私は、意識を集中させて宙を舞い、そのまま勢いをつけてアインのもとへと翔けつける。

 なぜ飛べる……いや、そもそもこれは飛んでいると言ってもいいんだろうか? そんな疑問が脳裏をよぎらないでもなかったが……今はそれよりも確実にやるべきことがあり、それを果たすために私は全力を振り絞っていった。


「しっかりして、アイン! 返事をしてっ!」


 懸命に呼びかけるが、それは激流の渦によってかき消されてしまう。


「(このまま、留まっていても埒があかない……!)」


 私は周囲に視線を走らせて、即座に次の行動を選択する。

 ここは何も無い空間……足場なんて期待できるわけもないが、幸いにして風がある。となると「流れ」と「壁」は作れるはず……!


「……『サファイア・ブルーム』っ!」


 そう叫んで私は、サファイアの扇を呼び出す。そして、本来は遠距離の敵を攻撃するためのそれを大きく振るい、自身の周りに風を巻き起こした。


「待ってて、アイン……っ!」


 生み出した突風は周囲の気流とぶつかり、交ざり合うことで翼となって私の身体を前へ、前へと進ませる。そして立ち塞がる空気の壁をかわし、あるいは利用して私はアインとの距離を詰めていった。


「アイン……目を開けて! アインっ!」

『…………』


 闇の中へ吸い込まれようとしているアインに向かって、私は力の限り手を伸ばし続ける。だけど、近づいたかと思ったら遠ざかって、左かと思えば右……とらえきれない状況に、苛立ちと焦りが募っていく。

 ニアミスとエラーの繰り返しに、徐々に削り取られる集中力……それでも私は、喉がかれるかと思うほどに声を張り上げ、ひたすら呼びかけていった。


「確かめたいことがあるんでしょう!? 会わなくちゃいけない人がいるんでしょう!? だったら、目を覚まして!」

『…………』

「アイン!」


 声が届いているのかいないのか、アインからの反応は何も戻ってこない。それでも私は、やっとあとわずかに近づいたその手をつかもうとして――。


「(……あ、れ?)」


 きらり、と世界に光が差して……私の目の前に、違う光景が広がる。

 声は届かない。腕も届かない。

 だけどそれ以上に……なぜか、息苦しい……?


「(……な、なに……? ここは……?)」


 全身の動きが、急激に重くなる。浮遊感とともに手足が縛られるような感覚と、無数にわき立つ水の泡……。

 そうか。……ここは、水の中。そして、私が伸ばしているこの腕は自分のそれよりも、ずっと短い。

 それを悟って私は、……今見ている景色が、子供の頃のもの……幼い頃の記憶だと理解することができた。


「(思い出した……あの時、私は――)」


 × × × ×


 闇の中……いや、水の底へと吸い込まれているのはアインではなかった。


「(あれは……っ……!?)」


 そう……私とあまり年の変わらない女の子。眩しいほどに笑顔が明るくて、こっちまで笑みがこぼれてしまうような不思議な魅力を持っていた。

 初めて出会ったのは、明るく日の光が差し込む、緑と磯の香りで満ちた場所……自然に囲まれたそこは、都会で育った私にとって新鮮で――。

 だけど来たばかりの私は、それが全く視界に映らないくらいに緊張してしまっていた。


『……。うまくいかなかったら、どうしよう……』


 ここに来た理由は、一応聞かされていた。……だけど、そこに自分の意思はない。ただお母様の言葉に従って、導かれるままについてきただけで……。


『しっかり、おつとめを果たすのですよ』

『……はい』


お母様の言葉にも、素直に頷いた。そうするしか、わたしには許されてなかったからだ。

自信や意気込みなどは、当たり前だけど何もない。あるのは不安と戸惑い、そして己に課せられたものに対する嫌悪感で――。

そのせいか、結局私はそこで何をしたのか……今でもはっきりと思い出せないでいる。それでも、わずかながらも記憶として鮮明に残っているのは、……出会ったその子が私に向かっておずおずと切り出した言葉と、差し出された小さな手だった。


『……友達に、なってくれる?』


 ……確か、そんなことを言っていたような気がする。だから私は、彼女に誘われるままその手を取って、「うん」と笑顔で頷いたんだ。

 すごく……嬉しかった。ここに来た時の緊張と後悔が、一気に消え去ったかと感じられるほどに素敵な瞬間だった。


「(あんなに楽しかったのに、なんで忘れて……、っ?)」


 その疑問は、次の映像を見た瞬間に氷解した。

 ……そうだ。

 私たちは、森の奥にあった泉のそばで初めて出会い……なにか、不思議な力で引かれるように心を通わせて、仲良く手を取り合った。

 すると、その瞬間鏡のように静かだった水面が突然乱れ、……巨大な渦がまるで竜巻のように立ち上ったかと思うと、私たち二人をあっという間に飲み込んで――。


「(っ、……そして、あの時……!)」


 はっ、と息をのむ。

 私は、渦の中にある「それ」を見て、……戦慄したんだ。

 青く透き通った湖の底から現れた、巨大な黒い塊のような何か――生きているかのように脈動する不気味な存在が、彼女の身体を自分の中へ取り込もうとしていて……!


 その後、私は……記憶を封印した。

 ……恐怖? いや、そうじゃない。誰にも話してはいけないと、幼心に感じたからだ。

 もし、このことを大人たちに話すと、大変なことになる、と……。


「(あれは……いったいなんだったの?)」


 その姿を思い出した今となっても、正体はわからない。だけどあの黒々とした存在感は、少しだけ……ほんの少しだけ、今私たちを取り囲んでいる闇に似ているような――。


 × × × ×


「っ!?」


 はっ、と景色が水中から暗黒へと姿を変える。そして記憶の世界から、現実へと戻ってきたことを理解した。


「(そうだ……私は、アインを助けないと……!)」


 思い出した記憶は、くすぶった炎のように私の胸の奥をきゅっ、とまだ締めつけてくる。……でも今、自分が成さなければいけないのはそれじゃなくて、目の前の――。


「っ、アイ……ン!」


 精一杯腕を伸ばし、力なく揺れるアインの右手をかろうじて掴む。そして、その身体を抱き寄せる……それが私の、精一杯だった。

 この嵐の中、体勢をずっと制御することは難しい。増してどこに目指せば良いのかわからない状況では、私もアインもいずれ力尽きて、失速するだけだろう。

 失速……落ちる? どこに? わからない。底に近づいていく感覚もない。ただひたすらに広がる闇は、終わりの気配を感じることすら許してくれなかった。


『ばか、やろ……』


 その時……腕の中で抱きかかえたアインが、苦しげに口を開いていった。


『ボクなんか見捨てて……一人で逃げれば、よかったのに……っ』

「バカ言わないで。そんなこと、出来るわけないでしょう……?」


 声がかすれ、アインの言葉が遠くに聞こえる。……彼女との距離を詰める間に、私も体力を使い果たしたようだ。

 もう、姿勢を安定させようとする気力すらも失われて、指一本動かすことすらままならない。……だけど、たとえこのまま死んでしまうとしてもこれだけは……どうしても伝えておきたかった。


「私は、めぐるを助けるために来たのよ……なのに、あなたを死なせたりしたら……めぐるが、泣いちゃうじゃない」


 アインがめぐるのことを知らないように、めぐるもアインのことを知らない。

 だけど、自分を助けるために誰かが死んでしまったと知ったとしたら。あの子はきっと、悲しむだろう。そしてヴェイルとヌイの時と同じように泣いて……自分のせいだと思ってしまうに違いない。

 それに……。


「あなただって、私を見捨てなかった……お互い様よ」

『はは……それこそ、見当違いだ』


 目を開ける力すら使い果たしてしまったのだろう……徐々にその瞼は閉じられていく。それでも彼女は、満足そうに微笑んでいった。


『関係ない人間を巻き込んで……見殺しになんてしたら、あいつに……エンデに、どやされちまうから……な……』


 その言葉を最後に、カクン、とアインの首が前に倒れる。……完全に気を失ってしまったようだ。

 いまだ、対抗策は思いつかない……それどころか頭がくらくらして、思考が回らない。 ……どうやら、酸素が足りなくなったようだ。変身して少し呼吸が楽になったと思っていたけれど、落下している悪状況が上回ってしまったのかもしれない。


「(このままじゃ……っ……!)」


 そんな、絶体絶命の状況の中……私はふと、あの湖に引きずり込まれた時のことを思い出していた。

 あの時……私たちはどうやって助かったのだろう。そして、あの時の「めぐる」はどうして闇に引き込まれようとしていたのか。

 だけど……もう、考えるだけの力が残っていなかった私がそれ以上、過去を思い出すことは無く――。

 私の意識は、アインとともに闇の中へと落ちていった。

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