第96話

「……さん。姉さんっ……!」


 ふいに肩を揺さぶられる感覚と、聞こえてくる「あの子」の声。その呼びかけに私は暗闇の底にあった自我を力ずくで引き上げ、まだ朦朧とした意識を残しながらもなんとか瞼をこじ開けた。


「っ……なっちゃん……?」


 ほのかな灯を遠くの方に感じる中、心配そうにのぞき込んでくるなっちゃんの顔が視界の中に入ってくる。後頭部と背中に冷たく当たる、この固い砂利交じりの地面は……たぶん石畳か。そして、自分がそこにあおむけの状態で横になっていることを理解した私は、肘で突っ張りながら上体を起こした。


「……ぐっ……?」


 どういうわけか、何かがのしかかってくるように全身が重い。支える腕にも力が入らず、異常な疲労感が押し寄せてきて再び前後不覚に陥りそうになる。

 気を失う前に何か、ここまで消耗するほどのことがあったのだろうか。そんなことを考えながらふと視線を下に向けた私は、……自分の身なりを見て唖然と固まった。


「っ……どうして、チェリーヌの制服を……?」


 違和感を抱いて顔を向けると、隣のなっちゃんも同様の姿だ。確かに、普段から行動中も着こなして馴染んでいる服には違いないが……今自分たちがいる場所の重苦しい気配にはそぐわない感じがする。

 そもそも、私たちは気を失う前……この制服を着ていたのか?


「姉さん……大丈夫?」

「え? えぇ……平気です。なっちゃんは?」

「……問題ない」


 そう答えてなっちゃんはこく、と小さく頷いてみせる。夜のような暗さのせいではっきりとは確かめられないものの、彼女も大きな負傷はしていない様子だったのでまずは一安心というべきだろう。


「(それにしても、どうして私たちはこんなところに……、?)」


 ようやく意識がクリアになってきたので、私は記憶を再構築して現状に至る前のことを思い出す。

 ……そうだ。私となっちゃんはキャピタル・ノアのジュデッカ司祭から依頼を受けて謎の浮遊城へと潜入して、そこで戦うめぐるさん、すみれさんと合流した。その後、彼女たちの旧知だというアンドロイドの2人が目の前に立ち塞がってきたので、先を急ぐめぐるさんたちのために足止めすべく彼女たちを相手取ったのだ。

その戦いは、途中までこちらの有利に進んでいたものの……突如豹変したアンドロイドの姉弟が奇妙な「妖術」を使って反撃してきたことで、不意を突かれた私たちは意識を奪われてしまった。そして――。


「(……ここに連れて来られた、と考えたほうがいいんでしょうね)」


 現状を理解したことで、思わずほろ苦い笑みが口元からこぼれ出る。……めぐるさんたちにあれだけの大見栄を切ったというのに、とんだ体たらくだ。元戦闘エージェントの肩書が聞いて呆れる。


「ここは、どこですか……?」

「……わからない。私も、起きたばかり」

「……っ……」


 気怠さにも似た圧迫感と息苦しさを覚えながらも、私はゆっくりと立ち上がって周囲に目を向ける。

 ……部屋全体はそれなりの広さのようだが、ぼんやりとした壁際の灯りだけでは奥行きが全く見えない。そして、もっと様子を確かめようと目を凝らして足を数歩踏み出したその瞬間――。


「えっ……?」


突然目の前の空間に、何かの紋様を描いた玉虫色の光が壁となって浮かび上がってきた。


「これは……、っ?」

「姉さんっ?――」


 手を伸ばして触れた途端、電撃にも似た衝撃を感じた私はとっさに跳び退る。それを見たなっちゃんが私をかばいながら身構えようとしたが、彼女も自由に動くことが難しいのかすぐにがくり、と崩折れ、苦痛のうめきとともにその場で膝をついてしまった。


「……なっちゃん!」

「っ、力が……」

「えぇ……私もです」


 途中何度か躓きそうになりながらもなんとか駆け寄り、とりあえずなっちゃんの無事を確かめてから私は意識を集中させて、掌の中に電撃の塊を出現させようと『気』を込める。……でも、それはわずかに火花を上げたものの一瞬の明るさだけを残すと、すぐに闇の中に溶けるように消えてしまった。


「……やっぱりか」

「姉さん、それは……?」

「変身が解けてしまったことで、私たちはおそらく能力をうまく使えなくなっているんでしょう。それに……」


 さっきから全身にまとわりつくこの気怠い感覚は、この浮遊城に足を踏み入れた時から城内に充満する『瘴気』が浸潤してきたせいに違いない。これまでは戦闘スーツが私たちの身体を防護してくれていたけれど、現状はほぼ無防備状態だからその影響をもろに受けている、といったところだろう。

 このままでは力を奪われて、行動を継続することも難しくなる。そう考えた私は、先ほどの壁をうち破ることができないか再び電撃を生み出そうとした――その時だった。


「……フフッ、無駄さ。その結界は君たちの力を奪って閉じ込めるための牢獄。無駄な抵抗は止めて、大人しくしているがいいッ!!」

「っ、結界……?」

「その通りさ! この天才のボクが見張っている限り、君たちは何も出来やしない。フフフ……ハハハっっ!!!」


 実に癇に障るほどの、高らかな笑い声。それとともに暗闇に包まれる中から姿を見せたのは、ひとりの男だった。

 服装を見る限り、幹部クラスの戦闘員のようだが……顔に覚えがない。容貌は青年というよりむしろ少年に近いので、年齢は私たちと同じくらいか。

ただ、体格と雰囲気から鑑みても戦闘向きとはとても思えず、何かの研究者……と呼ぶにはいかにも頼りない風体なので、せいぜい学生が関の山だろう。


「誰……ですか?」

「ん、何? ボクのことが気になるのか?……フフ、なるほど。虜にされた状況にあってもなお、このボクの魅力は隠しきれない、というわけか……。仕方ない、そこまで言うのなら教えてあげよう!」


 いや、そこまでの強い興味を抱いたつもりはさらさらないのだけど。……などという私の呟きが言葉になるよりも早く、男は意味不明なポーズを決めながら恍惚とした表情と口調で名乗りを上げていった。


「ボクの名は、ビリー! フフ、ボクの魅力に気づいた君たちには特別に、ビリーと気安く呼ぶ権利を与えてやろう! 光栄に思いたまえ!」

「…………」


 私はなっちゃんと顔を見合わせ、お互いに困惑の表情を浮かべる。

 正直な感想を述べるとしたら、「何を言ってるんですか、この人は……?」としか他に言葉が見当たらない。とはいえ、この得体のしれない浮遊城に不釣り合いなほど滑稽な存在が突然こうして現れたことに何か意味がある可能性も捨てきれず、私は怪訝な思いでビリーと名乗った男に視線を戻した。


「(罠か……それとも、フェイク?)」


 考えすぎなのかもしれないが、ダークロマイアにはサロメのように道化を振舞いながら底の知れない野心を内面に秘めた輩もいる。そう思い直して私は相手の動向を窺いながら、その出方を慎重に探るべく尋ねかけていった。


「あなたも……ダークロマイアの一味なんですか?」

「ダーク……なんだ、それは? ボクの頭のメモリーパックには存在しない名称だな。そしてボクが知らないイコール、大した組織ではないということだ。まして、ブラックカーテンさんと関係があるはずもない」

「は……?」

「まぁ、いいさ。そもそもボクが興味を持っているのは、善でも悪でもない。この天才の頭脳を活かせる環境と課題……それだけだ!」


 そう言ってビリーと名乗った少年は、ぱちん、と仰々しく指を慣らす。すると、それが何かの合図だったのか室内に明かりが灯り、部屋の全容が明らかになった。


「なっ……!?」


 周囲を埋め尽くすようにずらりと立ち並んだ、おびただしい数の計器や機器。モニターに表示されたグラフや数値は小刻みに動きながら、何かのデータをはじき出している。

 そして、その中央には柱のような、培養ポッド……? そこにぼんやりと浮かび上がった人影を見て、なっちゃんは短い悲鳴を上げた。


「……っ……」


 そう、まるで……かつてゼルシファーと最終決戦を繰り広げたさなか、魔王城の中で発見した禁忌の研究ルームのような光景。そこでお父様――ダークトレーダーと戦い、その最期を看取った記憶が蘇って……全身に悪寒が駆け巡っていく。

 ……ただ、よく目を凝らしてみるとポッドの中に入っていたのはあの時のような「胎児」ではない。もっと大きな背格好をした「人間」……いや、この場合は「人形」と呼ぶほうが適切だろう。なぜならば――。


「あの中に入ってるのは……あの、アンドロイドの子たち?」


 大小の気泡を立てて髪をゆらめかせながら、液体の中で目を閉じているのは……まさしく不気味な妖術を使って私たちを虜にした、姉弟のアンドロイドだった。

 しかも、その髪に飾られた「それ」を見て私は息をのみ、反射的に自分の髪に手を当てる。


「っ、……ない……!!」


驚いてなっちゃんに顔を振り向けると……やはり目を見開いている彼女の頭にも、お父様の残してくれた大切な「髪飾り」が存在しない。そして同じ形状をしたものがポッド内で眠るアンドロイドのそれぞれ左右の頭につけられているのを確かめたことで、私は全身の血が逆流するような思いで憤然とビリーに叫んでいった。


「……私たちの髪飾りを、どうするつもりですか!?」

「もちろん、実験さ!……えーっと、は……波動エネルギーを自ら生み出す超科学の新素材、『アステ』……」

「……『アスタリウム』?」

「そう、それ! 地上でも、れ……希少金属(レアメタル)を超える極少物質とされ、微細な粒子でしか存在しない……あれ? じゃあこの結晶体はどうやってつくられたんだ?」

「…………」

「と……とにかく! それだけの価値ある物質だからこそ、この天才のボクが研究すべき案件ということだッ!」


 おそらく補足的な説明などが書かれているのだろう、ビリーは手元のノートをしきりに覗き込みながらそう居直ってみせる。

 にしても、『アスタリウム』の存在……そして詳細や価値をまともに知らないのに、それを用いた実験を行う……? この男は冗談や道化でもなく、本気で言っているのだろうか?


「天才のボクがはじき出した計算式によると、この『アスタリウム』の結晶体が内部に秘める波動エネルギーをこのアンドロイドたちに同化させることで、機械を超えた生命体が誕生する……! つまり、人類の史上誰もなしえなかった偉業を、ここで! ボクが! 実現させるってわけさ!!」

「……偉業、ですって……?」

「そ・う・さ! この研究成果を発表すれば、きっと世間はボクが天才だということにようやく気づくはずだ! そして、ボクの魅力はあまねく女子の……世界中の女子たちの心をとらえて、やがてっ……グフ、グフフフッ!!!」

「……っ……」


 いったい誰のことを言っているかはわからないが、脳内に何か妄想じみた光景を思い描きながら気色の悪い笑い声をあげるビリーの姿を、私はぎりっ、と音が響くほどに、奥歯をかみしめる。

 ……あの髪飾りは、お父様が私たちに託してくれた形見の品であると同時に彼の生涯をかけてつくり上げられた、まさに努力と信念の「結晶」だ。それを良心のカケラもなく盗み取り、あまつさえ自分の欲望のために利用する……?

 そんなこと、認められるわけがない。……いや、心に思っただけでもお父様に対する最大級の侮辱であり、許されざる悪行だった。


「(洗脳か……あるいは本当に真実を理解していない、ただの無知なのかもしれない。……それでも)」


私は爆発しそうになっている感情を、懸命に抑える。そして何度も深呼吸を繰り返しながら、努めて冷静に言葉を繋いでいった。


「多極曲線を描く波動をナノサイズでシンクロさせるための媒介を用意せず、直接機械に繋げただけで制御できると……? その計算処理を、その程度の演算機で可能だと本気で思っているんですか?」

「たきょ……ナノ……? 天才のボクには次元が違いすぎてわからないが、君たちは制御できたのだろう? つまり、ボクの手にかかれば自由自在に扱うなどたやすいことさ!」

「……。なるほど」


 あぁ、わかった。この男はわかってない。まったく、わかってない。

 私は内心でそう呟きながら、隣のなっちゃんに目を向ける。……それだけでこちらの考えていたことを理解してくれたのか、彼女は軽く目を伏せながら首を左右に振ってみせた。


「ボクの理論をもってすれば、不可能など存在しない! 君たちはそこで、ボクの偉業が達成されるところを見ているがいい……」


 そう言ってビリーはそばの椅子に腰を下ろして、まるでピアニストにでもなったように陶酔した表情と仕草でキーボードを叩き始める。すると、周囲の機器類が一斉に電子音を立てて動き出し、無数のケーブルを通じて入力命令、そしてエネルギーがポッド内につぎ込まれていった。


「いいぞ……このまま順調に進めば、『アスタリウム』が反応して所有者に無限のエネルギーを注入する……! それが完了した瞬間、誕生するんだ! 人間を越えた究極の生命体――そう、『ルシファー』が……!」


 黙然と見守る私たちの前で、ビリーの高揚しきった悦びの声が響き渡る。

 ……動けない? 落胆? その有り様を見ながら私たちが胸に抱いていた感情は、ある意味でそうかもしれない。だけど――。


「んなっ……!?」


 突然、計器から警告をがなり立てるような音が高らかに響き、周囲の機器から赤い光が点滅して周囲を染める。

それが何を表すのか、聞くまでもなかった。瞬く間に音は大きくなり、それと同時に薄緑色をしていたポッドが赤く染まり……。

やがて、轟音を上げて爆発した。


「ぎゃぁぁぁあっっ!?」


 爆風に吹き飛ばされて、ビリーは座っていた椅子から投げ出される。

 そして、目の前に広がっていたのは破壊された機器と、ポッドの残骸……さらには糸の切れた操り人形のようにぐったりとうなだれる、2体のアンドロイドだった。


「そ、そんなばかなっ……!?」

「…………」


 腰を抜かし、わなわなと震えるそのビリーの横をすり抜けて、私となっちゃんはアンドロイドの2体に近づく。そして、その頭につけられていた髪飾りをつかみ取り、自分の頭につけ直した。

 その瞬間、私たちの身体は光に包まれて――それが収まった瞬間、着ていた制服の代わりに戦闘スーツが全身を覆う。と同時になっちゃんの手元には、愛用の大剣が戻っていた。


「なっ……なななっ……? ど、どういうことなんだ!? ブラックカーテンさんから聞いてた話と、なんか違うぞ!?」

「……当然です。これはお父様が私たちのDNA情報をもとに調整した、私たち「だけ」のための大切なもの。多極波動ハーモナイズの基礎もわかっていないあなたに扱えるような代物ではありません……!」


 そう言って私は、遥さんたちにはあまり見せたくない……冷え冷えとした視線をビリーに向ける。

 ……こんな目と、そして感情を抱いたのはいつ以来だろう。それくらいに、今の私たちは全身の血が沸騰するかと感じるほどの怒りを抱いていた。


「まして、お父様が心血を注いでつくり上げた、畢生の傑作……あなた程度の浅い知識で、扱うことができるとでも本気で思っていたのですか……っ?」

「っ? ひ……ひぃぃぃいっ!?」


 怒りと同時に哀れみを強く胸に抱きながら、私たちは一歩、また一歩と愚かな男のもとへと足を進める。

 ……ここに、遥さんたちがいなくて本当に良かった。そんな安堵を思って息をつき、私は両手に電撃を生み出すべく渾身の「気」をつぎ込んでいった――。


 


 

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