第58話

『ボクたちが、死人……? ということは、どこかの世界に生きて命を落とした誰かの成れの果てが、ここにいるボクやエンデだってのか?』

「あなただけではありません。私や、このエリュシオンを統べていたディスパーザ……そして今もなお姿をメダルに変えて長き眠りにつく何千何万の民たちもまた、元々はイデアを構成する平行世界の中に生きていた人だったのです」

『……っ……!?』


 驚愕にうち震えながら、アインは蒼白な顔で息をのむ。その表情に宿っていたのは嫌悪と、絶望……だけど、誰よりも真理を知るアストレアに断じられてしまっては反論すら浮かばないのか、あまりの衝撃に打ちひしがれて立ち尽くすだけだった。


『……。やはり、そうでしたか……』


 ……と、そんな中でエンデは対照的に、やるせないため息を吐き出しながら薄く、ほろ苦さを含んだ笑みを浮かべてぽつり、と呟く。その瞳にはどこかしら諦観と、事実として受け入れる妥協のようなものが感じられた。


「エンデちゃん……あなたはそのことを、知っていたの?」

『……はい。ただ、ここまで具体的、かつ確証めいた事実を掴んでいたわけではありませんので、あくまで自身の疑問に対する答えを想像の範囲内で思い描いていました。しかし……』


 その先の言葉は、あえて確かめなくてもその表情が如実に物語っている。もし、私自身が幽霊にも等しい存在だと突き付けられたとしたら、きっと同じ感情を抱いてすべてを否定された気分になっていただろうからだ。


「……勘違いしないでくださいアイン、そしてエンデ。私はイデアとエリュシオンの関係における私たちの成り立ちとして、結論を語っただけです。それに生死によって生命が巡り、異なる存在に変わることは自然の摂理で、誰しもが持つ宿命なのです」

「自然の、摂理……?」

「はい。イデアにおける平行世界のそれぞれにも、全て『輪廻転生』の理があります。生を受けて育ち、天寿を迎えて現世を去った後……あらゆる「魂」はとある場所で浄化されて、再び新たな生命として現世へと戻される。そのことはイデアで暮らすすみれたちも、すでにご存知ですよね?」

「知識としては、知っています。だけど、それが本当なのかは……」


 思わぬ方向から同意を求められた私は、曖昧に言葉を濁しながらそう返す。アストレアにそう言われても実感がない以上、安易に是非を答えることはできなかったからだ。

 確かに、世界中に存在する宗教においては臨死と転生の概念が不可欠な要素であり、その魂の帰結や浄化を求めて人は神の存在を意識し、崇め奉る。……ただ、実際にそれらを体験したことがない私たちにとっては空想、あるいは妄想に基づいた理論となんら変わらない。だから、「そうか」と納得するよりも「そうなのか」と疑問を抱くのが、今の私にとっては自然の反応のように感じられた。


「正直言って、死んだことのない……というより前世以前の記憶がない私たちには、あなたのようにそれを真理だと受け入れることができません。私は私ですし、ここにいるめぐるも、めぐるでしかない。……アインたちが誰かの生まれ変わりだと言われて戸惑うのも、当然の反応だと思います」

「……確かに、私の説明が不足しておりましたね。真理を語ることを優先するあまり、配慮が至りませんでした。二人の心を傷つけてしまったこと、お詫びします」

『っ? べ、別に謝ってほしいわけじゃ……』


 頭を下げるアストレアの姿が予想外だったのか、アインはうろたえた様子で隣に立つエンデに顔を向ける。ただ、それで少しの溜飲が下がったのか、彼女は固いながらもやや落ち着きを取り戻した表情で「……続けてください」と返していった。


「イデアでは、平行世界を一つの単位としてとらえ……その中に存在する「魂」は有限です。ゆえにその数が減ることもなければ、増えることもありません。……ですが、世界そのものが失われた後も消えずに残り、戻るべき場所を失った「魂」はどうなると思いますか?」

「……! つまり、それが……?」

「はい。『鼓動を止めた世界』によって生まれたマナの流れに導かれて、「魂」はその意思によって生命の形をとることになる。その行き着く先が、エリュシオン。そしてマナの力を借りて人の姿を持った者が、私たちというわけです」

「…………」

「エリュシオンは、未来のない世界です。それゆえ私たちには寿命がなく、生命を生み出す能力がありません……いえ、「ないはず」でした。それが私たちの存在に課せられた定めであり、そのことに不足を感じることも、まして不満を抱くことはなかったのです。でも……」


 そこでアストレアは少しの間言葉を切ると、そっと自分の腹部を見つめる。そして慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、続けていった。


「新たな生命を宿し、そして自らの世界が未来を失う運命にあると知った時……私は、これこそが自分に課せられた運命だと考えました。イデアとの間に生じた穴からのマナの流出、そして『鼓動を止めた世界』からの一方的な流入による悪しきマナの影響で衰退の一途をたどるエリュシオンをよみがえらせるには、マナを浄化し、他の世界へと還元する仕組みを構築すべきだ、と」

「……つまり、エリュシオンから流れ込む波動エネルギーを管理する『ワールド・ライブラリ』が光の浄化場であるとすれば、エリュシオンは闇の終着点、そして始発点にする……ということですね?」


 テスラさんの確認に対して、アストレアは「はい」と頷く。

 『闇のワールド・ライブラリ』……言葉の響き自体は、ぞっとするような印象を与える。それでも確かに彼女の言うとおりこれまでの経緯を鑑みるとその存在は必要で、かつ重要なものだと理解することができた。


「とはいえ、それを遂行するために私は……生と死の狭間に位置する存在にならなければいけなかった。生者がエリュシオンに戻ったとしても、それは未来へとつながる「光」の場所からの介入でしかなく、『鼓動を止めた世界』への干渉ができなくなる。……だからこそ、私があの時点で命を落とすことは必然であり、そして必要なことだったのです」

「そのためにあなたは、自らの死の運命を受け入れた、と……?」

「エンデ。あなたには辛い思いをさせてしまいました。それに、ディスパーザも……あなたが私の意図を理解して動いてくれたおかげで、天月めぐると如月すみれ……二人の『アカシック・レコーダー』の関与が叶いました」


『……ずいぶん、遠回りをさせられてしまいましたがね。ですが、お役に立てて何よりです』


「えっ……!?」


 その聞き覚えのある声を聞いて、私、そしてテスラさんとナインさんは思わず弾かれたような勢いで顔を振り向ける。すると、アストレアが掲げていた魔王のメダルがふわり、と宙に浮かび……それはひとつの人の姿となって私たちの前に現れた。


「あなたは……フェリシア!?」


 思わず叫んでしまったその名を聞いて、目の前の人物はやや苦笑交じりに肩をすくめる。そこにいたのは、アストレアと最初に出会ったで私たちのことを親身になって世話をしてくれたイスカーナの騎士団長、フェリシア・デュランダルだった――。

 そして、ディスパーザが変化した魔王のメダルからその彼女が出て来た、ということは……!


『久しぶりだな、如月すみれ。こちらの思惑通りだとはいえ、こんな形で会うことになるとは奇妙なものだ』

「フェリシア……あなたがディスパーザだったの?」

「ど、どういうこと……? あたしが会ったディスパーザさまは、もっと年配の人だったよ? そうでしょ、エンデちゃん!?」

『え、えぇ……これは、いったい?』


 実際にディスパーザ本人と会ったことがあるめぐるは、その容姿を見て混乱した様子を見せる。そしてエンデ、アインもまた自分たちの知る魔王とは似ても似つかぬ他人の姿を目の当たりにして、信じられないとばかりに声を失っていた。


『あ、あんたがディスパーザさま……? そんな、まさかっ……!?』

『……正確に言うと、私はディスパーザではない。彼女を構成するメダルと『融合』することで何とか自我を保ち得ている、いわばヤドリギのような存在だ』

『……っ……!?』

『次元の狭間に落ちた時に、私は自分自身が持つマナの大半を使いきってしまった。そのせいで危うく自我を失うところだったが、長い流浪の果てになんとかエリュシオンに流れ着き、知人だったディスパーザと再会して……彼女と『融合』を果たすことで生きながらえることができたのだ。そして今は、本物のディスパーザから主導権を譲られて、彼女は私の中で眠りについている――』


 そう言えば、あの時……フェリシアはカシウスと同様に突然現れた次元の狭間に飲み込まれて、消息不明となってしまった。その行方を天使ちゃんに任せつつ安否を案じていたけれど、まさかこんな形で再会するなんて……!


『何も話すことができなくて、すまなかった。私もあのカシウスと同様に次元の狭間を彷徨うことで、平行世界の構造をこの目で見てきたのだ。もっとも、やつとは異なる見解と結論を抱いたうえで、このエリュシオンへと運よく戻ってきたのだが……』

「異なる見解と、結論……?」

『あぁ。アストレアさまから聞いてきた、「時」の概念をエリュシオンに入れるという考えについてだ』


 × × × ×


 あの時、アストレアさまから聞かされた話には正直、驚かされた。そして絶望と嫌悪を抱きそうになったのも、確かだ。

 しかし……


「私たちが、死人……? では、エリュシオンとはこの世界で言うところの「冥界」で、我々はさしずめ死の国からやって来た忌まわしき存在、ということですかっ?」

「いえ、そうではありません。私たちがもし死人であるのだとすれば、何が生者との違いとなっているのか……このイデアで子を宿したことで、私はようやくそれを理解することができました。だからこそ私は、アースガルズにやって来た人々だけでなく、エリュシオンそのものに生者の理を持ち込んで、変革をもたらしたい。そう考えたのです」

「生者の理……それはいったい、なんだと?」

「はい。エリュシオンに「時」の概念をもたらすのです」

「……っ……!?」


……初めにそれを聞いた時は途方もない考え方に感じられて、とても賛同できなかった。だから私は協力の申し出を断り、アストレアさまもそれ以上は何も仰らなかったので……話はそこでいったん終わった。

だが……平行世界の数多くを彷徨い、そのなれの果てをこの目にしてエリュシオンへと舞い戻った私は闇の力に染まったカシウスと、それを支援する邪な連中の存在を知った。そして、やつらがイデアとエリュシオンの流れを逆転させて、世界構造を崩壊させようと企んでいることにも気づいた。

止めるべきだと思った。そして同時に、アストレアさまのお考えを実現することこそが、やつらの野望を食い止める最善手だと理解したのだ……。


 × × × ×


『確かに、それは世界構造全体に危機をもたらす脅威だった。だが、それと同時に好機でもあった。もし、その大変動における力を逆手に取ることができれば、アストレアさまの考えておられたエリュシオンの変革も可能になるかもしれない、と』

「…………」

「そのためには、平行世界の構造をつかさどる因果律に干渉する力が必要になる。しかし闇の力を有する私やアストレアさまには、あいにくその力がない。だからこそ、光の存在を私たちは求めた。つまりは、光と闇の巫女……『アカシック・レコーダー』をな』

「それが、私たち……?」

『そうだ。光と闇の因子をそれぞれにもつ二人の力があれば、マナの大変動が形成されつつあるこの瞬間を利用して、エリュシオンに変革をもたらすことができる。……賭けにも近い確率だったが、これしかアストレアさまの望みをかなえる手段がなかったからな』

『……。だからこそ、ディスパーザさま……フェリシアさまは、私がめぐるさまをお連れすることを止めなかったのですね。そして――』

『ボクがすみれと会って、行動を共にするってことも最初から織り込み済みってわけか』


 それを聞いてエンデは胸元をきゅっ、とつかみ、アインはやるせない表情でため息をつく。

たとえエリュシオンを救うためだったとはいえ、結果として大いなる思惑の上で踊らされるようなかたちになったことが不本意に感じているのだろう。……正直に言うと、私も彼女たちと同じような感情を一瞬、抱きかけたのも確かだ。


「(とはいえ、……だからといって真実を打ち明けられたとしたら、私たちはそれに従っただろうか……?)」


 おそらく……いや、確実に拒絶か、あるいは別の道を探そうとしただろう。少なくとも見殺しを断固として拒むめぐるに至っては、アストレアの死の運命を何としても止めようと必死にあがいていたに違いない。

 「予知」の能力を持つアストレアと、人の「本心」を読み取ることのできるフェリシア。その二人がそれぞれの想いで私たちを慮ってくれたからこのような結果になったのだと、今はそれだけでも納得するしかなかった。


『だが、まさかあの世界で命を落としたと思っていたアストレアさまも、同じ考えだったとは思わなかった。……本来ならば、私がこの方の代わりにお前たちを支援する心づもりであったが、長らくの次元移動とエリュシオンの維持で力を使い果たし、このような無様な姿をさらしてしまった。そのことは、本当に申し訳なく思っている……』

「ですが……おかげで私の願いは叶いました。これも、イデアから来てくれたあなたたちの力があってのことです。本当にありがとうございます。……あとは、私たちの仕事です」


 そう言ってアストレアは、その手の中に長く神々しい飾りつけをつけた杖を出現させる。そしてかつん、かつんと床を叩くと、薄暗かったエリュシオン・パレスの宮殿内に明かりがともり始めた。


「『ワールド・ライブラリ』の構築には、あなたがたの時間でおよそ1000年の歳月を要したそうです。私たちの場合は、おそらくそれ以上……それこそ、途方もない時間が必要となるでしょう。ですが、過去を取り戻すことに執着してもその先に未来がないことはカシウスの行動が証明しています」

「…………」

「……たとえ、他の世界を奪って自らの世界を生きながらえさせたとしても、いずれ同じ滅びの危機に直面するだけ。そうですよね、フェリシア」

『……はい』


 カシウスは、その目指す理想はともかく間違っていた。……言外に含まれるアストレアの想いを理解して、私は思わず胸元を押さえる。

 かつて彼と愛し合い、子供まで成したアストレア。……そんな彼女がそこまで断言するまでに至った心境を思うと、やるせない思いだった。


『……カシウスが敗れ、『アカシック・レコーダー』の二人がこの結末を導き出してくれたからこそ、私も決心することができました。どれほど途方もない時間が必要だとしても、他者から奪った命で帳尻を合わせるのではなく……私たちの手でこのエリュシオンを修復し、そして変革を行うべきです』

『……アストレアさま』

「手伝ってくれますか、アイン? そしてエンデも……」

『へっ、しょうがねーな。ここまで来た以上、最後までやってやるよ』

『……私でも、よろしいのですか?』


 憎まれ口っぽく答えるアインとは対照的に、エンデはややためらう様子でアストレアとフェリシアを見比べる。

 一時的にとはいえ、クラウディウスと組んで私たちやアストレアに対峙した後ろめたさが彼女の傷として、まだ残っているのだろう。……だけどそれは、このエリュシオンを救いたい一心でのことであり、その優しさを私たちは理解していた。


『お前たちは、何百年周期ぶりに同化や融合ではなく「真っ新な」マナの結晶として生み出された存在だ。それだけにその力も、意志も新たなエリュシオンにはなくてはならないもの。……手を貸してもらいたい』

『……承知いたしました。私などでよろしければ、全てを捧げる覚悟で……』


 と、その時。

胸元に収めていたメダルが光を放ち、私だけではなくめぐる、そしてテスラさんとナインさんのこともその中へと収めてゆく。思わず取り出すと、そこに刻まれていた砂時計はもう残りわずかとなっていた。


『……そろそろ時間切れだな。私の力で進行を遅らせていたが、エリュシオンの民でないお前たちは元の世界へ戻らなくてはならない。……色々と、すまなかった』

「……。じゃあ、ここでお別れだね」


 あまりにも急すぎて、伝えたい想いと言葉が整理できない。

 だけど、……それでいいのかもしれない。私たちはこれまでの戦いと冒険でお互いを知り、困難を乗り越えることで色々なことを理解し合ってきた。

 だからこれ以上、言葉はいらない。そして、またどこかで会えるという予感……いや、確信を私は心のどこかではっきりと感じていた。


『本当にありがとうございました、めぐるさま。あなたさまとお会いできて、一時でも友と呼ばれたことは私の宝であり、誇りです。どうかめぐるさまとそのお連れの方々に、光輝く希望の未来があらんことを……』

「ありがとう、エンデちゃん。またどこかで会える日が来るのを、楽しみにしてるね」


 そう言ってめぐるは、エンデにそっと手を差し出す。彼女はそれをしばらくの間見つめていたかと思うと、やがて少し照れくさそうな表情を浮かべながらおずおずと自分の手で握り返した。


『まぁ、色々あったけど……楽しかったぜ。あと、すみれ』

「なに?」

『……ボクがディスパーザさま以外に主と認めるのは、お前だけだから。いつでも用があったら呼んでくれよ』

「ふふっ……わかったわ」


 にやり、と快活な笑顔で掲げてきたアインのこぶしに、私はこつん、と握った手の甲を当てる。最後まで彼女らしいといえばらしい挨拶だったが、そこには照れ隠しと、なによりも本来の優しい心がにじみ出ているようにも感じられて……暖かな思いだった。


「それじゃ、またねっ!」

「ありがとう、皆さん。そして――」


 最後にアストレアは、笑顔ではなく――本心から私たちを気遣うような真剣な表情を浮かべて、言った。


 ――気を付けてください、光と闇の巫女よ。あなたたちの敵は、まだ――。

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