第57話

 ……最初にその言葉をアストレアから聞かされた時、私はすぐに意味を理解することができなかった。


「アストレアさまが、この世界の人間ではない……?」


 それが何を示すのかを考えあぐねながら、私はまじまじとアストレアの姿を凝視する。

おそらく傷が癒えていないせいか、初めて会った時よりも「気」の力が感じられないとはいえ……私たちの目の前で立っているのはまぎれもなくアストレア本人にしか見えない。そもそも、彼女が力を貸してくれなければテスラさんとナインさんは今もなおダメージを負ったままで、私たちの援護をしてくれることはきっとなかっただろう。

 まして、アストレアは瀕死状態になったあの世界において、エンデがその身体に憑依することでこのエリュシオンへとやってきたのだ。その間に別人と入れ替わるスキはどこにもなかったはず……。


『ど、どういうことですか? 私がここにお連れしたのは、アストレアさまではなかったと……!?』

「いえ、あなたは確かに役目を果たしました。ですが……あえて直接的な言い方を許されるのであれば、あなたがたが訪れたイデアの平行世界に存在していた『アストレア・フィン・アースガルズ』という一つの人格はすでに死んでいるのです。……残念ですが」

『……っ……!?』


 そして、アストレアの身体に憑依した当のエンデですら理解が追い付いていないようで、彼女に詳しい説明を求める。しかし、その答えは私たちが望むものにはほど遠くて……ただ困惑だけが大きくなる一方だった。


「……アイン、あなたはわかる? アストレアさまが、死んでるって……」

『き、聞くなよ……! いったい何が何なのか、ボクだって説明してもらいたいくらい――』

「っ、ひょっとして……?」


 その時、アストレアの様子を注意深くうかがっていたテスラさんが、何かに気づいたのかはっ、と目を見開く。そして慎重に言葉を選ぶように、怪訝な様子で口を開いていった。


「今のあなたの身体には、アストレアさまとは違う別の誰かの人格、あるいは魂が入っている……そういうことですか?」

「そういうことです。私たちエリュシオンの民はすでにご存じのとおり、自分以外の誰かとマナの『核』を共有したり、双方の意思が同調し合えば融合することさえ可能となります。そして、あなたがたの言う「人格」と「魂」が本人の記憶、そして思考を示すのであれば、私たちにとってそれは「これ」がその集合体といえるでしょう」

「……えっ……!?」


 そう言ってアストレアは、両手を胸元にかざして光の玉を出現させる。するとその中に、小さいけれども眩いほどに光り輝く『メダル』が浮かび上がってきた。


「そ、それは……!?」

「私もディスパーザや、このエリュシオンで眠る大勢の民と同じように……このメダルを体内に有しています。ここにいるアインと、エンデも。この身体は、それを受け入れるためマナによって形作られた「器」にすぎないのです」

「…………」

「あなたがたイデアの民にとって、私たちの存在を構成する理論は理解、そして納得のゆかないものかもしれません。ですが、これこそがエリュシオンの民の存在定義。そして、時間の止まった世界で生きながらえ、かつ力を失ってきた理由なのです」

「?? ごめんすみれちゃん、どういうことなのか説明してもらってもいい?」

「……エリュシオンの民は、元を正せばあのメダル。それが、マナ……波動エネルギーの力を借りて身体を持ったものが、今こうして私たちが見ている姿ということ……その解釈で合っていますか?」


 さっきから首をひねっては頭の上に「?」マークを乱発させるめぐるに尋ねられて、私は自信がないけれども自分なりに導き出した推論を語り、その正誤をアストレアに確認する。すると彼女は穏やかな表情で頷き、「その通りです」と答えた。


「天月めぐる。あなたはここに来る途中で壁に並べられた大量のメダルを見た時に、そこにいるエンデから「あれはエリュシオンの民が、力を失ったなれの果て」と聞きましたね? その説明は間違っておりませんが、それでは解釈に間違いが生じてしまいます。正しくは、力を失ったからメダルになったのではなく、……元々私たちは、このメダルであったということなのです」

「……っ……!?」

「そして、メダルが本体である私たちは……子孫を産むことがありません。自身には進化も退化もなく……ただ同じ事象を、この空間で過ごすのみ。そして、唯一の変化を求める方法はメダルの共有、そして融合です。これを「成長」と呼ぶべきなのかは、あなたがたの持つ成長の力と比較すると難しいところですね……」


 そう言ってアストレアは、少し陰りを含んだ笑みを浮かべる。……そこに含まれる感情が悲しさなのか、それとも別のものか……人生というものをまだよくわかっていない若輩の私には、正しく読み取ることができなった。

 ただ、……今の説明で一つだけ、わかったことがあった。


「……私とめぐるが、エリュシオンの民であるアイン、エンデと融合して戦うことができたのは、私たちがそれぞれメダルを持っていたからなんですね?」

「そうです。めぐるとすみれの持つ『ブレイクメダル』は、エリュシオンに存在するメダルを解析して製造されたもの。ですから、アインとエンデはそこに含まれる因子に干渉して、メダルが持つ本来の力を引き出すことができたのです」

「……。では、アストレアさまの身体を持つ「あなた」に尋ねます。いったいあなたは、誰の『核』――魂がその身体に憑依し、融合したものなのですか?」


 私は軽く息をついて呼吸を整えると、まっすぐに「アストレアさま」を見据えながら本題を切り出す。

その疑問は、ここにいる誰もが一番答えを知りたいものだった。だから全員が固唾をのんで、相手の言葉を待ちわびる。

……だけど、彼女の返答はさらに私たちの驚愕をあおるものだった。


「このお腹にいる――いえ、「いた」アストレアとカシウスの、娘。……それが私です」


 × × × ×


 ……それは、イスカーナ王国に助力を決めてから、しばらくの歳月を経たある日のこと。

フェリシアから茶の席に招かれたアストレアは、確証が得られるまでは黙っていた「あること」と彼女に打ち明けていった。


「か……懐妊? それは、この世界で言うところの『子供』ができたということですか……っ!?」


 激しい動揺のあまり、フェリシアは愕然と固まった長い沈黙の後でその問いを吐き出すのが精いっぱいだった。


「えぇ、その通りです。このイデアにおける女性が、自分以外の人格を持った因子を胎内に宿した時に表れる兆候……そして体調の変化の特徴を鑑みて現状の私を診断すると、ほぼ間違いがないかと思われます」

「…………」

「……フェリシア?」

「あ、……も、申し訳ありません。あまりにも予想だにしていなかったお話をお伺いして、少々動転してしまいました」


 フェリシアはそう言って、少し裏返りかけた声をごまかすように2度、3度と大きく咳払いをする。が、それでは足りなくて目の前のテーブルにお茶のカップが置かれていたことに今さら気づくと、これ幸いとばかりにそれを掴んであおるように一息で飲み干し、……気管に引っかかって思わずむせてしまった。


「(冗談ではない……こんな展開は、さすがに考えてなかったぞ……!?)」


 フェリシアとしては最近、アストレアが珍しく食事を残したり、早朝の会議を欠席したりすることが多くなった(それでも2度ほどだが)ので、なにかの病か、それとも悩み事でも抱えているのか、と思って茶会を開いたつもりだった。

 だが、……その内容は重いというよりも、破壊力がありすぎた……。


「ふふっ……フェリシアのそんな顔を見たのは、ひょっとしたら初めてかもしれませんね。「前の」私の時、あなたは多少のことで驚いたり、取り乱したりすることはなかったと記憶を引き継いできたのですが」

「……からかわないでください、アストレアさま」


 フェリシアはきまり悪そうに憮然とため息をついて、空になったカップを戻す。そして、少し喉を潤したことで落ち着きを取り戻したのか、アストレアに向き直ると居住まいを正しながら尋ねかけていった。


「その、……カシウスにはその話、もう打ち明けられましたか?」

「先ほど伝えました。ただ彼は、あなたほどには驚いてくれなくて……疲れているのか何を話しかけても生返事ばかりなので、あとでもう一度話すことにしました」

「……その任、僭越ながら私めに引き受けさせてください」


 なぜか視界がくらむような頭痛を覚えながら、フェリシアは差し出がましく代役を買って出る。

 普段なら、こんなことに首を突っ込むような野暮は持ち合わせていない。……だが、今回だけは話が別だ。もう一度アストレアがカシウスに今のような話をすれば、動揺のあまりに何をしでかすかわかったものではないだろう。


「(おそらく驚きすぎて、呆然自失というか……思考が焼き切れてしまったに違いない)」


 その姿を想像すると、確かに滑稽だ。とはいえ、カシウスと長い付き合いのフェリシアはさすがに気の毒にすら感じて同情を禁じ得なかった。

 さらに――。


「(……つまりは、そういうことだろう)」


 イデアにおいて「子」をつくる時、因子の母体となる女性の対として男性の存在が必須となる。そして今の会話のやり取り、さらにはエリュシオンでの2人の関係を知るフェリシアだからこそ、アストレアの「相手」が誰なのかはもはや聞くまでもないことだった。


「……それにしても、にわかには信じがたい話です。エリュシオンの民が、イデアの民と同じように子を宿すなど……少なくとも私は、かつての我々の古参たちが残した記憶の中にそのような事例を見かけたことがありません」

「えぇ、それは私も同じです。むしろ私たちの身体が、そういった生殖の機能を有していたことが我ながら、驚きに感じているほどです」


 アストレアは肩をすくめ、何とも言えない表情で苦笑を吐き出す。とはいえ、その顔には未知の感覚と現象に対する好奇と、あふれんばかりに確かな喜びの彩があった。


 これほどまでにフェリシア、そしてカシウスがアストレアの懐妊を聞いて驚く理由……それは、「エリュシオンでは子供が生まれない」ことにある。メダルを『核』としたマナの集合体によって身体と人格を形成するエリュシオンの民は、イデアの世界で言うところの生殖能力がなかった……いや、「ないとされていた」。ゆえにエリュシオンでは幼年期という概念が存在せず、イデアを訪れた時に彼らが大いに驚いた要素の一つでもあったのだ。


「私たちエリュシオンの民は、『鼓動の止まった世界』――つまり、未来を失ったイデアの平行世界からマナの供給を受けて、永遠とも呼べる生の中にいました。そして、このメダルを『核』としてマナを求め、一個の人格として存在を得たのが私たちです」

「ええ。……私はそう聞かされてきました」


 もちろん、エリュシオンの民にも終わりがある。それは、マナを取り込むことを自らの意思で停止した時だ。

 飽和、倦怠、失望……なにかをきっかけとして人格を持つことを止めた彼らは、『核』を形成していた元のメダルへと戻って永遠の眠りにつく。その後は、存在を形成した時と同じようにマナの取り込みを再開すれば、元の姿へと戻ることも可能だが……「飽き」を理由に引きこもった彼らがその選択をする事例は、皆無といっていいほどなかった。

 ……ただ、メダルに戻る以外にも生の中の『怠惰』から逃れ、かつ変化という刺激を得られる手段がもうひとつある。それは、「終わり」ではなくこれまで積み上げてきた「経験の記憶」を捨てて、まっさらな人格となって「新たな始まり」を得ることだった。


「……おそらくはエリュシオンの世界概念が生まれて以来、私たちは何度も「生き戻り」をしているのでしょう。ですから、フェリシアやカシウス、長老ディスパーザ……この世界で私のことを支えてくれたあなたたちとの関係は変わらなくても、どんなことを積み重ねてここに来たのか、全てを覚えていない。それは寂しいけどこの世界の理で、仕方のないことだと思ってきました……でも」

「でも?」

「だとしたら、疑問がわいてくるのです。私たちの『核』となるこのメダルはいったいどうしてこのエリュシオンに生まれたのでしょう? そしてなぜ、気づかないうちに増え続けているのか……そのことを、私はずっと不思議に思ってきました」

「アストレアさま……?」

「フェリシアは、どうですか? エリュシオンの民であるその起源と、経緯……これまでに興味を持ったことはありませんか?」

「それは……」


 話題が急に規模の大きなものへと移ったことで、フェリシアは戸惑いながらアストレアの真意を推し量ろうとその表情をうかがう。すると彼女はなにかの答えを期待するように、にこにこと微笑みながら見返してきた。


「(……我々の起源、か)」


 確かに、疑問を抱いたことはある。エリュシオンにいた時からイデアのことを学び、その知識を「先達」から受け継いでからはいっそう、そこに対する興味も強くなったことも否定できない。

しかし同時に解明などは不可能であり、恐れ多いことだと忌避してきたことでもあった。そもそも、もし真相を知った時に得られるものは歓喜よりも、自らの存在意義にもかかわる恐怖、ないしは絶望である可能性も大いにあるのだから……。


「私にはわかりません……いえ、わかる必要のないことだと思います。『生き戻り』を繰り返すことは自然の摂理であり、定理……突き止めようと考えるのは、それこそ創造主である神に対する冒涜でしょう」

「えぇ……私もそう考えていました。でも私は、この社会に来てとある一つの可能性に気づいたのです」

「それは……?」

「私たちを構成する『核』――つまりメダルは、このイデアを構成する平行世界で未来を失った『鼓動の止まった世界』に生きていた人々が、未来を望んだ思いによって生まれたのでは、ということにです」

「っ、失われた世界とともに消えた人間たちの成れの果てが、私たちだとおっしゃるのですか……っ?」


 それを聞いたフェリシアは、露骨にいやな顔をする。それが示すところの意味を、彼女はイデアの世界の知識を学ぶことで知っていたからだ。


「つまり我々は、……このイデアでいうところの『幽霊』――肉体を失った者たちが死後に生み出した残留思念、とでもいうわけですか?」

「あなたにはごまかしの言葉は通用しませんから、正直に考えを打ち明けますね。……その通りだと思います」

「なっ……!?」


「おそらく私たちは、死人なのです。……生まれながらにして、ね……」

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